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 第十二章 スフィンクスゲーム 2

こんばんわ。クライマックスです。

 ずっしりと重い沈黙が、凝固した空間を支配する。

 元から色白な十崎の顔が、今は昔日の吸血鬼映画の主人公のような、色をしていた。

「……死ぬのがこわくないんですか?」

 ようよう呟いた十崎は、信じられない生き物を見るような眼で、七海を凝視した。

 かっぱをかぶったままそれを見上げ、七海は無表情に答えた。

「ウルマさんは、あなたが殺しても胸が痛まない相手を、探して歩く狂人といいました」

 七海は、ウルの方に視線を向けた。

「もう大丈夫でしょう。ウルマさん、起きたらどうです? ……まあどっちでもいいですけど」

 七海は不可解な顔の九城、無表情な物部を残し、十崎に視線を戻して、話を続ける。

「美夜子さんに会いました。普通の……普通に、素敵な女の子でした。彼女からあなたの話をいくらか聞いたのと……私があなたと過ごした短い時間……それらが出した結論は」

 七海は淡々と、十崎に止めをさした。

「あなたに、私は殺せない」

 あっさりと。

「仮にこの赤外線が本物でも、あなたはなんとかしたでしょう……ホントの狂人は、胸なんか痛まないんです」

 十崎の眼差しの変わりようは、がらがらと崩れていく無機質なブロックの建物を思わせた。

 俯いた彼の表情は、途方にくれた、迷い犬のそれだった。

「僕は……」

 七海は足元に落ちている臙脂色と、メタルグリーン、二個の携帯を拾った。

「私の動画が入ってるのは、こっちの緑の方だけですか?」

 十崎は視線を合わせぬまま、無言で頷いた。まだ、呆然自失のままだ。

 没収です、と呟き、七海はそれをポケットに滑り込ますと、河童を脇にはさんだまま、十崎の襟に両手をかけた。

 十崎の、至近距離で俯く。

「私は、十崎さんの過去なんか知らないし、知りたくもないけど」

 小さく息を吸い込んで体を逸らし、感情の読み取りにくい瞳を据えた。

「……私たちは、これからです。ちがいますか?」

「織河さん……あなたは」

 そして。

 短い破裂音。

「ごはっ!?」

 九城と物部は、我が目を疑った。

 世界が凍りつく。

 ……なにが起こった、今?

 二人の間の床を、点々と赤い雫が落ちた。

 七海が襟を放し。

 十崎は膝を付いた。

 あの、アウルディーがひざまずいた。

 もう一度、小さい破裂音。

 ……壁のそばで引火した木材が、二度爆ぜたのだ。

 十崎の顔を覆った指の間から、鮮血が流れるのを、九城と物部は瞬きも忘れて見入った。

 体を丸めて呻く十崎に、下の睫越しの、凍りつきそうな視線を送りながら、七海は囁いた。

「私の怒りは、こんなもんじゃない。まだまだ、これからですよ……ショータイムは」

 十崎は、完全に不意打ちで決まった、頭突きのダメージの去らない顔をようよう上げた。

「さあ、二つお願いを聞いてくれるんでしたね。一つ目は決まってますが、もう一つは何にしようかな?」

 腰に手を当て、笑顔で見下ろす片目のチャーミングな少女は、何かのフェアリーテールに出てくる妖精に思えた。

 とびっきり邪悪な。

「……なつみん、なんぼなんでもちょっと」

「黙れ」

 七海に静かに一喝され、九城は口を閉じた。

「あの動画を、撮っていたのを横にいたあなたは、当然知っていたんですよね?」

「いや……それは」

「あなたも的にかけますよ? ヤなら、靴のつま先でも眺めてなさい」

「……はい」

 レーニンくらい、逆らってはいけない。

 タージマハールの客引きよりも、目を合わせてはいけない。

 九城は、言われたとおり下を向いた。

「ああ! 久しぶりのこの感覚ぞくぞくしちゃいます! 自信満々な、愚か者を嵌める……痛快です」

 

 河童を抱えたまま、腰と後頭部に手を当て、チアガールのように腰を振る七海を呆然と眺めながら、十崎は七海の情報を集めていたときに聞いた、大学生の話を思い出していた。

 彼の名は、桑山進。

 七海が高校生クイズに出たときの、チームの一人だった。

 

 

