『囚われし者』
〈人間族〉と〈魔族〉の戦争が激しかった時代。
日に日に苛烈さを増す戦場で、人間たちは疲弊しきっていた。
「思い出せ! 我らが倒れれば、家族が、愛する者が蹂躙される。そんな悲劇を許していいのか!!」
いつも先陣を切り、王国騎士たちを鼓舞するひとりの男がいた。
その男がいなければ、恐らくは歴史が変わっていただろう。
「ハッハッハッ、勢いが落ちているな魔族ども!」
男は疲れを知らず。
「我らは勝利を持ち帰る。そう誓ってここに来たはずだ! 思い出せ、誇り高き王国の騎士たちよ。人間の尊厳と平和を守るのだ!」
男は諦めを知らず、仲間たちをいつも奮い立たせ、勇気を与えて戦う。
その背中に、もう一度立ち上がる力を与えられた者は数知れず。
「我らの正義の安寧のために、魔族と言う悪を滅ぼすのだ!!」
自分たちをまるで餌のようにしか思っていない〈魔族〉を絶対悪と、その根元を立てば世界が平和になると心の底から信じていた。
そう。
男は真っ直ぐだった。
それ故にばらばらだった者たちを、仲間として率いることができたのだろう。
しかし、それ故に絶望を知らなかった。
◆◆◆
翌日、男が率いる部隊は、たったひとりの〈魔族〉に壊滅させられることとなる。
「お逃げください。あなただけでも――」
「我々が時間を稼ぎます。どうか――」
「あなたがいれば、私たちは何度でも戦えるのです」
撤退を余儀なくされ、隠れた場所も見つかりそうになった時、男と共に戦ってきた者たちが皆、口を揃えて「生きてほしい」と彼の生存を望んだ。
己が命を犠牲にしてでも。
「断る! 仲間たちを見捨てて、命欲しさに自分だけ逃げるなど、私にできるわけがないだろう!」
予想していた反応を前に、しかして仲間と呼ばれた者たちは悲しげな表情を見せ、後に微笑みを浮かべた。
「あなたと共に戦うことができたのは、我々にとって何よりの幸福でした」
「許さない、これは命令だ。私と共に生き、る――」
男は命令を伝える前に気を失った。
「ご無礼を。この罰は、次にお会いした時に」
「どうか、ご無事で」
「あなたは我々の希望です――ドレイアス様」
意識を失い、その場に寝かせた指揮官にお辞儀をし、彼らは戦場へと駆けた。
負けるとわかっていながら、全力を尽くして立ち向かった。
死を待つだけだった自分たちに希望を与えてくれ、更には仲間と呼んでくれた、彼らの〈英雄〉を守るために。
腕が飛ばされても怯まず、足が飛ばされても這いずって、最期の最後まで彼らは戦った。
「――これでは私が悪か」
そして、死んでも立ち上がる諦めない精神を前に、部隊を壊滅にまで追い込んだひとりの〈魔族〉は身を翻し、その場を立ち去った。
ついに守りきったのである。
圧倒的な絶望を前にしても、諦めなかった者たちの命を懸けた奮闘のおかげで、全滅は免れた。
しかし、自分たちの死が〈英雄〉の心に影を落とす原因となるなどとは考えていなかったであろう。
「――く……あぁ……ぁぁ……うああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
気絶させられてから数時間が経過し、ようやく意識を取り戻したドレイアスが目の当たりにしたのは――絶望だった。
言葉にならない声が、死者へと届かせんとするように空気を震わせた。
共に戦い、共に笑い、時には反発した仲間たちの無惨な死体が辺り一面に広がっていた。
彼の心が呼び寄せたのか、雲が空を覆い、次第にポツリポツリと滴が落ち、やがて雨となって降り注いだ。
「…………」
雨に濡れ、服が肌に引っ付いても気にせずに――否。
もはや気にする余裕など、彼の心には残されていなかった。
ただ、ただ、自分を慕ってここまで共に過ごし、命を賭して守ってくれた者たちを埋葬する。
それだけを行うために、ドレイアスの腕は、足は、頭は動いていた。
全ての仲間を埋葬するまで、彼は何も食べず、何も飲まず、無心に動いていた。
「…………最後だ」
最後の埋葬が終わる頃には雨は止み、日が沈んだ空には無数の星が瞬く。まるで散っていった仲間たちが、別れの挨拶を告げているようだ。
「お前たちが生き残らせた我が命。決して無駄にはせぬ。ここに誓おう。我、ドレイアス・ウィル・ヴァンダグリーフは、必ずやお前たちの命を奪った奴を殺し、忌まわしき魔族を滅ぼすと! そして、お前たちの無念を、必ず……必ず晴らしてみせる!」
男は後に王国の歴史上で最高の国王と称される――ドレイアス・ウィル・ヴァンダグリーフ・アインノドゥスとなる。
民を憂い、民を思い、民を大切にして身を粉にして王の務めを果たし続けた。それが散っていった者たちへの手向けだと信じていたから。
だが、その思想は時の流れと共に――崩壊していった。




