『噴水』
気分転換に帝国内をグリムと散歩中だ。
不安、恐怖、疑問……様々な思惑が込められた視線が俺たちに注がれていた。
周りの評価など興味なしに、平和を絵に描いたような街並みや人々を見ながら思う。
「ここは本当に穏やかだな」
それを俺が来たことで脅かされかと警戒しているのが伝わってくる。
「外の世界とはほぼ無縁ですから……」
少し悲しげにグリムは苦笑した。
俺としたことが思ったことが声に出してしまっていたようだ。
気を付けなくてはな。
そういえば皇帝は昔馴染みらしいから、色々と苦労があったのかもしれない。
「あの木の影響もあるのだろうよ」
立ち止まって身を翻し、帝国の中心に聳え立つ大樹を見上げる。
「見ているだけでこちらの心を穏やかにする。まったく、世界には俺の知らないとてつもないものがあるよな」
「だけど、それが楽しい。ですよね、レグルス陛下」
今度は楽しそうな笑顔でそう言ってくる。
「そうだな。俺はこの世界が気に入っている。だからもっと、世界の色んなものを見たい……」
そんなことを口ずさむと、ふととある人物の笑顔が頭を過り、自然に視線は下へと落ちていった。
「――まだ、気にされているのですね」
真剣な表情で問われたが、俺は頷きたくなかった。
広場の噴水近くに備え付けられたベンチに腰掛けた。
「理解しているとも。いつまでも思い悩んでいては〈魔族〉全体の士気にも繋がる。よく理解しているはずなのにな……まったく、はた面倒な」
天を目指して噴き上げる水は、途中で力及ばず落下を始める。
偶然訪れたこの場所で、そんな光景を目の当たりにすることで否応なしに思い出される記憶。
――手を伸ばした。
――精一杯、この手を伸ばしたんだ。
――だが、俺の手は、掴めなかった。
――あいつには、届かなかった。
どうしてあいつは、最期まで笑顔でいられたのだろう。
どうして無力な俺に、最後に笑顔を見せてくれたのだろう。
呆然と噴水を眺めている。
水しぶきが散ってこようとどうでも良い。
「俺が……俺がもし、魔族だったならこんな思いは――」
パシンッ。
乾いた音が聞こえ、同時に視線がぐんと右にずれる。
「……いたい」
「それ以上は言わせない。それ以上、イーニャが命懸けで守ったレグルスを侮辱することは、アタシが許さない」
どうやら俺は頬を叩かれたらしい。
無意識な動きで、叩いた人物を見上げると――そこには目元に涙を溜め、明らかに怒った顔をしたシェナが立っていた。
「しぇ……シェナ……?」
何故ここに?
城で待っているはずのシェナが何故ここにいるのか、困惑する俺の思考では解き明かせなかった。
「うっ」
胸ぐらを掴まれ、ぐいっと引き寄せられる。
こんな小さな少女の身体の何処にそんな力があると言うのか。
「今のノルンはダメダメだよ。こんなんじゃ、イーニャが報われないよ!」
気圧されていたが、好き放題言われて黙っていられなかった。
「お前に……お前に俺の何がわかる!!」
「わからないよ! でもっ、イーニャが命を懸けてまで守りたかったノルンは、こんなダメダメなノルンじゃないよ! いつも偉そうで、人をバカにして、面倒くさがりのくせに……いざと言うときは守ってくれて、心配してくれて、なんだかんだでみんなのことを大切にする優しいノルンを……ノルンを……っ」
嗚咽混じりに俺の胸に顔を押し付け、握ったその手で弱々しく何度も叩きながら、シェナは俺に思いの丈をぶつけた。
――あぁ、まったく……俺は何をやっているんだろうな?
少女の泣く声と、噴き上がった水が落ちてぶつかる音が俺の耳にこだまする。
「…………」
胸元で肩を震わせる小さな体を抱きしめる。
どうすれば良いかわからなかったが、身体が勝手に動いたと言うやつだ。
「すまない……いや、ありがとう。おかげで目が覚めた」
「うぅっ……ひっぐ……ぐすん…………うん」
涙やら何やらで俺の服の胸元はびしょびしょになるのは仕方ないことなのだろう。
ぼやける視界で、俺はシェナが泣き止むまで頭を撫でて待った。
「俺はここにいる〈長耳族〉でもなければ〈魔族〉でもない。一番弱いと言われている種族――〈人間族〉だ」
シェナの温かさをその身でしっかりと感じながら言葉を続けた。
道行く〈長耳族〉の微笑まそうな眼差しを何度も受けながら……。
「時には弱気になることだってあるだろう。だからそんな時は――」
「ぐすん……また思いっきり叩いてやるから……」
「ああ、頼む」
約束を交わす頃には目の下を腫らしたシェナの顔の出来上がりだ。
それからしばらく他愛もない話をしたものだ。
グリムが気をきかせて食べ物やら飲み物やらを近くの店で買ってきたおかげで、噴水前で3人で昼食を食べながら穏やかな時間を過ごした。
「そう言えば、シェナはどうしてここにいたんだ?」
「え!? そ、それはーそのー」
すっかり忘れていた疑問をぶつけると、急にしどろもどろになるシェナ。
「本当に気付いていなかったようで」
「ん、どういうことだ?」
「城から我々を尾行していたんですよ。注意力が甘いですね、陛下。帰ったらバルムさんにまたみっちりと稽古をしてもらわないといけませんね」
「う……」
グリムの話によると、初めからついてきているのはわかっていたが、俺が気付くまで黙っているつもりだった。
加えて、シェナは離れているはずの俺たちの声が聞こえていたらしい。
そして、途中で辛抱堪らずと聞いていられなくなり、飛び出してきて俺に平手打ちをお見舞いしたわけだ。
「イーニャに笑われちゃうよ?」
「やかましい。もう大丈夫だとも」
〈世界樹〉を見上げて返事をする。
感覚がいつもの調子に戻ったことで、シェナに俺たちの声を届けた主はすぐにわかった。
シェナもここの住人のようだ。
ふっと口角を上げてしまうのは当然のことだった。