 桑山は、額の汗を神経質にぬぐった。

 夕暮れの教室に飛び込んでくる蝉の大合唱が、六人しかいない空間を満たし、かえって寂寥感を感じさせる。

 だがそれは、暑さ故ではない。

 向かい合った机を、囲むように立っている四人を含め、ここにいる者たちは、緊張感で暑さを感じるどころではなかった。

 超有名な私立の進学校である、この教室はエアコンが効いている。

 なのに。

 机に座り、拳を握り締めている、小太り・平たい顔にワカメ頭と銀縁めがね。

 これでもか、これでもかという感じの素敵少年は、一〇日前に、高校生クイズで七海たちの池田付属を破って優勝した、この高校のクイズ部の部長・川田雄二。

 そして、その後ろのおかっぱと、センター分けの、間違いなく私服はお母さんが選んでいるであろう、ふたりの部員。

 自分と、その隣の、プリングルスのマークにちょっと似ている、山中。

 皆が嫌な汗をかいていた。

 川田の向かいに座り、こちらに背を向けている、七海以外は。

「あらあら、なんでそんなに汗をかいてるのかしら? それ以上のクールビズはなかなか見かけませんのに。ふとっちょさんには、おしゃべりだってスポーツなんですねぇ」

 クスクス。

 川田は、パンツ一丁だった。

「君こそ涼しそうじゃないか。パンティーだけになっても、そんなことがいえるかどうか楽しみだよ。なあ?」

 川田は無理やりに笑い、振り返り、顔を赤くしたり青くしたりしながら問いかけると、後ろの二人は曖昧に笑った。二人とも、七海のほうをチラ見しては、うつむいている。

 桑山は、七海のぴんと背中を張った後姿に、目をやった。

 滑らかな撫で肩を、苦々しい思いで見やる。

 彼女も、上半身はブラ一枚で、下は制服のスカートだった。

「パンティー!?」

 七海は身を乗り出した。

「でましたね、彼女イナイ歴=年齢という、お母さんが複雑な思いを抱くアビリティを、持つものだけが使いこなす……ダブルデートよりも、遥かに痛いマジックワード。今からあなたの二つ名は、パンテー川田で決定です」

「ふざけるな、そんなどこかの格闘家みたいな、名前で呼ばれてたまるか!」

 クスクスクスクス。

 ごりごりっ

 後姿からは想像するしかないが、さぞかし邪な笑顔を浮かべていることだろう。

 やりすぎだ。

 一週間ほど前、敗北のショック覚めやらぬ自分たちに対し、織河は無表情に、

「リベンジしよう」

 と言い出した。

 高校生クイズの収録が終わった直後、織河に対し、優勝チームのリーダーである川田が、携帯の番号が記載された名刺を渡したのだ。

「再挑戦待ってるよ。いつでも受けるから」

 気障ったらしい態度で差し出されたそれを、七海は無表情に受け取った。

 その能面の下では、激情が荒れ狂っていただろう。

 作り笑いをしていた、山中と自分がそうだったから。

 三人とも、甲子園の決勝で負けた直後の、高校球児の気持ちそのままだった。

 そこに勝った方のチームが、頭を踏んづけるような真似をしてきたのだ。

 その晩は、悔しくて眠れなかった。

 だから織河の提案に、山中も自分も勢い込んで乗った。ケンカを売ってきたのは、向こうだ。

 織河が、電話で一騎打ちを申し込み、相手は自信たっぷりに、二つ返事で了承した。

 出題ジャンルの選択権は、相手に与えた。

 川田達が選んだ分野は、こともあろうに日本史。

 口許を笑いの形に歪めた七海から、それを聞いたとき、山中と自分は天に向かって爆笑した。

 なんて、引きの弱いヤツ。

 織河に、歴史で勝負を挑むなんて、呂布に一騎打ちを挑むようなものだ。

 出題は、国立大学の過去二〇年間――つまり二〇冊――の入試問題集の中から、ゲームスタート時にくじ引きで、どれを使うか決め、回答者の織河と、川田以外の両チームの者が、交互に問題を出し合う。

 当時、クイズマニアの間で流行っていた、スフィンクスゲーム形式を織河は提案し、 川田は呑んだ。

 負けた方が、大恥をかくことになるのがこのゲームの決まりだが、織河はどちらかがミスするごとに、一枚ずつ脱いでいく、野球拳方式を提案した。

 相手が、上擦った調子でOKを出したと聞き、山中と自分は堪えきれず、腹を抱えて、部室の床を転がった。

 織河が負ける事は、万に一つも無い。

「バカのストリップを、拝みに行こうぜ」

 山中の台詞に、三人でハイタッチした。

 予想通り、織河優勢でゲームは進んだ。初っ端で一発被弾したが、絶対ワザとだ。予想通り、織河の半裸を前にして、川田はペースをガタガタに狂わせた。

 だが……

 『まあまあ、こおんな問題が分からないなんて、家族以外から初めて掛かってきた電話に、浮かれすぎたんじゃないかしら? ……ほら、さっさとその中学一年から股下だけ変わっていそうに無い、やぼったいノーマル制服を、脱いでおしまいなさい』

