六話
「お前のそれは、疲れないのか?」
「え? 別に」
「前から思ってたんだが……」
「言いたい事があれば、はっきり言ってくれ、アルベルト」
「お前は、器用なのか不器用なのか全く分からんな」
『わしも、そう思う』
【確かに……】
なんですか~?
「殿なんだから、ちゃんと後ろを監視してるだけだよ」
「馬上で立つ奴は見た事があるが、後ろ向きに立ったまま腕を組んで、何キロも進む奴は初めて見た」
あ、そう。
「殿の仕事はちゃんとしないとね~」
【ただ単に、飽きただけのくせに】
「しかし、俺達全員が出向いて大丈夫なんだろうか?」
「多分、大丈夫だと思うよ~」
俺が魔王を倒した事で、隣の国への道が開けた。
その隣国ロンドジーブへ、王様と姫さんを勇者全員で護衛しながら向かっている。
「確かに、地理的に攻め込まれる可能性は低いが……」
「昨日の夜、ババァと姫さんが占っただろ? 多分、敵は来ないはずだ」
「ほう、お前が占いを信じるとは意外だな」
「俺の世界にも居たんだよ。未来が見える奴らがな。雰囲気的にしか分からんが、多分あの二人も本物だ」
「なるほど……。ところで……」
「何?」
「馬の手綱を持たずに、操る方法でもあるのか? コツがあるなら教えてくれ」
「そんなことしてないぞ?」
「しかし……」
「勝手に、周りに合わせてくれてるんだ」
「そうなのか」
俺は正面を向き、鞍に座る。
そして、乗っている白馬の鼻筋をさする。
「この馬が頭いいんだよ。グッボ~イ!」
つぶらで真っ直ぐな瞳が、こちらを見ながらガプッって……。
ん?
い……痛い! 痛い! 痛い!
噛みやがったぁぁぁぁぁぁ!
咀嚼するなぁぁぁぁぁぁぁぁ!
反射的に拳を握った俺……。
「ヒヒィィィィィン!」
馬上で両手を放した俺は……。
うげっ!
もちろん、落馬しました。
顔を上げると、馬が笑ってる……。
馬にまで馬鹿にされた。
やってらんね~……。
「おい……大丈夫か?」
こ……の……。
「クソ畜生がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 待て! オラ!」
殴る! 一発殴る!
****
「で~? どう思う~?」
馬鹿馬を追いかけはじめた頃、馬車内の姫さんが俺のお気に入りのメイドさんに、問いかけていた。
「そんな! あ……あの、姫様は私なんか比べものにならないほど、お美しいです」
「この馬車の中は、私達二人だけよ~? お世辞なんていらないの~」
「本当です! 何時もお美しいですが、今日のお化粧も文句のつけようが無くです……その」
必死に答えるメイドさんに、姫さんは目を細めて本音を漏らす。
「レイが、貴女を気にってるみたいだから~。わざわざ、貴女に化粧を合わせたんだけどね~」
「すみません。分不相応にレイ様には、よくしていただいています」
「で~? レイの事、どう思ってるわけ~?」
「一介のメイドである私が、勇者であるレイ様とつりあうわけが……」
「それは、好きって言ってるようなものよ~。何処がいいの~?」
メイドさんの頬は、朱に染まった。
「いえ……あの……あの方は、容姿端麗で、強くて、優しくて、私共にも分け隔てなく……でも、それよりも……」
「何~?」
「よく庭の手入れを手伝って頂けるのですが……。たまに、空を見上げるんです」
徐々にメイドさんの表情が、暗くなっていく。
「空?」
「はい……。とても悲しそうに……今にも涙が零れそうな瞳で……」
「でも、泣いてないのよね?」
「はい。私の視線に気が付くと、笑いかけて頂けます。優しい笑顔を、向けて頂けます」
「笑顔……」
「その笑顔は、まるで……。大丈夫だから、それ以上近づくなと言っているようで……。胸の奥が、ギュッと鷲掴みにされたように苦しくなるんです」
「ふ~ん」
「姫様?」
窓の外に目を向けた姫さんの表情は、不満そうだった。
「貴女には、素顔を出してるかと思ったんだけどね~。自分より他人の事だなんて~……お人好しもいい所ね」
「お優しい方ですから……」
姫さんが自分の光景に、目を丸くする。
「えっ!? 何?」
「ゼピュロスと……レイ様ですね」
「あのゼピュロスって馬は、確か~」
「はい。我が国一番の駿馬です」
「レイが乗ってるんだったわよね~?」
「はい。あの子は気位が高いので、誰も乗せようとしなかったのですが、レイ様は難なく乗りこなしておられました」
「その駿馬と、あの馬鹿は何で競争してるわけ~? と、言うよりも馬より速く走る人間って、どうなの~?」
姫さんは呆れたように息を吐き出す。
****
待て! コラ!
