帰還
ゲートに戻ってもラピスはまだ夢の中にいるようだった。街道には未だに毒の沼が点在しており、とっぷり暮れた夜の中でも翠色にてらてらと怪しく光っている。天界の夜は明るい。煌々と照らす月は大きく真ん丸く、ほの白い光を放っている。
早く皇都の中心へ向かうべきだと思ったが、腕の中のラピスが見事に眠りこけているので何だか悪い気持ちになる。それに、発熱しているような体温や時折まじる咳も気になる。NPCにステータス異常があったとしても根本的な眠気や疲れなんて本来あるはずもない。毒消しを飲ませれば問題ないだろう。多少の強行軍にだって耐えられるはずだ。そう自分に言い聞かせたが……
「一晩くらい、構わないか」
結局、ラピスを集落の宿屋へ運んで治療師に診せることにした。頑張ってくれた彼女に無理をさせたくない。大の男である俺を運んで看病してくれた恩は、忘れてはいけないと思う。それが仕組まれたものだったとしても。
それに、皇都に着けばラピスとは離れ離れになる。そうすればもう一度仲間になって貰えるかどころでなく、再会出来るかどうかさえわからない。それは寂しい。親しく話せる友人など殆どいない俺にとって、彼女は貴重な存在だ。もう少しだけ一緒にいたい。
俺は腕の中のラピスを持ち上げた。自然とお姫様抱っこの姿勢になる。彼女にはふさわしいポーズと言えるのだろうか。ラピスはその質量まで妙にリアルだった。大剣をたやすく振り回せる腕力のはずならば、片手で彼女を持ち上げることだって出来そうなものなのに。
「それほどラピスって重いのか?」
「……むにゃ」
呟くと、ラピスのパンチが胸部に炸裂した。胸当て越しなのに重たいそれに、思わず彼女を取り落としそうになる。やっぱりSTR強いよ、ラピス……。俺は寝ぼけてかまされるパンチとキックに耐えながら街道を急いだ。
†
宿屋の主人は俺が話しかけると途端に慌てた様子になって、一番いい部屋……俺たちが泊まったばかりのそこへ案内してくれた。発熱と咳のことを話すと、集落唯一の治療師を呼んでくれることになった。安心して俺はラピスをベッドに横たえた。緩くおさげに編まれた蒼い髪が輝きを持って枕元に広がる。頬は上気して赤くなり、汗をかいているようだ。俺は木の椅子をベッドの方へ寄せて腰かける。
「……ん」
「悪い、起こしたか?」
ラピスは半目をしばたかせた。数秒で自分の状況が把握出来たらしく半身を起こそうとする。
「ブラッド……げほ、げほ……」
「起き上がらなくていい。治療師がすぐ来てくれるそうだ」
「ここまで運んでくれたのだな。悪いことをした」
「いや、ラピスも俺を運んでくれたんだろう? おあいこどころか、お釣りが来るぐらいだ」
「そう言って貰えるなら、ありがたい」
それからすぐに、宿屋の主人が治療師を伴ってやって来た。治療師は「ラピス様、おいたわしや……」と悲痛そうに呟いて、治療を始めた。
「毒の影響は微小なものですね。すぐ解毒出来ます。発熱は疲労による影響が大きいです。ラピス様を酷使させるとは」
治療師の怒りの矛先は俺に向くが、ラピスがそれを制止する。
「私も皇族として、国を守る責務がある。それをブラッドは手伝ってくれたのだ。感謝こそすれ責めるいわれはない」
「そうラピス様がおっしゃるなら……」
治療師はしぶしぶと言った感じで怒りをおさめ、呪文を唱え始めた。淡い緑色の光がラピスの体を包み込む。それだけでラピスの顔色が幾分か良くなった。魔法というのは便利だ。俺ももう少し使えればいいのにな。転職と言う手もあるが、大剣にロマンを感じているのでその選択肢はなきに等しい。
「大分楽になった。感謝する」
「そんな、とんでもございません! これで一晩安静になさっていれば回復致しますでしょう」
ラピスと俺は、安堵のため息をついた。
「ところで、差し出がましいことを申し上げますが……どこの馬の骨とも知れぬ輩とラピス様を同室にするのは如何なものかと存じます」
堅物らしい治療師が眼鏡を指で引き上げながら意見する。それは確かに……。本来なら一緒に行動を共にすることさえ叶わないはずの相手である。その上、弱った女の子と素性の知れない男が寝所を共にするのは常識的に考えて問題があるだろう。
