『ゆずれないもの』
広大に広がる地下迷宮の最奥。その部屋には、仮面をつけた金髪の人物が、大きな球体の前に座っていた。まるでリュウヤたちを待っていたかのような笑みを携えて……。
「あいつが、そうなのか?」
「ええ、間違いありません。あの者こそ、堕天使アルカクィエルです」
肌から伝わる異様な雰囲気を感じ、リュウヤは冷や汗を流す。
彼の緊張の要因は怪しげなアルカクィエルだけではない。部屋の壁に、ところ狭しと並べられた水球。中にはエインヘリアルたちが眠っていた。
「ようやくのご到着だね。このまま誰も来ないのかと思っていたよ」
仮面で性別が判断しかねるが、声からして男のようだ。
「ヤバいな。手汗が止まらねえ」
真顔でそう言い、汗で濡れた手をバタバタと動かして乾かす。
緊迫した空気とは無縁のリュウヤに、カグラはやれやれとため息をつく。
「こんな地の底で再会とは、いやはや、運命とは数奇な最寄だ。キミもそう思わないかな――神龍。失礼、今はクラトス・ファルサティアだったか」
顔につけられた仮面越しでも、不敵な笑みを浮かべているのがわかる口調だった。
「再会を喜びたいのは山々ですが、生憎こちらには時間がない。退いていただけるとありがたいのですが、如何でしょう?」
立ち振る舞いから口調まで丁寧な提案に、アルカクィエルは声を上げて笑った。
わかる者にはわかる。
殺気を包み隠さずに提案するのは、臨戦態勢の宣言と同義だ。
「相変わらずで安心した。人間たちの飼い犬になったかと心配していたが……無用だったようだ」
「飼い犬? そんなの違うに決まってるだろ。クラトスさんは俺たちの師匠だ」
リュウヤの予想外の乱入に、アルカクィエルがキョトンとした表情で固まる。
「……随分と気に入られているんだね。好々爺として、若者を導いているわけだ」
「若人たちの活き活きとした姿は、我が心を和ませてくれます」
「神とて歳を重ねる、か」
感慨深そうに呟き、視線をリュウヤとカグラへと移した。
「開花にはまだ早いな……」
そして、再びクラトスへと視線を戻す。
「キミは知っているのか? 彼女が何者なのかを」
「存じ上げません。ですが、推測ならございます」
「推測ねえ……。昔なじみからの助言だ。警戒しておくのをオススメするよ。魔王より恐ろしいのが、その隣にいるなんて笑えない冗談だ」
苦笑を浮かべた後、アルカクィエルは煙のように姿を消した。気配もなくなったことから、完全に立ち去ったようだ。
「消えた……。てか、取り逃がしちまったぁ!!」
「構いません。陛下のご命令は彼の打倒ではなく、存在するか否かの確認。今はこちらの対処が先です」
球体の前に歩み寄り、それを見上げてからリュウヤたちに説明する。
「この球体は、地上にいるエインヘリアルの核で間違いないでしょう」
「核ってなんだ?」
「人間で言うと心臓みたいなもの」
「あー、なるほど」
説明の途中だろうとお構いなしに馬鹿さを発揮し、クラトスに苦笑いをさせるのは流石であろう。悪い意味である。
「核を破壊すれば、全てのエインヘリアルが活動を停止すると思います」
「停止ってことは、また動き出すのか?」
「いえ、生物が心臓を失ったら生きていけないのと同様。核を失えば、彼女たちは死んでしまうのです」
「……」
何かを言いたげにリュウヤは口を開けるが、どう言えば良いか言葉は出てこない。
「どうにか助けられないの?」
口籠るリュウヤの代わりに、カグラが質問した。
「結論を先に述べるなら、数時間単位の時間がかかります。古代の術式に、現代の手法が加えられ、とても複雑な仕組みなのでどうしても……」
悔しそうにクラトスは歯を食いしばった。彼を唸らせる程の代物。
並の魔法使いなら投げ出すような複雑で高度な術式。
「目の前にあるのに、手が届くってのに、何もできないのかよ!!」
強くなった……そう思っていた。
