『打倒』
「貴様ら、魔族に……災いあれ!」
片腕を失い、大量の血を流しながら恨みや憎しみを存分に込めた最期の言葉を発する。
「心配するな。魔界ではいつも災いが起きている。お前の願いは既に叶っているから安心しろ」
「な、なにを……?」
想定外の返答に苦痛と困惑の表情を浮かべる王国騎士。
この場に残る王国騎士の最後の生き残りだ。
「おやおや、まさか知らないのか?」
〈魔族〉は倒すべき敵。
たったそれだけを教えられてきたのだろう。
「知らずに戦っているとは、お前たちは……やはり愚かだな」
「王国を、愚弄することはゆ――る、さ……」
斬られても少しは言葉を発せられるのは不思議だな。
「血が……。今流すね」
「いや待――」
制止は間に合わず、イーニャは善意で水魔法で俺をびしょびしょにして、あちこみに飛び散った血を洗い流す。
それを俺が自分で風魔法で乾かす。
しっかりと暖かい風だから、風邪を引く心配もない。
「へっくし」
これは生理現象だ。
決して寒いからではないとも。
「これで大丈夫」
「……」
暖かいお湯が頭上から落ちてきた。
ここまで来るとわざとやっているのではないかと思えてくる。
しかし、イーニャの様子を常に窺っていたが杞憂に終わったようで何より。
何故なら、王国の連中によってイーニャの心臓に仕掛けられた自爆魔法を解除したのはつい先日のことなのだ。
何処のどいつがあんな複雑な術式を構築したのか気になるのだが、今は目の前の戦闘に集中するとしよう。
「――こうも早いと予定が狂う」
ぼやいている場合ではないようだ。
〈七ノ忠臣〉のひとり――ゴイレン・ウェンザルムが殺られた。
「囲まれて集中攻撃とは……ゴイレンの奴、油断したな」
「七ノ忠臣の中では一番弱いと言えど、そう簡単には負けないはず。うかうかしていたら足元を掬われるかもね」
「様子を確かめに行きたいのだが……どうやらそうもいかないらしい」
ゴイレンがいた戦場の方から、視線を横に移す。
そこには王国の騎士の服を着崩した男が悠然と佇んでいた。
その顔には斜めに大きな傷が刻まれている。
気配は急に現れた。微かな魔法の余韻……転移魔法か。
「こんなところでまた会えるなんて、運命を感じてしまうな――シグマ・セイレーン」
男には俺よりも意中の相手がいるようで、仮面シグマの方を向いていた。
隠蔽魔法をすり抜けるとは、なかなかの手練れのようだ。
「人違いではないか?」
当のシグマは本当に見抜いているのか揺さぶりをかける。
「間違えるわけがない。オマエにつけられたこの傷が疼いているのが証拠だ」
ニヤリと口角をこれでもかと言わんばかりに上げる。
「(〈悪魔の双爪〉と恐れられる、王国の守護者序列5位――ラウルス=ヴォルフガング。シグマ・セイレーンとは意見の違いで何度も争ったと)」
相手の詳細をグリムが教えてくれた。歩く知識書だな、まったく。
なるほど。
ライバルみたいな奴だな。
「オマエへの恨みはな、魔法や見た目で誤魔化されるような、安い感情じゃないんだよ」
ラウルスは殺気を露にする。
もはや戦闘は避けられまい。
「……仕方ない」
ため息をつきながら前に出るシグマ。
「良いのか?」
「いずれ決着をつけようと思っていた。ここは私たちに任せて先に行け」
「……そうしよう」
気付いているようで良かった。
相手はラウルスひとりだけではない。
ラウルスの隣に不可視化している奴がいる。
一緒に行動するからにはそれなりの実力者。つまりは〈王国の守護者〉と考えるのが妥当だろう。
あいつは最初から一騎討ちをするつもりはないのだ。
だから良いのかと訊いたが、無用な心配だと一蹴されてしまった。
「さっさと来ないと、俺が獲物を全て奪うからな。――行くぞ」
「それは急がないとな」
シグマに忠告してから俺たちはその場を後にした。
