『義憤』
感受性が良いのだろうな。
泣く寸前のリュウヤの頭に手を乗せる。
「お前が気にすることはないぞ、リュウヤ」
「俺は……見ていることしかできなかったっ……」
拳をぎゅっと握りしめ、俯く少年は気持ちを吐露する。
「他者の思いを汲み取れるのはお前の長所だが、繰り返せばいずれ心が壊れるだろう」
髪をくしゃくしゃにするように頭を撫でる。
「俺たちは全知全能の神とは程遠い。〈魔王〉にだってどうしようもないことがあるように、〈勇者〉にだって同じ場面があるんだよ。だから人は、自分だけではできないことを、他の誰かと一緒にやるんだ」
ちらりと隣のカグラを見てから視線を戻す。
「人は独りでは生きてはいけない。こんな言葉があるくらいだ。抱え込みすぎるなよ」
自分に突き刺さる話を言い終えてからギルシアとネメシスの方へと身を翻した。
死んだギルシアの亡骸を、肩を震わせながら抱きしめる背中からは痛々しい程の悲しみが伝わってきた。
胸の辺りがぎゅっと握られるような感覚に襲われた。強くもなければ弱くもない力加減だった。
首を横に振って雑念を消し去り、ふたりから視線を少し上げれやれば、半壊の城が視界に入る。
「……ふぅー」
国王の生滅の巻き添えに消え去った、魔力ごと吸い取られたであろう国民の魂をどうするかを考えよう。
俺の魔力はほとんど尽きかけの現状。
運良くイルギットで使った〈流転する鎮魂歌〉が発動しても、蘇生されるかどうか怪しい。
――予想外が当たり前。それが戦争だ。
頭ではわかっていたつもりなのに、まだまだ足りなかったのを痛感した。
このままでは〈アインノドゥス王国〉は終わりだ。
なのに、俺には成す術なしとはお笑い草だ。
「やるしかな――」
「必要ないわ」
俺の呟きを遮ったのは、ギルシアを抱き上げてこちらを向いていたネメシスだった。
「まるで俺が今から何をするのかわかっているような口振りだな」
「わかっているわ。初代魔王ですらそこまでしなかったのに、本当に変わった魔王だこと」
ふふふとネメシスは妖艶な笑みを浮かべる。
雰囲気がつい先刻までのネメシスとは違ったものに思えた。
まるで、今まで仮面をつけていたかのような印象だ。
「初代魔王……。6000年以上前に生きていた初代と友だちだったとでも言う気か?」
「あんなのと友だちなわけないじゃない。……話が逸れたわね。もう一度言うけど、あなたは変わっている。考え方も、そして――存在すらね」
「魔王とは思えない甘さだと良く言われるよ。存在がと言われたのは初めてだがな」
白よりも銀に近い色の瞳が、真っ直ぐと俺を捉える。
ただ見つめられているだけなのに、心の奥底、そして――俺の知らない俺を見透かされているようだ。
話を続ければ、蓋をされた鍋から沸騰する熱湯のように、記憶を取り戻せそうだと思える。
しかし同時に、それは良くないと俺の中で警鐘が鳴っていた。
「……わたくしは見守るだけのつもりだったのに、どこで間違ってしまったのかしら」
「仮にお前の発言を真に受けるとして、本当に可能なのか」
「わたくしの真名は――ネメシス=テオーシア。階位は〈中位存在〉。あなた方の言葉で表すなら〈神〉と呼ばれる存在。不可能ではありません」
穏やかな微笑みを返され、自身の問いが愚問だったと知る。なかなか興味深い単語も出たが、今は言及するような時ではない。
同時に俺は密かな期待を抱いた。努めて表には出ないようにだ。
人間である身には手に余る不可能でも、〈神〉ならば完全な蘇生も可能にではないか、と。
「神は高みの見物者かと思っていたが、考えを改めるべきか」
「いいえ。あなたの見解で間違っていない。神は基本的に介入はせず、傍観者に徹する者が多い。わたくしはとある方に影響され、下界に降りたに過ぎません」
「〈天界〉の住人にも、変わり者がいたとは……よくわからんがホッとした」
