『表裏』
マクシス一行が帰還してからも村で時間を費やした。未来視のエルフの少女――メリー・エリアードも当分は大丈夫と言っていたので、これで安心して村を出れる。
――はずだったが、農作業の手伝いをしたり、家を建てたりと充実した時間を過ごした。これが案外楽しくてな、時間を忘れるとはまさにこのこと。
しばらくは王国の連中もこの村に来ないだろう。念のためいくつか罠を仕掛けているので、心配はほとんどない。
新人マクシスの代わりに、ベテラン〈王国の守護者〉が来たらまずいが、その時はその時で対処しよう。
転移魔法は既に準備している。知らせがあればいつでもどこでも駆けつけられるのだ。俺って、やはり天才?
実は浮かれたことを言っている場合ではなかった。何しろ当初の目的、情報収集は全然捗っていないのだから。
「世話になった」
「お世話になりました」
俺は軽く手を振り、イーニャは丁寧にお辞儀をする。
「またいつでも来ると良い。村総出で貴殿らを歓迎するでな」
「そうよぉー、イーニャちゃんもお料理頑張ってねぇー」
相変わらずまったりしている夫婦だ。夫婦と言うよりフェイだけだな。この奥さまの言動は催眠作用を内包している気がする。
話していると眠たくなってくるのだ。
そんな疑いをかけていると、フェイの後ろからアリサがヒョコッと出てきた。
「……これ、あげる」
アリサが手渡してくれたのはシンプルな見た目のネックレスだった。どうやら手作りらしい。
目を凝らすと細かい部分まで丁寧に作り込まれている。簡単な作業ではなかったことを物語っていた。
この村に伝わる伝統で、旅する者の安全と健康を祈って作る習わしだとコジュウロウタが教えてくれた。
わざわざ俺たちのために作ってくれるなんて、良い子過ぎるだろアリサの奴め。思わず頬が緩むではないか。
「素晴らしい贈り物をありがとう、アリサ。せっかくだ、お前がつけてくれるか?」
「……うん」
俺は屈んでお願いした。するともじもじしながらも意を決して俺の首に手を回してつけてくれた。
「ありが――と、う?」
「あらあらぁ」
再度感謝を言おうと立ち上がるその前に、頬に温かい感触を感じた。アリサがササッと脱兎の如く立ち去る。耳が真っ赤だったのは気のせいではあるまい。
「お義父さんと呼んでくれても良いぞ?」
「う、うるさいわ! さ、行くぞイーニャ」
ニヤニヤと口に手を当ててこちらを見つめるイーニャ。
「な、なんだ気持ち悪い」
「いやー、顔真っ赤だなーと思ってー」
「くぅっ、お前など知らん!」
そそくさと馬車に乗り込み、イーニャを置いて走り出した。
「コジュウロウタ、アリサにありがとうと伝えておいてくれ。あと、必ず大切にするって――」
「任せておけ、息子よー」
最後聞き捨てならない言葉が聞こえたが、次来たときに問いただすとしよう。
もちろん、必死に追いかけてきたイーニャをあとでちゃんと拾ったとも。
ちなみに〈魔王の首飾り〉はしまってある。そんな呪いのアイテムより、アリサがくれたネックレスの方が大事だからだ。
こうして一波乱あった最初の村――ニステア村を旅立ったのだった。
◆◆◆
アインノドゥス王国の城の玉座にて、マクシスとトールは此度の任務の報告を行っていた。
玉座に鎮座する長く白い髭を生やした老人がこの国の国王――ドレイアス・ウィル・ヴァンダグリーフ・アインノドゥスである。片足を魔族によって失い、杖なくしての生活を余儀なくされている。
「遠征ご苦労だったぞ、マクシス」
「ありがたきお言葉」
「して、結果はどうであった?」
「ハッ。ニステア村にて亜人種の存在は――確認できず。人間種のみでありました」
マクシスとトールは、自分たちと部下を殺さなかったノルンへの恩返しにと嘘をつくことを決めた。部隊員にも口止めはしてある。皆、マクシスの決めたことならばと快く受け入れてくれた。
「実か、トールよ」
「はい、わたくしも確かにこの目で確認いたしました」
「そうかそうか。実にざん……喜ばしいことじゃ。ふたりとも、もう下がってよい。ゆっくりと休むのじゃぞ」
