『警告』
コンコンコン。
〈長耳族〉の皇帝が用意した部屋で休んでいたグリムは扉に意識を向けた。
時は月が空に上りきった頃合い。
――こんな夜更けにいったい誰でしょうか?
この部屋には彼ひとりで、フィーネとシェナは同室でふたり仲良くしていた。今頃ははしゃぎ疲れて眠っているだろうとグリムは推測する。
コンコンコン。
再び扉をノックする音が聞こえた。
グリムは目を細めて口角を上げる。実は尋ね人が誰かは把握していた。
その上でわざと、怪しいからどうしようか悩んでいる振りを選んだのだ。
コン、コン、コン。
しびれを切らしたのだろうか。ノックの音に間隔があった。
「扉を壊させるとこちらの責任になりかねません」
仕方ないと重い腰を上げて出入り口の扉の前に立つ。
「どちら様でしょうか?」
しかし、こんな面白い状態を簡単に終わらすのはもったいないと思ってしまうグリムである。
「――貴様。慈悲深いこのわたし自らが警告をしに来たのに閉め出しとは、これはもう喧嘩上等でいいんだよな?」
物騒な言葉遣いの一度聞いたら忘れるのが困難な、独特な低さと甘さを兼ね備えた男性の声。
「寛大なお心の持ち主であるあなたなら、このような戯れで罰さないと考えていたのですが……私の勘違いでしたか」
「まったく……。そういった戯言ではぐらかされてしまうから、わたしは貴様が嫌いなのだ」
一枚の板越しでも言い合いをするのはふたりにとっては容易い。
むしろ、板を隔てているからこそこの程度で済んでいるのかもしれない。
「お待たせしました」
「随分と待たされたよ」
扉を開けてフードで顔の半分を隠す客人を部屋へと招く。身分が上がると外出するのも大変そうだとグリムは苦笑する。
見事な手際で紅茶を用意し、椅子の上で仏頂面の客人に差し出した。
「……美味しい。それに香りも良い」
紅茶を淹れた人物へ悔しげな視線を送る。
昔と相変わらぬ面持ちで、何でも見抜く思慮深さ、何でもこなしてしまう手際の良さ。
過去の因縁は忘れ難き。かといって無闇に争いを起こすには、今の彼はあまりにも地位を得てしまっていた。
「――変わらないな」
顔を隠すフードを取り、その素顔を露にしながら彼は言う。
「……変わったさ。お互いに我慢を覚えた、違うか?」
口調から堅苦しい形式はなしにするべきだとグリムは判断した。
身分など関係なしに彼らは話をするのだ。
自由だったあの頃を思い浮かべるように遠い眼差しを見せた。
「認めたくないがな。歳だな、互いに」
「エルフには負ける」
皮肉を聞きながらレンフィアは小さな魔法陣を描き、それが淡い光を放ったと思いきやすぐに消えた。
「遮音魔法をこの部屋にかけた。これから話すことを万が一にでも口外されては困るからな」
美しい容姿であっても長寿である種族〈長耳族〉に変わりない。その中の皇帝、長ともなれば貫禄を前にしただけで誰もが息を呑んでしまう。
しかし、グリムは決して臆することはない。相手がそれを望んでいないのを彼は知っているからだ。
だからあえて、皇帝相手に堂々とした態度を取るのだ。
「まず話の前に訊いておきたい。魔王フレズベルクは本当に退位したのか?」
「それはまだ言えない。が、戦争が始まる前には世界中に知れ渡るよ」
ほとんど自分が求めていた答えが返ってきて思わず苦笑し、レンフィアは話を続けた。
「なら、わたしはその時を待つとしよう」
「本題は別にあるのか」
「ああ。新たな魔王よりも、こちらの方が重要だ」
「断言するとは」
「段下するとも。話の内容を聞けば、貴様も同じ気持ちになる」
そこでレンフィアは紅茶を一口つけて喉を潤し、先程の軽い口調から一転して重苦しい雰囲気を纏った。
「今、王国には世界中から注目されている、ノルンと言う人物がいるらしい」
名前を出せば反応があると思っていたレンフィアだったが、グリムは眉ひとつ動かさずに話に耳を傾けていた。
こんな揺さぶりで動揺するのなら、魔王の娘の護衛などやっていないかと、少しでも期待した己の考えを自嘲する。
「魔獣バルログナを退け、王国に攻め行った法儀国とも戦ったと言うではないか。その前にも炭鉱の街で一暴れしたとも。もはや注目されない方がおかしいレベルだ」
グリムはここで自分の考えを改めた。
〈長耳族〉が閉鎖的で外界にはあまり興味を持たない。もはやそれは昔の話だと彼は判断する。
少なくともレンフィアは積極的に外の情報を仕入れている。
暴れたとはいえ、ノルンと名前を知っているのが何よりの証拠だ。
「我が陛下とどんな関係が?」
「わたしはノルンが新たな魔王だと睨んでいる。些か疑問なのは、身分を隠そうとしているわりには、問題の中心に彼がいる事実。自分はここにいるぞと示しているのと同じだ」
レンフィアはまだ諦めておらず、真正面から相手の瞳を睨むように見つめる。
「目立ちすぎだ、と。ならば、自身の詠みが外れているとは考えないのか?」
「ノルン。どこの馬の骨ともわからぬ者に会った日から、我が娘の話題はそいつのことばかりだ」
彼らの義理の娘であるシェナが凄腕の情報屋なのはグリムも知っていたが、まだまだ年頃の乙女であるのをここで改めて実感する。
「頼りないところもあるとしても、立派な女性に育ってくれた。……本当に、立派になぁ」
自分の知らぬところで日々成長していく娘を思いながら、レンフィアは項垂れていった。
レンフィアなりにしっかりと娘を育てているのだろうと感心するグリムである。
「たまに抜けた一面を見せるが、人を見る目は確かだ。そして、時期を同じくして貴様らがここを訪れた。偶然とするにはできすぎだと思うだろう?」
「やはり変わったな。昔は頭を使うなんて高等な手段を持っていなかったもの」
「皇帝を罵るとは良い度胸だ。……と、話を戻そう。わたしはノルンが魔王だという前提で話をする」
ずれにずれて長くなったがここまでは前置きだとレンフィアは言う。
「ノルンなる者は世界中から注目されている、と先程も言ったが、これはまさに種族問わずだ。無論、その中にはわたしも含まれている」
あそこまで派手に実力を示せば自ずと注目されるのはグリムとて理解していた。
しかし、それはレグルス自身も同様のはず。となると何らかの策や思案の末の行動だと判断した。
フィーネの護衛として旅に同行した目的の中には、レグルスの真意を直接確かめるためでもあった。
「そして、噂程度の情報だが――騎士王が目をつけているとも」
「――ッ!?」
その名を聞いてグリムが目を満月のように見開いた後に、顔を隠すように片手を添える。
疲れきったため息をレンフィアの耳は捉えた。
〈騎士王〉――この名が示すのは世界でも一人だけである。
「忠告を忘れないようにするよ」
種族問わず幼い頃に伝えられる言葉がある。
――悪さをしてると騎士王の聖なる剣で裁かれる。
他にも呼び名はあり、無敗の王や聖王とも呼ばれ半ば恐れられていた。
だが、グリムは恐怖どころか心の中で称賛する。
見る目がある、と。




