『美少年』
とりあえず壁作りは成功。作戦の第一段階はクリアされた。
にしても、こんなに攻撃してこないとは思わなんだ。お相手の指揮官殿はかなり慎重な性格のようだ。
そんな動こうとしない彼らに揺さぶりをかけるべく、事前に捕まえておいた相手さんの仲間らしき人物をカウントダウンが進むと同時に浮かせた。
曇りなのが助かった。俺の姿は奴らには人の形をした、文字通り人影にしか見えていないだろう。逆に浮かんでいる奴らには良く見えるようにしておいた。
我ながら安っぽい挑発だが、王国騎士の“仲間意識”はどの程度なのか推し測れるので方法としては悪くない。
「ん?」
一人の魔力が大幅に上昇している。誰だ、と遠くを見るように額に片手を添えて地上を見渡してみると美少年を発見――あれか。マクシスなんたらかんたらって奴。
たしかに美少女と紹介されたら騙されるくらいの美貌だ。
隣りにいるのが副官か、それに値する人物だろう。美少年に必死に何かを言っているようだ。ここからは遠すぎて内容まではわからない。
「や、め、ろ? ここは、耐える、んだ?」
たぶんこんなことを言っている気がする。口パクを読み取っただけなので自信はない。俺はそういう特訓したことないし。
耐える、ねぇ。もしかしたらあの美少年の魔力の上昇は怒りの感情によって引き起こされたもので、湧き上がってしまった強大な力を制御できないのではないか?
いやいや、名高い〈王国の守護者〉に選ばれるような人物だ。そんな危険な要素を含んでいるわけが……。
「来いッ、クァイムアルビオン!!」
美少年が高らかに手を正面に翳して叫んだ。手の下の地面に魔法陣が描かれ、そこから杖……じゃなくて剣……でもないような訳のわからないものが出てきた。
あぁ、あれが杖と剣を掛け合わせた〈杖剣〉ってやつか。でかいなー。
それにあの名前聞いたことがある気がする。
ていうか、俺にも声が僅かと言えど届いたぞ。随分と元気な奴だ、などと悠長に考えていたら美少年が膝を曲げ、跳躍の姿勢を取ったのを確認した次の瞬間――
「――許さない!」
音より速く俺に杖剣で斬りかかってきた。魔力による身体強化を足に集中させて、跳躍力を爆発的に上げたのだろう。
綺麗な顔で鬼の形相とはなかなか怖いものだ。
腰に携えていた剣を抜いて防ごうとしたのだが、ナイフでバターを切るかの如く、まるで意味を成さなかった。
ただの鉄は無駄か。ならこれならどうよ?
「っと、危ない危ない」
「逃さない!」
獣だなこりゃ。怒りに従って敵を屠る知能のない獣だ。
下の連中はどうしているのかと視線を落とすと、美少年の暴走をあえて利用して壁を登ってきていた。
段取りは少々違うが、ここで捕まえていた奴らを解放し、上から落としてあげた。ちゃんと受け止めろよ?
まぁ、最悪受け止められなくても地面に衝突する寸前に止まるように魔法はかけてあるから心配ご無用。
俺に残虐趣味はないのでな。
「ハアァァァア!!!」
普通の鉄の剣では無意味。次に魔力を込めたものならと試してみたけど結果は同じ。
「あっ、思いだ――したぞ」
振り下ろされた巨大な杖剣を後ろに身を引いて躱わす。
〈麗剣クァイムアルビオン〉――王国の至宝の一つで、選ばれた者にしか使えない伝説の宝剣。かつて英雄も使用していたとされる神聖なもの。
お勉強の内容にあったわ。グリムにはたしか……正面から戦うのは無謀です。撤退も視野に入れるべきだ――とか教わったっけ。
こんなに早く拝むことができるとは感激だ。
ふむ……。仲間を返しても怒りは収まらず。まあ自分でもコントロールできていないなら当然だな。
麗剣の性質にこんな破壊的な衝動があるとは習っていない。つまりこのバーサーカーは美少年――もとい、マクシス自身のものと考えた方が正しいか。
「お前がマクシスって奴だろ。少しくらい話をしようじゃないか」
問答無用で杖剣を振ってくる。
「ちょっとくらい良いだろ」
ブンッ。
危ない危ない、ちょっと掠ってしまい服の裾がスッと斬れる。
「力だけでは何も解決しないぞ」
側面から攻めようとしたが、杖剣に安易に触れられないと考えを改めた。
「騎士ってのは、話すら許されないのか?」
「お前は、お前だけは許さない!」
会話どころか意思疏通すらできそうにない。
コジュウロウタたちが言う噂やイーニャの話で見込みのある奴だと思っていたのに残念だ……。
それに仲間を返したら、壁を登って来ていた奴らがいつの間にか地上に降りておるではないか。
連携できないにしても、補助や援護くらいはしてやれるだろうに距離を取るってことは……するとなにか?