「そうだな……俺は別の部屋へ」
「私は特に問題ないと思うのだが?」
「ら、ラピス様……」
「私は、ブラッドに付いていて欲しい」
「ダメか?」とラピスが汚れのない瞳で小首を傾げて聞いてくる。今まで女の子にそんな言葉を掛けられたことなんてもちろんない。顔に血が上ってくるのがわかる。アルビノ(脳内設定)の俺の顔色は今どんな感じなんだろう。
「顔が真っ赤だ! まさかお前も毒が残って……」
「い、いや……ち、ちが……」
やっぱり真っ赤だったらしい。焦りで生来のどもり癖が露呈する。首を全力で振って否定の意を示す俺の反応に、ラピスは不思議そうな表情をする。治療師は生温かい視線を向けている……気がする。あくまで気がするだけだろう。そうであってくれ。
「仕方ありません。ラピス様の意思を尊重しましょう。それでは、失礼致しました」
治療師は意外とあっさり引き下がる。扉の前で慇懃に礼をし、出て行ってしまった。俺とラピスは再び二人きりになる。いやが上にも意識してしまう自分がいた。さっきまで何てことのなかった空間が、特別なものになる。
「何で、俺のことをそこまで信用してくれるんだ?」
「おかしいか?」
素朴な疑問に疑問形で返されてしまった。
「私の依頼に嫌な顔一つせず応じてくれた。信頼に足る働きをしてくれたと思う」
「姫に近付いて、何かを企んでいるかも知れない」
「金か? 名誉か?」
「自分が犠牲になるとは?」
「それならばとっくに私はどうにかなっているだろう。死んだと噂されている者を、わざわざ人前にさらす真似をするのは間抜けじゃないか」
「まあ……そうか」
「一番大きいのは、あの竜の猛毒をわざわざ浴びる様な間抜けに人は騙せないという確信だがな」
「あれは……」
油断というか、慢心というか……。
口ごもった俺を見てラピスは悪戯っぽく笑ったが、またすぐに表情を引き締める。
「噂とはいえ、父上が伏しているという話は気になるな……早く王宮に戻りたい」
「気持ちは分かるが、俺は夜が明けるまで休むべきだと思う」
「分かっているよ。王宮には万全の状態で帰還したいからな」
「それじゃあ、おやすみ。ラピス」
「ああ、おやすみ。ブラッド」
ラピスは体を横たえ布団を掛け直すと、目を閉じた。椅子から立ち上がろうとすると、一瞬くらっと視界が歪んだ。レベルも高いし問題ないだろうと思っていたが、俺自身も疲労が溜まっているようだった。
眠い。
VRMMOをプレイしていて初めて睡魔に襲われた。脳に強い負荷を与えるプレイは制限され強制的にログアウトされるはずだから、ログアウト出来ない俺には相当な負荷がかかっているのかも知れない。早く王宮へラピスを送り届けるべきだったのかも。自分の選択に少し後悔するが、ラピスの安らかな顔を見たらこれでよかったのだと思えた。装備を外してベッドに潜り込むと、俺はあっという間に眠りに誘われた。
†
窓の外が白んでいる。
俺はぼうっとしたまま起き上がった。目をごしごしこする。
VRの世界で眠ったのは初めてだったが、十分に眠った感覚があった。この世界では朝だけれど、実時間はどのくらい経過しているのだろうか? 分かるのは2時間で一日と設定されているセレスの時間が、限りなく24時間に近く感じられることだけだった。
ラピスは既に目覚めていて、鏡台の前でウエーブのかかった蒼い髪にくしを通しているところだった。
「おはよう、ラピス」
鏡の中のラピスが微笑む。顔色は良さそうだった。
「おはよう。よく眠れたか?」
「ああ。ラピスはもう大丈夫なのか?」
「私もおかげさまでよく眠れたよ。体調も良い。用意が出来たら朝食をとって、すぐ発とう」
身支度を整えて簡素で素朴な朝食をとる。宿を出ようと言うとき、ラピスは主人に声を掛けた。
「馬を二頭調達出来ないだろうか?」
俺は馬に乗ったことがない、とは何となく言い出しづらかった。運動神経に関係なく大剣を操れるのだから乗馬もどうにか出来ると思い涼しい顔をしていた。それが間違いだった。
「ど、どう乗るんだ? これ」
「たてがみと手綱を掴んで、あぶみに足を……」
「うわ、動くな、コイツ」
「不慣れなら、最初からそう言えばいいじゃないか」