もう、ちょっと!
止まった!?
「ふ~! 観念したか!」
わっふぅぅぅぅぅぅぅ!
皆さん……。
ご存知でしょうか?
背後から、馬に近づいてはいけません。
何故かって?
馬に、後ろ足で蹴られるからです。
俺の様に……。
ドサッと俺は地面に落下した。
「うっ! ぐ……おほっ!」
三メートルほど吹っ飛ばされました。
【あ~あ】
『肋骨が、ヒビだらけじゃ』
「ブルルゥン……」
この……クソ馬……。
自分で蹴ったくせに、心配そうに見てやがる。
おら!
「ヒン!?」
死んだふりをしていると、油断して顔を近づけてきたので、たてがみを掴んでやった!
よっしゃぁぁぁ!
あれ?
皆さん……。
ご存知でしょうか?
多分、馬の種類や個体差はあるでしょうが……。
馬の首って、かなり筋肉が付いてます。
因みに、この白い馬は俺を投げ飛ばせるくらい強いです。
ベキベキボギと、何やら嫌な音が俺の体の中で響きます。
はいはい……。
浮いた俺は、もう一回蹴られましたよ?
肋骨?
粉々に決まってるじゃないですか。
再び、ドサッとなりました。
回復……。
『しょうもない所で、魔力を浪費しおって』
痛い……。
顔を上げると、馬がこちらを見ていました。
「あの……もう何もしないから、普通に乗せて……」
【情けない……】
『お前は戦闘以外、本当に……』
馬が、早く乗れとばかりの体勢になった。
「おい……。大丈夫か? レイ?」
「アルベルト……。俺……馬が嫌いになりそうだ」
「そ……そうか」
もう実際、ちょっと嫌い。
****
うおおおおおおお!
すげぇぇぇ……。
「話は聞いていたが……」
「ああ、想像以上だな。すげぇぇぇ……」
ババァから、ロンドジーブは残った三国で、一番富んだ国と聞いたいたが……。
明らかに、俺達がいたロンジュールよりも人口が多い。
城下町に入ると、大勢の住民達からの歓声と花束に迎えられた。
何万人いるんだ?
『十万人以上はおりそうじゃな』
【これは、初経験ですね】
そうだな。
大体、現地住民には嫌われる事が多かったからね。
なんか緊張するな。
【どうやら、あの二人は慣れてるようですが】
王様とババァの乗った馬車。
その、さらに前にいる二人の勇者。
特にライが慣れた雰囲気で歓声にこたえ、馬上から花束を受け取っている。
ソフィーも、沿道の人々に手を振ってこたえてるな……。
「アルベルト?」
「なんだ?」
「お前もこういうの、苦手だろ?」
「まあな」
お! 可愛い娘が、俺に花束を……。
ええ~……。
俺に差し出される予定だった花束は……。
俺が乗っている馬鹿馬に、咀嚼されて吐き捨てられました。
女の子が呆然としてるよ。
謝りたいけど、俺達の後ろからぞろぞろと住民が付いて来てるから止まれない。
【あ~あ】
流石にこれは、俺のせいじゃない!
俺は悪くない!
『殴ろうとするな。また、蹴りつけられるぞ』
ああ! もう!
****
「おお~、豪華だね~」
「確かに」
俺達は、ロンドジーブ城の広くて豪華な客室へと案内された。
「ここって、ロンジュール城より豪華なんじゃね~の?」
痛い!
「何するんだ! ババァに姫さん!」
俺は、杖と扇子で殴られた脇腹を押さえる。
「レイは~……。どうしていちいち余計な事を言うのかしらね~?」
お前らこそ、いちいち手を挙げるな!