ラウルスはちらりともこちらを見なかった。
全くの興味なしのようだ。
「喰らい尽くせ――〈蒼爪ローグペイン〉」
雄叫びのような詠唱の後、ラウルスと両手に青く鋭い爪が現れた。
「――オォラッ!!」
先に仕掛けたのはもちろんラウルスだった。
常人なら10歩の距離を一度の跳躍で済ませ、回転しながら爪を振り下ろす。
長刀の先端を下に向け、迫りくる爪の軌道をずらすことで回避しつつ、シグマは何故か軸足になっていた右足をズサリと後ろへ下げた。
「――チッ」
直後、舌打ちと同時に先程シグマの右足があった場所から爪が生える。
振り下ろした方とは逆側の爪を地面に突き刺して不意打ちを仕掛けようとしていたらしい。が、シグマはそれを見抜いて回避してみせた。
「貴様の卑怯は見飽きた。以前ならともかく、今の私には貴様の小細工は通用しないぞ」
シグマの堂々たる宣言に不機嫌そうに眉を歪めるラウルス。
「ハッ。口だけは達者になったようだな!」
話の途中でもお構いなし。
ラウルスの爪がシグマに再び迫る。
「無駄だと――言っている!」
「――ガァッ」
金属同士の衝突時特有の甲高い音を周囲に響かせ、シグマは長刀を爪の間に差し込んで向きを変える。
それによって、腕が捻れるようにすることでラウルスの体勢を無理やり崩した。
――使うぞ、貴様の技を。
思い浮かべるは、かつて自分が受けた一刀。
放つはそれを自分に合う形で整えた一刀。
「紫電一刀流――〈月旋〉」
疾風の如く放たれた一刀はラウルスの身をしっかりと捉え、斬撃としてふたつめの傷が刻まれた。
「――ガハッ」
長刀に付いた血を振り払い、シグマは膝を屈した者を見下ろす。
「……なぜだ。なぜ勝てないッ! オレもオマエも力を求めてここまでやって来た。なのになぜ、オレはオマエに負けるんだよ!!」
斬られた傷に表情を歪めながらも、自分を見下ろすシグマに胸中を叫ぶようにぶつけた。
「求めたものは、私も貴様も変わらない。……だが、求める理由が違ったんだ。私は、大切な者を取り戻すため……今は大切な者を守るために変わっているがな。――貴様はどうだ?」
真実を偽らないように鋭い眼光でラウルスを睨むように見つめた。
シグマの言わんとしていることが伝わったのか、彼は苦汁を噛み締めるような顔になる。
「ハッ。相変わらずオマエはマジメ野郎だぜ。そうだよ、オレはオマエみたいに誰かのためじゃねえ、自分のために力を求めた。くだらねえ、くだらねえよ」
いったい何に対しての、誰に対しての嘲笑だろうか。
「たったそれだけの違いで負けたのか……」
「私と貴様は人間だ。単純な力量で他種族より劣っている我々が生き延びてきた理由は、思いの強さだと私は信じている。誰かのために尽くせる心の強さが、どの種族よりも一番だったからだと」
それはシグマの見つけ出したひとつの到達点なのかもしれない。
身を引き裂かれるような苦しみを味わい、死にたくなるほどの無力を思い知らされ、それでも立ち上がったシグマ・セイレーンの至り。
「理由を改める時だ、我が好敵手よ」
シグマは手を差し伸べる。
自他共に認める好敵手へと。
「笑わせてくれるぜ……」
苦笑しながら、それでも何処か嬉しそうにも見える表情で彼はその手を――。
「――っ!?」
何が起きたのか、シグマはすぐには理解できなかった。
そして、数秒の時を経て、ようやく目の前の現実を理解する。
差し伸べた自分の手を握ろうと伸ばされた手に突き飛ばされた己を。
ようやく手を取り合うことが叶うはずだったその手の持ち主の姿を――。
「――ラウ……ルス……?」
声にならない音を絞り出して辛うじて好敵手の名前を呼んだ。
返事がないと頭では理解しながら、シグマは呼ばずにはいられなかった。
もはや伸ばされた手しか残っていないラウルスの名を――。