 その間に挟まれる、織河の黒すぎる煽りに、だんだん川田を除く男たちは引いてしまった。

 桑山は言った。

「オイ、オリ。もうやめとこうぜ……十分だろ?」

 七海は、振り向くといった。

「今からがいいとこなの……みればわかるでしょ」

 前髪で、隠れていない方の目をみて、桑山は止めても無駄だということを、瞬時に理解した。

 完全に入り込んでいる。

 こうなったときの、織河の突破力は日本屈指だろう。

 告白してしまえば、高校生クイズで決勝まで残れたのも、ほとんど織河一人の力だ。

 決勝の日、織河に月イチのアレが来て、体調を崩してなかったら、優勝していただろう。

 だが、今回は何かが違っていた。

 うまく言えないが、並外れたコンセントレーションの中に、どす黒い物が混じりすぎている。

 自身のチームの敗北を、全国ネットで茶の間に流された恨みというか、鬱屈したものが、マグマのように噴出しているのがわかるのだ。

 優勝を逃して以来、七海はあまりしゃべらないようになっていたが、今、それを取り返すかのように、斬鉄剣のような切れ味の口撃を繰り出し続けている。

 七海は首をかしげ、川田に向かって言った。

「ねー、パンテー」

「パンテーいうな!」

 クスクス

 七海は意味ありげに笑うと、片手でスカートのすそをつまみ、ゆっくりと持ち上げる。

「あなたが正解して、私がスカートを脱ぐことになったら、パンテーがみれまーす……よかったわね、パンテー」

「誰が、君のパンツなんか……」

 そういいながらも、こっちからは見えないが、つやめく太ももが徐々に露になっていくシーンに瞬きもできないようだ。後ろの二人は、眼をそらしながらもチラ見している。

「あっそ」

 七海はそう言うと、おそらくあと一、二ミリ持ち上がればマンセーなところで、あっさりとスカートを離した。

 あっ

「ざああんねん。今日のパンツ、自信あったのにな……今の『あっ』っていう感じの顔、サイコーです、パンテー。」

 クスクス

 七海の蔑みのこもった笑い声を聞いて、川田は真っ赤になった。

「いい加減に……」

「大丈夫」

 机をぶっ叩いて叫ぼうとした川田は、七海に機先を制された。

 七海は前かがみになって、川田の顔を覗き込むと蟲惑的に微笑んだ。

「あなたが勝てば、なんでもアリです」

 引き剥がそうとしても、寄せられた胸の谷間から眼が離せないようだ。レモン色のブラから覗く、普段陽光を浴びない柔肌が、秋波を送ってくるのに抗えないのだろう。

 七海は、急に身を引き剥がすと言った。

「勝てばね……続きいこっか」

 ごりごりっ

 威風堂々と席に着くと、七海のトレードマークであるぽっちが、彼女の左手で耳障りな音を立てた。

 

 

「んじゃ、一つ目」

 十崎は、回想から我に返った。

「三年間、学食おごれ……きいてんのか負け犬」

 こちらに向けた、七海の目の色がおかしい。口調が、どんどんぞんざいになっていく。

 その姿は、あちこちから煙をあげている、オーバーヒート寸前のアンドロイドを思わせた。

 結局、川田という気の毒な高校生に勝ったときも、そうだったらしい。

 『パンテー残念だよね、無様だよね。パン一にされた上に、パンツはみれない、スフィンクスゲームには負ける……わかったわ。来年のバレンタイン、善戦したあなたには』   

 暫く俯き。

 意を決したように、顔を上げると、瞳を潤ませていった。

『お母さんから、もらったチョコも、数に入れることを特別に認めてあげる。よかったわね、パンテー』

 逆立った、柳眉の下に、険をたっぷり含ませた目許。

 道化師の様な、三日月形の口の端を、片方だけ更に吊り上げ、犬歯をむき出しにして、嘲笑う悪魔。

 脂汗を顔一杯に浮かべた九城と、完全に引いてしまった物部は、その光景に口をあんぐりあけたまま、見ているしかなかった。

「なんです、その目は十崎さん? 生意気に、赤い血流してんじゃないですよ。じゃあ、最後の命令」

 十崎の目の前の光景と、話で聞いた七海のかつての姿がシンクロする。

 

 片目を黒髪で隠し、川田へ邪悪に微笑んだ七海。

 親指で喉を掻き切る仕草。

 その親指を下に向け、ぐるりと水平に輪を描いた。

 『ケツ出して三回まわれ、このオタク野郎』

 

 

 片目を黒髪で隠し、十崎へ邪悪に微笑んだ七海。

 親指で喉を掻き切る仕草。

 その親指を下に向け、ぐるりと水平に輪を描いた。

「ケツ出して三回まわりやがれ、このダシガラ野郎」


作者より。

ここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございます。

東北大地震、余りの惨状に言葉もありません。

現場で作業している、原発や、自衛隊の方々。

本当のサムライが日本にいるのですね。

心からの敬礼を。

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