第十六話
「キヒヒ、ようやく帰ってきたようだねぇ。でももう手遅れだよぉ」
え?
天使室に入ると、俺の目の前に飛び込んできた人影。
それは、死んだはずのオロンだった。
「お前、生きてたのか!」
「キヒヒ、言っただろぉ? ボクは、死にたくないんだよぉ。あんな厄介な魔法があるやつ相手に、正攻法で戦うわけないじゃないかぁ。攻撃したと見せかけて、移動魔法で逃げただけだよぉ。そして、ゼクトを殺す機会をうかがってたってわけさぁ」
な、なんだと。
俺の目の前に、無残にも転がるゼクトとシグ。
ユウカの姿は見えない。
「ユ、ユウカをどこへやった!」
「さぁ、どこだろうねぇ? 魔王を倒そうとしない役立たずの勇者なんて、この世界には要らない、そうだろぉ?」
ま、まさか、ユウカも殺されたというのか?
だったら、俺は何のために――。
「こ、このやろぉ」
「おっと、危ない。いつの間にか、君も勇者の力を手にしてたのかぁ、でも残念だったねぇ。勇者の力は、生きる意志の力。そんなへなちょこな攻撃じゃボクを倒すことなんてできないよぉ」
俺は咄嗟に、光魔法でオロンを攻撃していた。
こいつだけは許せない。
ゼクトの気持ちが、痛いほどわかった。
愛する者を奪われた気持ちが。
「キヒヒ、君は殺さないでおいてあげるよぉ。ボクと同じ臭いがするからねぇ。君も生きるために必死だったんだろぉ? だから、勇者の力を手に入れて自分だけ逃げ出したってわけだ。キヒヒヒヒ」
な、違う!
俺は逃げたわけじゃない。
ユウカを、助けるために必死になってたんだ!
こんなやつと一緒にされてたまるか!
「キヒヒ、本当のことを言われて頭にきたのかい? ボクが幽霊のときも、殴りかかってきたけどさぁ。そんな攻撃、当たらないんだよねぇ」
俺の攻撃をひょいとかわし、薄気味悪い笑いを浮かべるオロン。
くそう。
「まぁ、いいやぁ。しばらく、君に考える時間をあげるよぉ。こう見えてボクも忙しいからねぇ。君とのんびり話してる暇はないんだよぉ、キヒヒヒ」
そういうと、オロンは光りをまとって消えていった。
移動魔法でどこかに移動したようだ。
俺は、激しい憎悪で胸が締め付けられる思いだった。
こんなにも怒りを覚えたのは初めてだ。
オロンに対してではない、己の無力さに腹が立っていたのだ。
「驚いたわね、あいつが生きてたなんて。でも、どうして私たちを殺さなかったのかしら?」
後ろを振り向くと、ベルクが心配そうな面持ちで俺を見ながらそう言った。
オロンの考えてることなんて、俺には理解できない。
俺は、あいつとは違う。
あんなやつの考えなんて、理解したくもない。
「ぐ、ゲホゴホ」
「シグ、良かった、生きてたのか」
シグとゼクトのほうに駆け寄ると、シグはまだ息があった。
急いで、ベルクが治療魔法をかける。
「すまない。ワシがついていながらなんたる不覚じゃ」
シグは、その場に座り込み、やるせない表情でゼクトを見ていた。
「シグは悪くないわ。悪いのは、全部オロンよ。一体何のためにこんなことを……う、うう」
死んだゼクトの顔を静かに撫でながら、ベルクは涙を流していた。
俺は、不思議と悲しい気持ちにはならなかった。
まだ、現実として受け入れることができなかったのだ。
ゼクトやユウカが死んだことを認めたくはなかった。
俺は、一体どうすればいいんだろう。
このやり場のない怒りをどうしたらいいんだろうか。
俺がもっとちゃんとしていれば。
ドラゴンに臆することなく、すぐに倒して戻っていればこんなことにはならなかったんじゃなかろうか。
そんな後悔が頭をよぎる。
そして、ドラゴンの最後の言葉が再び脳裏に蘇ってくる。
「水の精霊って知ってるか?」
「ああ、もちろん知っておるとも」
俺がシグに尋ねると、そう答えてきた。
「教えてくれ。水の精霊について知ってることを全部」
「そうじゃの、何から話せばいいのかのう。あれはワシとビルスがまだ勇者と魔王を召喚する前のことじゃった……」
シグは、隠すことなく全てを話してくれた。
勇者や魔王を召喚するきっかけになったのが、水の精霊メリーヌであること。
そして、シグが勇者の力を与えられるようになったのもメリーヌが関係していること。
勇者や魔王を召喚してからは、一切姿を見せなかったこと。
シグは、嘘を付いているようには見えない。
だとすると、メリーヌがやろうとしていることとは一体何なのだろうか。
ドラゴンは、最後の最後まで『水の精霊を信じるな』と言っていた。
それがいまだに引っかかる。
確かに、勇者や魔王を召喚させようとしたのは事実のようだ。
だが、それに何の意味があるというのか。
それに、俺が世界を滅ぼすってどういうことなんだ。
わからない。
わからないことだらけだ。
「これから、どうするの? オロンを追うの?」
俺が頭を抱え悩んでいると、ベルクが心配そうに顔を覗き込んできた。
「わからない。俺は、どうしたらいいんだろう。ユウカを助けたかった、ただそれだけだったのに」
そうだ。
ユウカを助けたかった。
それだけだったのだ。
それ以外に、俺は何も望まない。
ユウカさえ助かってくれれば、他に何もいらない。
突然魔王にされ、わけがわからないままの俺の目の前に現れたのがユウカだった。
勇者であるにもかかわらず、俺を倒そうとすることもなく。
魔王を倒せなければ死ぬかもしれない、その苦しみを押し隠していたユウカ。
そんなユウカを助けることもできなかった。
その事実が、俺にのしかかってくる。
今ならゼクトの気持ちがよくわかる。
きっと、あの時のゼクトもこんな気持ちだったのだろう。
でも、俺は不思議とオロンを倒そうという気はなれなかった。
俺が、すんなりと死を受け入れてさえいればユウカが苦しむこともなかったのに。
俺が、生きようと思わなければ――。
ユウカは魔王である俺を倒して、シグによって記憶を消され再び元の世界に帰れたはずなのに。
俺のせいだ。
全部俺のせいなんだ。
オロンの言うとおりだ。
俺は、生きようと必死だったのだ。
ユウカのためといいながら、俺は心のどこかで自分が助かる道を模索していた。
俺は、最低だ。
こんな俺にオロンに復讐する資格なんてない。
俺にできることなんて最初から何もなかったんだ。
「大丈夫、大丈夫だよ。そんな顔しないで。きっと、勇者は生きている。そんな気がするの。だから、だからそんな思いつめないで」
俺がそんなことを考えていたら、ベルクが悲しそうな笑顔で俺を抱きしめてきた。
俺は、溢れ出る涙を堪えきれなくなり、そのまま泣き崩れた。
そんな俺の気持ちを察してか、ベルクは俺の頭を撫でて、ひたすら大丈夫と繰り返してくれた。
それだけで、救われた気がした。
一人じゃない、そう思えた。
ベルクがいてくれてよかった。
もし、俺がこのまま一人になっていたら、きっとそのまま死を選んでいただろう。
俺にできることが何なのかはわからない。
けど、まだ何もせずに、何も残せずに死ぬわけにはいかない。
最後の最後まで足掻いてみようじゃないか。
魔王が倒される存在だと知ったときだって、そう誓ったはずだ。
それが、俺に与えられた本当の役割なのだから――。