〈勇者〉として、人々に希望を与える存在になるとか、世界を救いたいからとか、そんな高尚な理由ではない。
ただ、もう二度と、誰かが死ぬところを見たくない。その一心で必死に努力している。
レグルスが一目置く、クラトスが驚くほどの成長速度である。故に危険性も孕んでいるのだが……。
「――弱音を吐くとは……陛下からお聞きした印象とは、随分異なりますね」
皮肉を言うのは、両手では数え切れない傷を携え、左足を魔力の塊で補うダンテであった。
「ご無沙汰しております、クラトスさん」
「……ご壮健で何よりです」
ダンテの後ろから、シグマが顔を出し再会の挨拶をした。
申し訳無さそうにするクラトスにシグマは苦笑する。
「私は貴方を責める気はない。ギルシアからある程度の話しは聞いていたし、苦労も理解しているつもりだ。謝罪や後悔より、堂々としていてほしい」
王国を立て直すために、裏でギルシアやクラトスを中心に、数多くの者が動き回っていた事実。人魔大戦後、王国との決別を伝えに言った時、ギルシアから聞かされたのだ。
「貴方は憧れの方だ。それは、今も昔も変わらない」
「……ありがとう。その言葉に恥じぬよう、邁進すると誓おう」
互いの事情を理解し、納得するふたりの雰囲気は何とも邪魔し難い。が、カグラが勇気を出して手を上げる。
「あのっ。邪魔して申し訳ないのですがっ、早く核を何とかしないと」
「おっと、申し訳ありません」
彼らを差し置いて、ダンテが球体へと一歩前に踏み出す。一目でそれがエインヘリアルの核だとわかった。
「――退いてください」
「これをどうする気だ」
核の前にリュウヤが立ちはだかった。
「…………」
力尽くで退かせるべきか、それとも真実を伝えるべきか。ダンテは少年の姿を見据えながら悩んだ。
レグルスに聞かされていた話とは印象がまるで違う。彼の目には、〈勇者〉だと担がれている単なる子どもにしか見えなかった。
「私は陛下より託された使命を全うする。彼女たちエインヘリアルを――解放します。無慈悲な兵器としてではなく、ひとりの命ある者として、皆を自由に……」
「自由……」
ダンテが何をしようとしているか、それを聞いて俯くリュウヤ。
「邪魔をするなら、たとえ相手が勇者でも容赦できません」
「力尽くってか? おうよ、やってや――」
「おやめなさい、リュウヤくん。この方は嘘をついていません」
リュウヤの前に腕を出して、威嚇する彼を制止する。
「貴公が望めば、それは応えます。奏でるのです、世界で貴公だけの調べを――」
そこでダンテは理解した。
レグルスから渡された金属板が何なのかを。
そして、ハープを手に、彼は指を動かし始めた。
「……綺麗」
知らぬはずの、一度も奏でたことのない調べ。だというのにダンテの指は、初めからそれを知っているかのように音を紡いだ。
無数の淡い光の粒が、地面や壁から湧き出て洞窟内を漂う。その情景はまるで、光の雪が舞っているようだった。
カグラが思わず簡単の言葉を漏らすのも無理はない。奏でられる音と相まって、彼らを包む情景は何とも美しい。
「あっ……!」
ダンテが胸元にしまっていた金属板が独りでに飛び出し、彼の前に翳されるように浮遊する。そこから空中へと文字が記されていく。それは、たった今奏でられている曲の楽譜だった。
そして、声が聞こえた。
「――お前は何を望む?」
声はレグルスのものだった。
金属板に事前に仕込んでいたものだ。その時が来たら、伝達魔法が発動するようにと。
「エインヘリアルたちの自由を」
即答にも等しい速さでダンテは答える。曲を奏でる手は止めずにだ。
「その代償に、お前の自由を支払う覚悟はあるか?」
「いじわるなお方だ……」
レグルスの問いかけに、苦笑いを浮かべるダンテ。
初めからどう答えるか、それをわかっていながら彼は問うのだ。
「もちろんです。覚悟は既に済んでいます!」