こいつは味方に攻撃したことがあるって証明しているのと同義だぞ。
仲間すら認識できない正真正銘の獣か。
「俺は話の通じない奴は嫌いでな、踏ん張れよ?」
充分耐えてやったぞ、マクシス。イーニャの弟と聞いたから、特別に手加減をしてやるよ。
杖剣には物理も魔力も通じない。だからどうした?
武器以外に攻撃できる場所があるじゃないか。
ふぅーと息を吐き出して、雑念を追い出す。そして身体の力を抜いて空気を迎え入れる。
そのまま波が流れるように迫り来る杖剣を躱わし、拳に意識を集中させた。
「はあっ!!」
全身の力を拳一点に込めて、マクシスの綺麗で整った顔に思い切りぶつけた。
「ぶはっ――」
ヒューと風を切るような音を立てながらマクシスは地面に叩きつけられて窪みを作った。美少年の顔面を殴ってしまった罪悪感はあまりない。
「まだ続けたいと言うなら、一度出直してきたまえ。仲間の一人も制御できない連中の相手などしたくないわ」
なんだこれは。拍子抜けにもほどがある。
俺は熱きライバルとか好敵手とか名勝負とかを期待していたのに、こんな様を見せられては困る。
俺がため息をつく間に、倒れたマクシスを副官らしき奴が肩に担いで全員に撤退の指示を出していた。
潔いな。案外あいつの方が強いのかもしれんな。
バーサーカーになっていたが、マクシスは弱くはなかった。むしろ強いくらいだ。ただ理性を失った奴の対処は簡単だっただけの話。
て言うかあの杖剣、使ってみたいな。どんな感じなんだろう。
まぁ、本当に戻ってくるかはわからないが、その時は本当の実力を見てみたいものだ。
俺は苦笑して、報告のために村に戻るべく身を翻した。
「……これは」
斬られた片手剣の残っている部分で、飛んできた何かを弾いて呟く。その直後、それは爆発した。
煙の中で俺は笑った。
「はっはっはーっ」
なるほど、俺の予測は間違ってなかったらしい。
挨拶代わりのつもりなのだろう。
村人たちには悪いが、俺は魔王として自分がこれから戦うかもしれない相手の情報が欲しいんだ。
壁は作ったから、まだ村に行くつもりなら時間稼ぎは全然可能。
「うぅ……」
ちょっとはしゃぎすぎて無理をしてしまったかもしれない。
くらくらするぞ。これが例の魔力酔いとか言うやつか。
そりゃあこんなでかい壁を作れば魔力も無くなるわな。
あははははー。って、笑ってる場合じゃねえし。一歩間違えれば死んでたし。
次は話が通じることを願おう。
「ん?」
「あ……」
壁の下に降りると、イーニャが待ちくたびれた様子で待っていた。
「どうなったの?」
心配するような表情を浮かべる。マクシスのことが気になるのだろう。腹違いとは言え、大切な弟だからな。たとえ相手が自分の存在すら知らなくとも、思いを寄せるのが“姉弟”なんだ。
こいつは馬鹿だしドジだしスパイには思えないけど、こいつなりにちゃんと姉はやってるんだ。
「お前の弟が襲ってきたんでな、一発ぶん殴ってやったわ」
「えっ? ななな、なにそれ、どういうこと!?」
簡単な経緯を説明すると表情がコロコロ変わって楽しかった。
「手加減はちゃんとしたぞ」
「でも顔を殴ったんでしょ」
「ああ。噂に違わぬ美少年だった。殴ったけど」
「他に方法があったでしょ!」
「いやー、それがー、俺も結構危なくてなー」
ぷんぷんと沸騰したお湯のように怒ってくるイーニャと追いかけっこをしながら、今日の出来事を一人で振り返る。
――マクシスのあの状態。みょーな違和感を感じるんだよな。
イーニャもそんな力があるなんて聞いたことないって言ってたし。スパイだからな、記憶操作とかされてるかもしれないが、少なくともイーニャ本人は本当に知らないらしい。
王国はいったいどんな手段を使っているのやら。美少年の姿の裏に、得体の知れない存在を感じた戦いだった。