存在やら位とやらは違えど、同じ心を持つ者のようだ。
言葉遣いが妙なのは、恐らく人として演じる時間が長かった影響だろう。
「――もし〈神〉が、あなた方と敵対の意思を見せた場合……あなたはどうしますか?」
抱き上げていたギルシアをそっと地面に下ろしてから、俺の目を真っ直ぐと見ながら問いかけてきた。
ドレイアスを相手にしただけでも様々な情報を仕入れた。有益だからこそグリムたちと共有して話し合いたい。
それなのに川の流れるように、さらりと〈神〉だの〈階位〉だのと増やされては困る。
紅茶でも嗜みながら、落ち着いて整理したいくらいだ。
この上、更に追い込もうとしてくるのだから、目の前の人物は腹黒で間違いない。
「俺は周りが思っているほど賢くない身だ。交渉や非好戦などの友好的な関係が築けるならそうする。だがな、敵対する連中との会話が成立するだろうと、呑気に敗北する平和主義の趣向の持ち主でもない」
周りの、仲間の期待に応えるために、でもバレないように必死に思考を巡らせているに過ぎないのだ。
良い方法を導き出す、良い結果に辿り着く、そのために。
「だから、まずは叩きのめす。目には目を、歯には歯を。武力行使には武力を。俺たちの力を知らしめ、その上で交渉を持ちかける。他により良い方法がないか考えるのはやめずにな」
「相手が圧倒的強者だとしても?」
「ずるい話、その相手によって俺は対応を変えるはずだ。今回の問いへの返答がたまたま対立だったから、全てに歯向かう気力は現在のどの種族でも乏しい」
「皆があなたのように強者ではありません。弱者は強者に虐げられ、奪われるのが摂理となっている」
摂理と〈神〉の一柱に宣言されると重みが違う。
「――なるほど。あんたは、そんな不条理を認められなかったわけだ」
「……間違っていないわ」
「あと、そういうのを問いかける相手は〈魔王〉より〈勇者〉にするべきだろうよ」
「そうかもしれない。……でも、あなたに訊いてよかった」
ネメシスはそう言って穏やかに微笑む。
それは――見覚えのある顔だった。
残される者を不安にさせないようにするための優しくて、悲しそうな表情。
「ふざけるな。この俺が2度も見捨てるとおも――ぐっ……こんな、時に……!」
まるで狙い済ましたかのようなタイミングで頭痛が蘇る。
ついでに目眩すら起こすのだから、腹が立つにもほどある。
歯を食い縛り、ふらつく足に力を入れようとするが、やはり片膝をついてしまった。
「死者の蘇生は世界の禁忌に触れ、理から外れた行為。本来なら許されないこと。それを人の身で成したあなたが何者なのか、もっと知りたかった」
「――待てっ。勝手に話を……進めるな! 〈神〉でも駄目なのかよ!」
「お優しい方。やっぱり、ギルシアの目に狂いはなかった」
伝説やお伽噺に出てくるような〈神〉であっても許されない行為の代償。
ネメシスを中心に、無数に展開していく魔法陣は悔しいことに解析できなかった。
頭痛も原因には含まれるが、やはり俺よりも上位の存在だからなのだろうと、無理やり納得することにした。
「〈勇者〉を仲間と呼んだ〈魔王〉は、世界の長い歴史の中であなたがふたり目。そう言えるあなたなら、叶えられるかもしれない。過去のふたりでは悲しい結末とは別の未来を……。最後にひとつだけわがままを言わせてもらうわ。ギルシアに――ありがとう。あなたと出会えてわたしは幸せだった……さようなら。そう、伝えてほしい」
聞きたいことがたくさんある。
明かされる真実がたくさんある。
恐らく訊けば、最後の力を振り絞って応えてくれる可能性が高い。
しかし、それをネメシスは望まない。
「良いだろう。レグルス・デーモンロードの名に懸けて、しかと伝えよう」
「ありがとう――」
両手を広げて天へと上げ、瞳に空を宿す。
「理より外れし願いを、我が祈りを昇華せよ――〈天へと捧げる贄〉」




