『ずれる』
それはライスターに連れていかれたリュウヤとシグマが稽古を受けていた時に起こった。
「……?」
リュウヤとの攻防を繰り返して、ふと首を傾げる獣王。
「妙だ」
呟いてから距離を取る。
「シグマ、気付いているか?」
目線はリュウヤに固定したままでシグマに向けて尋ねる。
その問いだけでどんな内容なのかを察してシグマはゆっくりと頷いた。
「フッ、ハッ、セェヤ!」
「ずれている」
そこで一旦稽古は止められた。
「リュウヤ」
「ん、なんだ難しい顔して」
獣王の思案なんぞ関係ないと言わんばかりの能天気さで返事をする。
「貴様、心眼という言葉を聞いたことはあるか?」
「しんがん……いーや、ねえな」
少しだけ考え込む仕草の後に、自分もライスターと同じような難しい表情をしているとも知らずに答えた。
「なんなんだ、そのしんがんってのは」
「心眼とは――瞳で見るのではなく、心で世界を見るためのものだ」
「なんかとにかく、すごいやつだろ」
言いたいことのほとんどを察しもせずに話し合って損はないと判断した。
「相手の所作などから、相手の動きを先を予測する。それが心眼だ。使いようによっては相手の動きを完封することも不可能ではない」
一種の未来視に近い認識で、戦うものならば一度は耳にしたことがある極意のようなもの。
なぜそのようなことを尋ねたのか?
「――ずれている?」
獣王が告げた一言を繰り返してそのまま聞き返す。
「貴様の動きはどうもたまにずれることがある。まるで心と身体が別々にでもなったようだ」
ごく稀にこちらの動きを先読みするかの如く、防ぎにくい絶好の機会に何度か攻撃をねじ込んできたからだ。
「その原因が心眼だとライスターは考えていると」
「正確には素質がある、だがな。もともとの身体能力は低いものでない。そこに心眼を使いこなせば、勇者に相応しい実力者にもなり得る」
「教えて下さいっ!」
風を切るかの勢いで頭を下げるリュウヤに、一瞬だけ驚いた表情をする獣王。
強くなるための新たな可能性が差し出されたのだ。リュウヤはそれに食いつかないような奴ではない。
良くも悪くも真っ直ぐな性格なのだ。
「心眼を会得するには本人の素質とそれなりの訓練が必要になると書物で読んだことがある。しかし、その詳しい訓練の内容は少数の人物しか知らないとも記載されていた」
誰がリュウヤに心眼の訓練を行うのかと純粋な意見を述べるシグマ。
「我がやろう」
「そうか。それなら安し……ん?」
あまりの自然な流れの言葉にシグマは納得しかけて首を傾げた。
「――ふっ」
珍しい光景に俺は笑いそうになって、口元を両手で塞いだ。
「言ってなかったか。我は心眼を会得しておる」
「丁度良い。シグマもライスターから心眼の至難を受けたらどうだ?」
笑いを誤魔化すべくちょっとした提案をしてみる。
シグマにとっても悪くない内容のはずだ。
俺の旅に同行するとしても、弱くなるならまだしも強くなる分には困らないだろう。ましてや奴が抱く野望のためには強さは必須条件とも言える。
先日の序列1位と対峙して俺も改めて己が力の非力さを思い知らされた。
俺より付き合いの長いシグマなら、よりその実力を知っている。
「……認めたくはないが、このままでは私も足手まといになりそうだからな」
表情を曇らせながらその目は遠くを見ていた。
「……」
俺は顎に手を当ててそんな落ち込むシグマを眺める。
なるほど。これはギルシアではないな。
俺と獣王の決闘が影響しているようだ。
「ならばわらわも助力致そうぞ」
背中に投げ掛けられる少女の声。
そちらを振り向くと女子たちを引き連れたメリーが仁王立ちしていた。
「我が娘も心眼を会得しておるぞ」
「なにぃっ!?」
ぶんっと体と首を回転させてメリーの方に向き直るリュウヤ。
こういう奴のことを、動きがやかましいと言うのだろう。
「選ぶのはシグマだ。どちらを選ぼうと責めたりはしないから安心したまえ」
賑やか勇者を横目に、シグマに続きを促した。
「私は……」
肩に乗るミニバルログナに視線を向ける。
可愛らしい鳴き声を返すミニバルログナにふっと顔を綻ばせて深呼吸を一つ。
「ライスター」
獣王に体の正面を向けて姿勢を正す。
「私にも、心眼を含めた稽古をしていただきたい。――仲間を守るために強くなりたいのです」
そして、シグマは頭を下げた。
リュウヤの弱くはないのと違い、シグマは間違いなくこの世界でも強い部類に属する奴だ。
〈王国の守護者〉序列4位は伊達ではない。戦った俺が身をもって体験している。
しかし、王国への反逆を選んだ以上、生半可な強さでは断じて足らないのだ。
これからシグマが相手をする可能性がある者たちは、〈人間族〉の最高峰の実力者たち。
「真面目だな」
近い場所でそれらを見てきた。
更にはそれらと同等、あるいはそれ以上の強さを持つかもしれない俺と獣王の決闘を目の当たりにして、自分自身の力と向き合わざるを得なくなった。
思わず呟いてしまうのは仕方ないだろう。
シグマもリュウヤに負けず劣らず真っ直ぐな奴なのだ。
「頭を上げろ。下げずとも、もとより貴様らを稽古するのは我の中で決定しておる。国王の許可も得て、準備万端だ」
年甲斐もなくニカッと笑って見せるライスターに、シグマは感謝を伝えずにはいられなかった。
「リュウヤ、シグマ、カグラ、イーニャ、アカネ――長い年月を生きた我には貴様らは眩しい。その背中を思わず押したくなるほどにな」
「…………?」
おや?
俺の名前が入っていないのだが?
疑問を表に出して主張する俺など眼中にないとばかりに話を進めた。
「リュウヤとシグマ、それにアカネだったか。貴様らは我が鍛える。カグラとイーニャは我が娘に稽古をさせる。皆、精進するように!」
「「「はい!」」」
完全に蚊帳の外の俺を差し置いて、若者たちは獣王の号令に元気よく返事した。