穏やかな微笑みを浮かべて、マクシスとトールを部屋から出した。
残ったのは国王と五老公の計6人のみ。
五老公はこの国の貴族で一番権力を持っている5人のことをまとめてそう呼称していた。
もとは六老公だったが、一人が国王に異議を唱えた翌日から行方不明になり、生死不明と判断され今の五老公となった。
「しかし、残念でしたな陛下。久々に楽しめると思ったのですがな」
気持ち悪い笑みを浮かべる髪の毛とさよならした頭皮の老人――セルギアット・ウカヤメット公。
「仕方あるまい。たまたまハズレだったと考えるべきじゃ」
「このあいだのは上物だった。次が待ちきれんぞい」
髭を片手で触りながら語るのは――キルミエント・ダグレーン公。
舌舐めずりして残念がるのが――ヤンドウェイク・テイファーム公。
「そうだな。我も今いる分は遊び尽くして飽きてしまった」
項垂れる金髪の老人――ヴァテッロ・ルドクリント。
「ですが、今回の任務、少々気になる点があります」
最後に国王に進言したのが――シグマ・セイレーン。
〈王国の守護者〉の一人であり、序列4位である。
欲望に忠実なこの下衆とも言える者たちの中で、唯一の常識的な思考の持ち主である。
そして五老公の中で唯一、まだ老いていない人物でもある。
「ほお、それはなんぞ?」
「見たところ、彼らは戦闘を行った形跡があります」
「それは、マクシスらがわしに嘘をついていると言うことか?」
「断言は出来ませんが村人、あるいは外部の何者かと戦闘を行い、撤退してきたのではと私は考えます」
だが彼はこの老人たちの人形と化している。反抗などしようものなら、人質の婚約者がどうなるかわからない。
心の中でマクシスとトールに謝罪し、拳をこれでもかと言うほど握りしめて本心を押し殺す。――このクソジジイ共が、と怒りを胸に秘め、進言したのだった。
「では、貴様が部隊を編成し、直ちにもう一度あの村を調べ報告せよ」
「ハッ、かしこまりました」
シグマは急いで玉座を出ていった。一刻も早くクソジジイ共がいる空間から解放されたかったのだ。
それでも彼は希望を捨てず、愛する者のために動くのだった。
「行きましたか」
「そのようですね」
「いやはや、彼はよく働いてくれる」
「キルミエント、奴の婚約者はどうした?」
しかし、現実は何者よりも残酷である。
「シャロン、と言いましたか。もはや使い物にならぬほど遊んだ後、奴隷商に引き渡しました」
「酷いことをするのぉ、キルミエントよ」
労うようなことを言いながらも、国王の口元は楽しそうに歪んでいた。
五老公たちも口では心配だのなんだのと言っておきながら、内心何も知らない操り人形で無様なシグマを笑っていた。
「して、勇者らの様子はどうじゃ?」
「予定通り滞りなく強くなっております。魔界進軍の日も遠くないかと」
「それは楽しみじゃな」
表では人間族絶対と立派な志を掲げておきながら、裏では捕らえた亜人種たちを玩具のように死ぬまで弄ぶ。これが、これこそが王国の実態である。
レグルスがその事実を知る日は、そう遠くはなかった。
◆◆◆
馬車に揺られるのは久しぶりだな。
そして――
「れぐ――兄様ってほんと乗り物に弱いわね。騎士を相手にした時の強さはどこに行ったのよ」
「やかましい、わ。人間にはな、得手不得手があってだなロロロロロロ……うぷっ。くそ、今に見ておれ。我が力を持ってして乗り物なんぞにロロロロロロ……」
この七色の逆流も久しぶりだ。
酔いを止める薬や魔法はあるらしいが、あのメイド長も〈魔王〉の俺がまさか乗り物酔いするとは思ってなかったらしく荷物には入っていなかった。
俺自身も、まさか自分が乗り物酔いごときに惑わされると思ってなかったので魔法を習得していなかった。
村で薬を貰えば良かったと今更ながら思い返すが、既に見えない距離まで離れていた。イーニャを置いてけぼりにしたのが響いてしまった。
こいつまさか、そこまで考えて俺を挑発したのか!?
