第十九話
「ちょっと、ヤマト? どうしたの? ねえ、学校遅れちゃうよー?」
顔をひょいと傾けて俺の顔を覗き込むようにユウカが言う。
そんなユウカの頬を触ってみる。
温かい。生きてる。
夢なんかじゃない。幻なんかでもない。
じゃあなんだってんだ?
「ねえ、本当どうしたのよ? 今日のヤマト、様子がおかしいよ?」
なにやら顔を赤らめているユウカ。
あ、頬を触ったままだった。
慌てて、手を下に降ろし、何もなかったかのように足早に歩き出す。
今は、とりあえず学校へ行こう。
このまま考えていても、わけがわからないままだ。
足早に歩く俺を時折小走りになりながら、ユウカが追いかけてくる。
そんなユウカを見てると、このままわからないままで良いような気がしてくる。
あのことは全て忘れて、ユウカとずっと平凡に暮らしていきたい。
そんな風に思ってしまう自分が、なんだか嫌になった。
そして、そのまま何事もなく時間だけが過ぎてゆく。
授業もほとんど身が入らずに、同じようなことをずっと考えていた。
思考がぐるぐると堂々巡りのように繰り返される。
メリーヌは、一体何をするつもりなんだろう。
俺は、こんなことをしていていいのだろうか?
わからない。
何にもわからない。
そして、俺は考えるのをやめた。
ユウカとまた元の世界に生きて帰る。
それは、俺が一番望んでいたことだ。
今は、ユウカと一緒に居られる、それだけで良しとしようじゃないか。
「おーい、もう授業終わったよー?」
ユウカが手を俺の視界で上下させながらそう言ってきた。
あ、もうそんな時間か。
俺は、そのユウカの手をぎゅっと握る。
この手をもう放したくない。
ずっと、傍にいたい。そう思った。
「なあ、ユウカ。俺、お前のこと好きだわ」
何を思ったか、俺は咄嗟にユウカの顔を見ながらそう呟いた。
目の前には、顔を真っ赤にして、俺を見つめるユウカの姿。
あああ、何言ってんだろう俺。
急に恥ずかしくなった。
握っていた手を振りほどき目線を逸らした。
「わりぃ、どうしたんだろうな俺。やっぱり、今日ちょっとおかしいのかもな、ハハ」
ユウカが何かを言おうとしたのを遮り、そう言った。
本当、何してるんだろう俺。
ユウカのことは好きだ。
でも、今はそれどこじゃないはずだ。
気まずい。気恥ずかしい。
俺はそのまま逃げるように帰った。
家に帰り、自分の部屋のベッドに倒れ込む。
なんとなく罪悪感のようなものが俺の心を支配する。
ゼクトが死に、オロンは生きている。
ベルクやミルを置いて、俺は元の世界へと帰ってきてしまった。
二人は無事だろうか。
俺は、このままで本当に良いのだろうか。
手を天井のほうにかざし、仰向けになりながらそんなことを考えているとふと部屋に人の気配を感じた。
俺が慌てて飛び起き、部屋の扉のほうを見る。
そこにいたのは――。
「お久しぶりです。ヤマト様。どうです? 元の世界の生活は」
メリーヌだった。水の精霊だ。
今回は、裸ではなく最初から水の羽衣のような服を着ていた。
ニコリと微笑みながら、俺の顔を見てくる。
その笑顔がどことなく不気味だ。
全てを見透かすようなその笑顔が、怖い。
怖いのだ。
「何を企んでいるんだメリーヌ。俺に何をさせる気なんだ!」
俺は、つい怒鳴り声をあげる。
「企むだなんて、そんな……。私は、ヤマト様の願いを叶えただけですよ」
少し困った顔して、そんな風に言うメリーヌ。
そんな顔をされると、こっちも困ってしまう。
でも、ドラゴンの残した言葉がどうしても引っかかる。
一体、俺は何を信じればいいんだろう。
「ふふ、そんな顔をしないでください。私はあなたの味方ですよ」
そう言いながら、俺の頬をスッと撫でるメリーヌ。
やはり、その笑顔が怖い。
背筋がゾクッとする。
なぜだろう。
こんな美女が、味方だと言ってくれてるのに。
なぜ――?
「キヒヒ、メリーヌ様。そんな回りくどいことしても無駄だと思いますよぉ」
突如、メリーヌの横にオロンが現れそう言った。
そして、俺は全てを悟った。
オロンを裏で操っていた黒幕がメリーヌだったということを。
「ふふ、そうですね。もうこんな三文芝居はやめにしましょう」
メリーヌが、俺の頬に触れていた手をどけ、ニタリと笑った。
身の毛もよだつ恐怖が俺を襲う。
「な、何が目的なんだ。俺の命か?」
「いいえ、それならばもうとっくに奪ってますよ。私の真の目的は、この世界を乗っ取ることですから」
平然と、メリーヌがそう告げた。
「そ、そんなことできるわけないだろ。いくら魔法の力があるとはいえ、お前たち二人で何ができるっていうんだ」
「二人? 何を言っているのですか、私の仲間はすでに数百人がこちらの世界に送り込まれてますよ。そして、その準備もいよいよ最終段階というわけです」
どういうことだ。
数百人?
まさか……。
「歴代の勇者か!」
「キヒヒ、ご名答~。さすがはボクの見込んだ例外の魔王。察しがいいなぁ」
オロンがケラケラと笑いながらそんなことを言う。
どうやら、記憶を消された勇者たちを操る術があるようだ。
そして、その勇者たちを使い、この世界を思うがままに支配する。
それが、メリーヌの真の目的だったのだ。
「なぜだ、なぜこの世界なんだ!」
「ふふ、それはあなたが知る必要のないことですよ。さて、ではそろそろ始めましょうか」
そう言いながら、何やら鏡のようなものを取り出すメリーヌ。
「何をする気だ、そんな勝手なことはさせない!」
「あなたに拒否する権限はありませんよ? もし、裏切ればどうなるか、察しがいいあなたならわかるはずです」
……!
歴代の勇者……つまりユウカもその一人だ。
ということは、メリーヌはユウカも操ることができる。
くそ、そういうことか。
「く……」
「ふふ、大丈夫です。私を信じてくれれば悪いようにはしないですよ? むしろ特別待遇といってもいいくらいです。あなたは黙って私に協力してくれればいいのですよ。ああ、そうそう、ドラゴンを倒してくれたお礼がまだでしたね。ありがとうございます、大変感謝してますよ。私の計画の唯一の障壁でしたから」
なんてことをしてしまったんだ俺は。
もう取り返しのつかないことをしてしまった。
俺がドラゴンの話に耳を傾けていれば、こんなことにはならずに済んだかもしれないのに。
もう何もかも手遅れだ。
俺にできることなど、何も残されていない。
いや、まだだ。
諦めるのは、まだ、早い。
「キヒヒ、協力する気になったようだねぇ。それがいい、それが賢い選択ってもんだよぉ」
「オロン、一つ聞いていいか? 城の連中やゼクトを殺したのは、お前の意志か、それともメリーヌの意志か?」
俺は、知りたくなった。
オロンが悪なのかどうかを。
「キヒヒ、もちろんボクの意志だよぉ。勇者を生かす、それ以外は全部ボクの意志さぁ」
そうか。
そうなのか。
それならば、もうオロンを倒すのを躊躇わない。
俺は、オロンが後ろを向いた瞬間に不意打ちを仕掛けたのだった。