既に馬上で手綱を持ち準備万端のラピスが苦笑いを浮かべる。まさか乗ることさえ出来ないなんて……馬は速い分コストもかかる。それをケチってダッシュしていた自分を呪った。また格好悪いところを見せてしまった。馬も人を見るのか、何だかナメられている感じがする。ラピスの馬はあんなに大人しいのに。
「仕方ないな……乗れ」
ラピスは俺に手を差し伸べた。
数刻後、俺たちは未だに翠色の沼がぽつりぽつりと存在する街道を馬で駆け抜けていた。
馬は一頭。
俺は、手綱を握るラピスに覆いかぶさられるような姿勢のまま、現実では有り得ない馬力を叩き出すたくましい馬の首にしがみついていた。速い。馬をナメていたのは俺の方だった。喋ったら舌を噛むのでお互い無言である。
皇都の中心街に向かうにつれ、草原と沼だけだった街道に被害に遭った人家や畑が散見されるようになる。中心街に向かう門には二人の兵士の姿があった。
「止まれ!」
兵士の一人が槍を持った手を振り上げて叫んだ。ラピスがぐっと手綱を引き、大きないななきと共に馬が急停止する。その勢いに振り落とされそうになった
「ラピス様!」
「生きていらっしゃったのですか!!」
「無論だ」
「この見覚えのないなまっちろい男は一体?」
「私の護衛のようなものだ。彼が我らに危害を加えることはないとこの私が保証する。通せ」
「は、はっ! 了解しました!!」
兵士たちは門の扉を開ける。兵士たち、何気にひどいことを言わなかったか?
門で馬を預けた俺たちは白い石で舗装された道を歩く。主に白い煉瓦と赤い屋根で構成された街並み。それがところどころ崩れ、翠色に浸食されている。
街並みを歩くNPCの姿も街の規模に対して少ない。彼らは瘴気に耐えながら、それぞれ復興のために、日々の生活のために、動いているようだ。のどかな生活をなぞっていた集落とは違う雰囲気が漂っていた。それでもやはりラピスに目を向ける者はいない。
「ブラッドには、もっと美しいエーデルシュテーンを見せたかったのだが……」
ラピスが笑顔を作って言う。それが俺にはかえって悲しく映る。
「十分美しい街だよ。皆頑張っている」
正直な感想だった。ラピスは「ありがとう」と言って、しばしうつむいたが顔を上げた。
「王宮へ急ごう」
「ああ」
瓦礫と沼を避けながら中心街のさらに中心へと向かう。しばらく歩くと狭い道路から急に開けた場所に出る。セルリウムにも負けないぐらいの大きな広場に人々がたむろしていた。
人々の中心、しつらえられた壇上で何者かが声を張り上げている。暗い青色に金色の刺繍が施されたローブをすっぽりまとっているので、顔は見えない。頭の上には『カノ』と白い文字が表示されている。
「王は倒れ、姫は竜の犠牲となった! エーデルシュテーンは未曽有の危機を迎えている!」
よく通る、テノールともアルトともとれる声。
「今、これを救えるのは我ら『地界の宿り木』のみ!! 見よ。地界の神の御業を!!」
掲げられたのは虹色の光を放つ石。黒曜に渡したはずのドロップアイテムだった。
「あ、あれは!!」
「何をする気だ……?」
カノが呪文を詠唱し始めると、石はまばゆさを増していく。光が街を包み込む。すると、見る見るうちに毒の沼が消えていった。群衆がざわめく。虹色の石は役目を終えたかのようにその輝きを失い、カノの手の中でただの石ころになっていた。
「地界の神々に感謝するが良い! 天界の造物主を奉ずるならば、エーデルシュテーンを皮切りに、天界の国々は更なる不幸に見舞われることだろう」
戸惑いと喜びの入り混じったどよめきは止まらない。ラピスが人波をかき分けて壇上のカノの元へ向かおうとする。ラピスとぶつかったNPC達が彼女の存在を認知する。喧騒の中から「ラピス様!」と言う声がいくつも上がり始める。壇上のカノはそれを合図にローブを翻した。カノの姿がぱっと消える。
「ご苦労だッたな」
同時に、真後ろから聞き覚えのある声がした。
「黒曜」
「お前の望み、叶えにきてやッたよ」
耳鳴りと頭痛が俺を襲った。毅然と壇上に立ち言葉を発しようとしたラピスと視線が合う。俺は冷や汗をだらだらかきながらも、彼女にうなずいてみせた。こくりと俺の頷きに応えたのを確認するかしないかの間で、俺の意識は遠のいていった。