『さよならだ』
剣を打ち上げ、露となった腹部へと蹴りを入れる。
「かはっ――」
防御が間に合わず、蹴り飛ばされて床を転がるかと思いきやその場で踏ん張った。
素直に転がっていれば良いものを。
手を握って拳を作り、思い切り振りかぶりながらそう思う。
「なっ――ぐはっ!」
体勢を立て直すのに意識を向けていたアルヴァンの顔面に、小細工なしのただの拳がめり込んだ。
今度こそ床を転がる。
俺はそれを見下ろして、今度は追いかけなかった。
「ぐ……どうして、殺さない?」
殴られた頬に手を添え、ふらふらながらも立ち上がる。
俺であれば殺せただろ、とアルヴァンはどうしてなのかと理由を尋ねてきた。
「俺がお前を殺して楽にさせると思っているのか?」
だから嘘偽りのない返答をしてやった。
「その甘さが、敗北に繋がるとしても?」
アルヴァンが口角を上げて指を鳴らす。
すると、地上にいるはずのエインヘリアルが次々と出てくるではないか。
「ヒョウテキをハッケン。センメツする」
ターゲットを見つけ、一斉に襲いかかってくる。決して無作為ではなく、計算された配置で効率よく仕掛けてきた。
「――っ、なるほど」
息づく暇すら与えない猛攻。
迫る無数の剣に加え、視覚外からの遠距離攻撃もある。
「いくら魔王でも、この数のエインヘリアルは倒しきれないだろう!」
「そうかもしれん」
魔力による衝撃波でエインヘリアルたちを吹き飛ばし、僅かな時間稼ぎを行う。そう、ほんの少しで良い。
刀を鞘に納める。それだけで十分だ。
「四天影心流、第六式――〈陽楼〉」
刀は抜かれた。
その瞬間、全てのエインヘリアルが停止する。
〈陽楼〉は対多数に有効である。認識領域内の標的の、肉体ではなく精神を斬る技。造った奴が何者であれ、生命体としたのが仇となったな。
時間稼ぎ程度にしかならないだろうが、その間にダンテたちならやり遂げてくれるとも。
「――なっ」
突然起きた出来事にアルヴァンが呆然と口を開ける。
隙だらけなので、腹に蹴りをお見舞いしてやった。
「ぐっ――がはッ!!」
蹴りをまともに受けたアルヴァンは柱の一本に叩きつけられた。
優位な立場に立った時。人は慢心しやすい生き物らしい。俺も例外ではなかった。
「――レグルス! あいつを、アルヴァンを助けてやってくれ!!」
リュウヤが目覚め、俺の名を叫んだ。ほんの一瞬、アルヴァンよりそちらに意識を向けた、向けてしまった。
「……」
「――あの人との手合わせ以来だ」
王国で初めて会ったあの時から、ずっと隠されていた左手が露わとなる。手の甲に描かれた見たことのない紋様は間違いなく魔法陣。
「〈神麗〉――開門」
どんな効果か読み取れない。
何故だ?
あぁ、そうか。原因はその左手が持つ剣だ。
右手のと合わせれば、俺は2本の剣に刺し貫かれているのだ。
「ぐ――っ」
「これでアンタの負けだ、魔王レグルス」
左右に振り抜かれる2本の剣。俺の体から飛び出したそれらに鮮血が纏わりつく。
勝利を確信したアルヴァンが美酒に酔う。それは、攻撃してくれと自ら宣言しているのと同義に思えた。
斬られて重傷の俺がそこを突かずしては相手への侮辱となろう。
「――〈電雷槌蹴/ボルテック・パイル〉」
身を翻し、雷を纏った右足による回し蹴り。油断しきっていたアルヴァンには効果的だった。
「――ぐふッ!」
蹴り飛ばした直後より、回復魔法で傷を癒やした。
「勝利に酔うのは、敵の死を確認してからだ。教わらなかったのか?」
アルヴァンが衝突した衝撃で舞い上がった砂煙。
「……そうだった。すっかり忘れていた」
まるで意思を持つかの如く、砂煙がアルヴァンの姿を晒す。
「おいおい、冗談だろ」
思わず苦笑い。
右が黒で左が白色。4枚の光の翼が、アルヴァンの背中にあるではないか。顔には模様が、瞳にも紋様が描かれ、魔力の質も量も今までとはまるで違う。
量だけなら地上の魔力球にも匹敵する。
いったい何処から湧いて出たのか聞きたくなる。
「お前、やはりただの人間ではないな?」
「ご名答。オレは人間族、魔族、精霊族、そして――神族の血を継ぐ者」
滅びたとされる精霊族と神族は信じ難い。が、感じたことのない魔力の質が、裏付けのように俺に示される。
纏う雰囲気すら変化せしめた。つまり、これこそがアルヴァンの真の姿なのだろう。
「4種族の血を継ぐか……。ますます理解に苦しむ。望めば世界を制覇し、統治することも可能だったろうに。」
「強大な個であっても、虚弱な万に倒されることがある。一時の偽物の平和は、絶望へのカウントダウンだ」
辛いのだと憂いに満ちた表情が語る。
「平和なんてものは、次の争いまでの単なる空き時間。そこで紡いだ希望は、すぐに絶望へと変わる。その繰り返しに、なんの意味があるんだよ!」
動き方も速度も今の俺を上回っていた。
傷が瞬く間に増えていく。防ぎきれていないのだ。
変革を望み、悩み、苦しみ、嘆いた。その結果が世界のリセット。
「やはり、くだらんな」
「強者だからそう言える!」
鍔迫り合いに負けて吹き飛ばされる。何とか体勢を立て直した俺が目にしたのは――
「〈天の威光/コウア・ヴァルス〉」
手を翳すアルヴァンの前方に、一瞬で展開する魔法陣。そこから膨大な光が放たれ、俺を呑み込んだ。
「――ハッ、笑わせる」
「あれを受けて、まだ生きているのか……さすがは魔王。しぶとさは一流だ」
視界がぼやけ、全身の感覚がほとんどない。
痛みが健在なので、生きてはいるようだ。
口も動くし、嫌味だって言える。
「ひとつ聞かせてほしい」
無数の武器が俺を取り囲む。
開かれた手が握られれば、これらは俺を刺し貫いたり、斬り刻むだろう。
そんな絶対的優位な状況で、最後だからとアルヴァンは問う。
我ながらよくここまで追い詰められたものだ。欲張りはろくな目にあわんな。
「魔王レグルス。アンタは……アンタはこの世界を、どうするつもりなんだ?」
息も絶え絶えの今の俺に訊かないでほしい。と文句を返しそうになるが、真剣な眼差しなのが見えてしまった。
「……決まってるだろ。今より良い世界にする。お前が見限ってしまったこの世界をな」
記憶を失った何者でもない俺が呼ばれた世界。
そこに住まう誰もが、幸せに笑っていられるような平和な――。
「……そう、か。見てみたかった。アンタが望む、良い世界を」
哀れみではなかった。
それは羨望を込めた笑みだった。
アルヴァンの言葉は、本心からのものなのだろう。
「さよならだ、魔王レグルス」
死を経験したこの体。果たして、どう適応するのやら――。
アルヴァンは別れを告げ、翳した手が握られた。