『いっそ、言えばどうじゃ?』
ノーサンキュー!
「あんたには、もう少しこの国について説明が必要なようだね」
あれ? メイドさん?
「今日はお付きの人変えたのか?」
痛い!
「話を聞きな! 恥をかくのはお前だよ?」
「いちいち叩くなババァ!」
たく……。
「皆さん、お疲れさまでした。今すぐ、お茶を入れますので……」
部屋に案内してくれたロンドジーブの使用人さんが、お茶を用意してくれている。
あの子も可愛いな~。
「お手伝い致します」
「これは……恐縮です」
使用人さんを、エルザとメイドさんが手伝っている。
エルザっていい子だよね~……。
あの馬鹿にはもったいない。
【そうですよね】
『こればかりは、人が口を出せる事ではあるまい』
まあね~……。
痛い!
「聞きな!」
「へいへい。で?」
「何処まで聞いてたんだい?」
「全く!」
痛い!
「てかさ、何で説明するのは俺だけなの?」
「あんたが一番失敗しそうだからだよ」
「いやでも、ソフィーとかも聞いて……」
おおう!?
えっ? あの? はい?
今の今まで、ライと楽しそうに話をしていたソフィーに……。
汚物でも見る様な目で見られた上に、そっぽを向かれた。
【まだ怒っているのでしょうか?】
何が?
「おい、この際だからお前にはっきり言っておく!」
ああ?
何でライは、俺にいちいち突っかかって来るんだよ。
うぜ。
「僕の恋人に、二度と喋りかけるな。ソフィー本人もそう望んでいる」
別に喋りかけて無いのに。
「返事はどうした? 負け犬?」
こいつ……。
なんだ!? その顔は!?
『わしも腹が立つがおさえるんじゃ』
俺! 別に何も負けて無い!
むかつく!
殴りて~。
【どうどう】
はぁ~……。
「へいへい。分かったよ」
後で、剣歪めようかな~。
大事な聖剣って言ってたし。
「あの、お茶をどうぞ」
「あ、ありが……」
エルザから差し出された、カップの乗ったトレイに手を伸ばしかけた俺は、手を止める。
案の定、ユリウスがこっちを見ている。
この前、魔王を倒したと俺に教えただけで、夜に隣の部屋からは不快な音が聞こえたんだった。
これは、止めよう。
伸ばした手を、メイドさんの持つトレイ側に伸ばす。
『うん。これは正解じゃろう』
【よく空気を読みましたね】
なんだろう……。
すごくストレスがたまる。
そう言えば……。
「今日は、何時もの付き人さんじゃないんだね?」
「はい、姫様のお世話は私が……」
「そうよ~。この子は、貴方のお気に入りでしょ~?」
ああ、はい。
うん?
「なんですか? 姫さん?」
「何か言う事があるんじゃな~い?」
え~……。
「さぁ……がぁ! 痛いって! その扇子! 金属だからな!」
「さ~て、次を痛めつけて欲しい~?」
てか、何で怒ってるの!?
馬鹿なの?
【化粧……】
あ!
ああ!
知ってた! 知ってた!
「化粧だろ? 分かってるって!」
おお~……。
笑顔になった、セーフ。
メイドさんも笑顔だし……。
【自分の方からお茶をとってくれたのが、嬉しかったようですね】
ふ~……。
危機はさったいっ! 痛い!
「ババァ! 叩くなって!」
「あんたは! 聞く気はあるのかい!?」
ほとんどありません!
でも、叩かれるのはもう御免です!
「ハイ、キキマツ」
「まあ、落ちついてはどうだ? ヨルダ殿? 俺も、話を聞こう」
殴られそうな俺を、アルベルトが庇ってくれた。
「はぁ~……。いいかい?」
****
「へ~……」
国にも上下ってあるんだな。
【ロンドジーブ王家が、ロンジュール王家の本筋にあたるんじゃないですか?】
本家と分家みたいなものかな?