ぐぬぬ、やるではないか。俺の弱点を攻めて倒そうと言う魂胆だなぁ。ふははははははははははっ、甘く見るなよ小娘が。この程度すぐに克服してみせ――
「ロロロロロロロロロ……」
「街まであと数日かかるから、それまで頑張って……」
然り気無く背中を擦ってくれるイーニャ。
こいつ、優しい一面もあるではないか。さすがは姉だな、感心したぞ!
――夜になる頃には俺の体力は0に近かった。
イーニャに狩りを頼んだが、何故か木の実をたくさん持って帰って来た。いやまぁ、食べ物を取ってきたから間違いではないのだろうが……。
「お肉より、今のれぐ兄様にはこっちの方がいいと思うわ」
れぐ兄様って何だよ。ノルンだっての。せめてノル兄様にしろよ。
俺の今晩の晩ご飯は果物と果物と煮付けもどきであった。
頭の中でチーンと金属を叩いた音が聞こえた気がする。
「乗り物に弱い〈魔王〉なんて、歴史上初めてだと思うわ」
焚き火を前に、頭上で皮肉を言ってくれるイーニャ。
弱体化した俺は、されるがままにイーニャの膝に頭を預けている。
魔力を使って身体を動かせば容易に抵抗できたが、気力がなかったのでやめてやった。時には家臣への褒美も必要だろうしな。
「そう言えば、村で絵は描けたのか?」
「うん、バッチリ描けたよ。元気になったら見せたげる」
「それは楽しみだな。あのメイド長が褒める腕前だからな」
そんなに月日が経った訳でもないのに、魔界での日々が懐かしくなっていた。
「ねぇ、レグルス」
「なんだ?」
周りに人がいるわけでもないし、レグルスと呼ぶことを責めなかった。声の調子から、何か言いたげなのが伝わったのもある。
「私のことは、レグルスが守ってくれるのよね?」
「旅の間はな」
イーニャがそっと俺の頭に手を添える。
「旅が終わったら、レグルスは王国と戦争をするんでしょ。魔族の偉い人たちに言ってたもんね」
発言に警戒しつつ軽い相づちを返す。変に口を挟むべきではないだろう。
「村のみんなを見てて、なにが正しいのかわかんなくなっちゃった」
「ああ」
「だから、それがわかるまで私はレグルスと一緒にいる」
俺の頭を撫でながら宣言した。
それは旅が終わったとしても、答えが見つけられなかった場合も含まれているのだろう。変なところだけ賢くなりやがって。
こっちは爆発しないかハラハラドキドキだったのに……。
「やはりお前はスパイに向いてないわ」
「それとこれとは関係ないでしょ」
「だが俺は寛大で偉大な魔王だ。許可してやるよ」
こら、抱きしめるな。呼吸が出来ないだろうか。嬉しいのは充分伝わったから……ギブ、ギブギブギブ!
チーン。またも金属の音が。
「あっ、あああっ、ごめんなさいレグルスっ。あれ、レグルスってばー!」
「寝る……スヤァ」
俺は急激に襲撃してきた睡魔に負けてやることを選択した。
ゆらゆらと身体が揺れている。気にする必要はないなと眠りについた。