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意志欠落

作者: 惷霞愁灯

意志欠落


いつから、自分のしたくないことまでしなくてはいけなくなっている?そして、それをしなければ世界が狂ってしまうと教え込まれている?私が唱えたいのは、1人の行動のどうこうではなく、人間全体を通してである。

例えば、鏡に映っている自分の姿は、どうして自分の姿だとわかる?自分で確かめたこともないのに。

例えば、昔は、天皇のために戦っていたが、自分の命が大事だと気付いた。つまり自分の命より他人の命の方を優先させることは、理性で押し付けることができる。洗脳と非難されるかもしれない。けど、自分がそうだと信じるなら、その道に進むしかない。どんなに今から見れば外道だろうと、その道を選ぶだろう。将来の倫理的に、今の自分たちはどんなに愚かだったのかという考え方になるかもしれない。けど、そうなっても、現状が大事だと信じ続ける人はどれほどいるだろうか。

例えば、男女差別が騒がれている今の世で、男尊女卑の時代で育った人間はどれだけ蔑まれるだろうか。もし、地球で育った猿が女の祖先で、宇宙で育った猿が男の祖先だとしたら。それは全く別種の生物といっても過言ではない。けれどその事実に皆が気づいてなく、科学者が提唱した説が99%正しいと認められているならば。男女差別は卑しいことになるだろう。1%の可能性は疑わず、また愚かにも自分で実験、検証もしていないのにも関わらず、その人の言葉を鵜呑みにしている。

この世界にフィクションが存在するのは、それがノンフィクションである可能性が0ではないからだ。けれど、実際には見たことないし、科学的にありえないだろうと決めつけてしまう。それでいいのだろうか。

ここに、ワープ装置があるとする。一回こっきりしか使えないその装置を使用者はドッキリに使った。いるはずもない物陰から飛び出し、対象者を驚かすことに成功した。問題はここからだ。

対象者にどうやった?と聞かれ、使用者がワープ装置を使ったと言う。しかし対象者はそれを見たことも聞いたこともない。ではどうやってそれを証明するのか。対象者からすれば、そんなものは存在せず、自分がくるまで隠れ続けたと理屈づけるのが建設的だろう。

この世の中に上記の現象がどれだけ起こっているだろうか。

つまり私が言いたいのは、自分の目で、見たものを信じろ。そして可能性が1%でもあるなら、それを疑えといことだ。火のないところに煙は立たないという諺がある位だ。なにもおかしくはない。どんなに多数の人に嘲笑されようが、構うな。流されてる奴が人生において成功するかもしれない、だが構うな。そのような人生を望む者になりたいなら、見つめ直せ。

全てにおいて行えということではない。それは単なる阿呆である。自転車に乗りたい。はて自転車は本当に自分の力で回っているのか、もしかすると外部から特殊な力を受けているのかもしれない。と、調べ始め、続けたらキリがない(しかし、私はそうでありたいが)。不老不死の肉体であればその人生を望んだであろうが、そうとはいかない。節度を持った選択をし、信じる道を進む。それが出来ない者は自意識が欠落しているのかもしれない。

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