この国も、姫が召喚士兼占い師らしい。
どうも、この世界の風習みたいだな。
『どちらかと言えば、魔力の強い人間を王族に迎えている様に思えるがのぉ』
この国の姫さん……え~……。
【アナスタシアさん】
そうそう、それ。
ババァの弟子で、この世界で一番の星見なんだそうだ。
【しかし、後天的な予言ではなく、先天的な未来予知とは……】
運命……アカシックレコードが読めるのか?
『世界の意思と通じておるかも知れんな』
【でも、先天的に世界の意思と通じている場合と、修行で疎通が取れるようになる場合がありますよね?】
まあ、それはどっちでもいいだろう。
アカシックレコードを直接読めるか、世界の意思を通じて読めるかの違いだけだし。
でも、四人を同時に異世界から召喚するってのは、凄いな。
『この世界では、別格の魔道士なんじゃろう』
「では、この国がいまだに栄えているのは、その姫のお陰と言う事か? ヨルダ殿?」
「その通りだよ。先の王……父親が戦死して、アナスタシア姫様がこの国を導く事になったんだがね……」
姫ってか、女王じゃね?
『王族は、世襲の儀式を大事にする事が多い。多分、儀式がまだなんじゃろう』
ふ~ん。
「魔族が何時、どうやって、どれほどの戦力で攻めてくるかを言い当てるんだよ。さらに、どうすれば敵に奪われた領地を奪い返せるかもわかるからねぇ」
あれ?
「ババァ? なんで、それでロンジュールも含めてピンチになったんだ? この世界の勇者もいたんだろう?」
「アナスタシア姫様がそこまで強い力を持ったのは、ごく最近で先代の王が亡くなってからなんだよ」
「でも……」
「皮肉だけどねぇ。アナスタシア姫様の予言を信じなかった国が滅びた事で、姫様の力が証明されたんだよ」
ああ……。
「魔族側にも、その情報が伝わったようでねぇ。こちらでは防ぎきれない戦力で、三国を分断されたんだよ」
「じゃあ、この世界の勇者は? 分断前に死んだんだよね?」
「アナスタシア姫を、力づくで殺そうと攻め込んできた魔王と戦って死んだんだよ」
「おかしくない? 予測できたんだろ?」
「予測して、数分で攻め込んできたんだよ。転移の魔法でね」
『まあ、未来予知も万能ではないからのぅ』
「この国の民にとって、アナスタシア姫様は神にも等しい存在となっている。失礼があれば、国民全てを敵に回すと考えな」
なんだか、俺がやりそうじゃない?
【分かってるなら、気をつけましょう】
『気をつけても、裸を見るだのなんだので、結局国民に嫌われる可能性はあるがのぅ』
ですよね~……。
もう、嫌だ!
こんな人生! もうコリゴリ!
【まあまあ、気をつけましょう】
何回も言うなぁぁぁぁぁ!
分かってるよ!
誰よりも分かってるよ!
****
「皆様、昼食を用意していただけたようです」
おお! メイドさん!
たゆんたゆん……。
うん! F!
【D……Eで!】
パタパタと走ってくるメイドさんのある部分が、上下に暴れておりました。
『アホ……』
「このお部屋でお食事なさいますか?」
「そうね~。広いし~、テーブルもあるし~。いいんじゃな~い?」
メイドさんと、ロンドジーブの使用人さん達が食事を運び込んだ。
さて!
オ~ウ……ジ~ザス!
【また、デロデロ……】
『パンも……微妙じゃ』
国の状況を見て、期待したのに……。
あれ?
「アルベルト、食わないの? てか、姫さんも……」
「ん? まあ……」
全員が、フォークとナイフを置いた。
不味くても、残すのは失礼じゃね?
『まあ、わし等のように食えない事が少ないのかも知れんな』
【ううう……不味い】
腹に入れば、みんな同じです!
魔力を補充するの!
「レイ~? あんたのせいよ~」
はい?
「何で?」
「あんたの料理のせいで、これが美味しくないと分かっちゃったのよ~。どう責任取ってくれるの~?」
はははっ……。
「知るか!」
痛い!
おでこを擦っていると、姫さんが城の使用人と何かを……。
****
そのやり取りから、十分後……。
俺は、厨房にいました……。
何でぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
『いつもの事じゃ』
何で、俺には拒否権とかないの!?
おかしくね~!?
【これで、美味しい料理が食べられますよ】
おかしくね~!?
「頑張ってください! レイ様!」
メイドさんは料理が下手らしく、横で声援を……。
おかしくね~!?
「お……おお! これは素晴らしい」
誰だ!?
【この城のコックの方では?】
「これほど異世界の料理が素晴らしいとは……」
うっさい! ボケ!
そのカイゼルっぽい髭引きちぎるぞ! コラ!
てか! ちゃんと見てろ!
「いいか? 茹で加減はこれくらいだ!」
少しだけ芯の残った麺を、差し出す。
「でもって……こう!」
「おお~!」
さて……。
「これを姫さん達に持って行って……」
「はい!」
****
俺は、二時間ほど厨房で戦った。
料理を作って教えつつ、試食の説明をしつつ、メイドさんの分を作りつつ、自分もつまみ食い。
いろんな意味でお腹いっぱい……。
「あのさ~……。あの国も姫さんと会うのは……」
「はい。今日は予言の為に籠っておいでですので、明日の予定です」
じゃあ、来るのは明日でもよかったんじゃないの?
はぁ~……。
「レイ様? どちらへ?」
「ちょっと、外の空気を吸ってくる」
疲れた……。
しかし、この城は庭も広いな……。
【そうですね】
うん!?
あれって……。
俺は、庭の雑草に駆け寄る。
おい! ジジィ!
これ!
『う~む……。確かに似ておる』
俺の発作を抑える薬になる葉っぱ!
これ乾燥させて、煙を吸引したら発作抑えられないかな?
『しかし……』
【あの葉っぱは、赤色じゃないですか。これは、茶色に近いのでは?】
でも……。
『多分別の植物じゃな』
そうか……。
あ?
人の気配?
俺は、自分の頭上へ視線を向ける。
て……んし?
空から、白髪の天使が舞い降りてくる。
これは、夢か?
スローモーショ……。
俺の首は加重に耐えられず、グキッ、ボギン変な音と共に曲がった。
そして、石にぶつかった後頭部がグシャっとこれまた嫌な音を出して、陥没する。
「きゃ……」
し……死ぬ!
俺! 死ぬ!
必死とは、必ず死ぬと書いて……死ぬ!
【あわわわわ!】
『落ちつけ! 回復しておる! まだまにあう!』
強制的に高速処理状態になった俺は、自分の顔に何かがのっている事を、回復が終わってから気が付いた。
ちょ! 何これ!?
もが……ふが!
「きゃん!」
俺の上に居た女性が立ち上がる事で、俺視界を塞いでいたのがその女性の臀部だと分かった。
合法セクハラ……。
じゃ! なくて!
死にかけた!
本気で死にかけた!
馬鹿か!
****
「あの……大丈夫ですか?」
「死にかけ……」
俺は、言葉を詰まらせた。
俺の顔をのぞきこく女性の顔……。
光の加減で白髪に見えたが、正確には銀髪だったようだ。
「ああ……大丈夫だ」
必死に出した声は、俺の思考とは全く別のものだった。
「よかった」
女性は、笑う……。
俺の目の前で……。
もし、神様が人間の理想をこの世に再現したら……。
いや、再現したからこの女性はいるんじゃないのか?
こんな瞳は、人間が持っていいのか?
一切の淀みも汚れも無い、真っ直ぐな黒い瞳。
その大きな目を見ていると、魂が吸い込まれてしまいそうだ。
薄いピンクの唇……。
筋の通った、高過ぎない鼻……。
完璧以外の言葉が、出てこない。
駄目だ……。
俺は、自分の沸き上がるこの感情を知っている。
「あの?」
駄目だ! 駄目だ! 駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!
この感情は駄目だ!
俺のこの感情は……。
不幸を……残酷な現実を呼び寄せる。
駄目だ!
抑えるんだ!
目の前に舞い降りた天使が……。
死んじまう。
駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!
ああ……。
ちくしょう……。
なんで、人間は感情を……。
唯一の自分自身を、コントロールできないんだ?
俺の精神修行ってのは、こんな物なのか?
無言の俺に、髪をかき上げながら、その女性は笑いかけてくる……。
あ……。
ちくしょう……。
ちくしょう……。
やってらんね~……。




