第十一章 友達未満☆仲間以下
「わかりませんね」
十崎は、物部の背後で横倒れになっている、ウルに目をやり言った。
「何で殺したんです? 仕事を放棄ですか?」
「契約違反ですよ」
物部は軽く顔をしかめながら、左手を振った。パラパラと、スーツにめり込んだ弾丸が落ち、床で音を立てた。
「ガードされる側が、言うことを聞かなかった場合は、契約を破棄できる取り決めです……足手まとい過ぎる。おかげで二対一ですよ」
物部は、さほど緊張した様子もなく、続けた。十崎も物部も、銃口は下を向いたままだ。
「そうや、オッサン覚悟はええな?」
九城が、笑いながら続ける。が、眼は血走っていた。
「僕はべつに、九城の味方じゃありません」
「おいい! 冷たいやんけ。仲間に優しいちゃうんか?」
九城があわてて突っ込む。
「……さっきから聞いてたら、何を根拠にそんな属性を。聞いてたこっちが恥ずかしくなりましたよ。夢でも見てたんですか?」
「それは好都合。じゃ、私たちの未来のために」
物部はニヤニヤしながら銃口を、血と脂汗を流す、引きつった九城の顔に向けようとした。
「いえいえ」
十崎は、物部に銃口を向けると続けた。
「銃を下ろしてください。同級生のヤクザから、五八万で買ったこのニューナンブが、火を噴きますよ」
「その半端な、八万はなんです?」
「さあ……カスリじゃないですか? 払う前に、塀の向こうに行っちゃったからどうでもいいです」
九城は、感極まったように叫ぶ。
「信じてたで、このツンデレ小僧! YOU、撃っちゃいなヨ!」
「これ以上、駒を減らされてはたまりません。折角二日がかりで 仕掛けた花火ですよ」
十崎は左手を、素早くコートのポケットから出すと、物部のかけているものとよく似たオレンジ色の眼鏡をかけた。
スピーカーから物悲しく、他の存在を否定する、細く、硬い一本の線のような、パイプオルガンの音色が、天に向かい駆け昇る。
大バッハの『皇帝』。
その二文字から、九城が連想するのは、カリスマ性でも権力でもない。
孤独。
只一人頂点に君臨し、他の追随を許さないが故の、孤独。
大バッハの『皇帝』。
それは、特異な才を持つ、孤狼達に捧げられる鎮魂歌。
十崎が左手を振ると、袖口から手品のように、三台の携帯電話が滑り出て、しなやかな指の間で扇状に広がった。
「うおっ」
工場側の入り口に近いテーブルが爆発し、突風と木製の破片が、九城と物部をよろめかせた。
笑った。
爆風に黒髪とコートの裾を、怪鳥の翼のようになびかせながら、狂気という交響楽団にタクトを振る指揮者――
かつて敵の背後から忍び寄り、別れを囁いてから頸骨をへし折る事を得意としていた山岳地帯の暗殺者が。
アウルディー。振り向いてはいけない冥府からの声。
「……やっぱあかんか」
爆風に伏せながら、九城は歯噛みした。
なつみん、明日講義でれんかも。
「銃なんて、興ざめなものは捨てて、今から出す、三択に答えてください」
十崎は携帯を掲げ、結婚式のビンゴゲームの司会でもやっているかのような、にこやかさで言った。
「あなた方が選んだ番号を、私が押します。外れれば、私の斜め後ろの手製クレイモアが、鉄球と釘を吐き出し、あなた方のどちらかが死にます。わからなければ、正直に言ってください。泉の女神様から、正直なあなたには、両方さしあげましょうというありがたいお言葉が、聞けるかも知れません」
そこで初めて、九城と物部は十崎の背後の壁の両隅にある、こちらに面を向けたダンボール箱に気づいた。黒マジックで、表面に文字が書かれてある。
右の箱には『スナックのママを、吊るしたりした原作作家』、左の箱には『エルメスのベルトをした、ブランド嫌いの国際派ジャーナリスト』
九城は、脱力して呟いた。
「どっちもいらんわ」
物部は、ちらりと微動だにしないウルを見る。
十崎の右手が、携帯の表面を走った。
十崎の、背後のショールームに続く入り口と、十崎と自分たちの間に、通せんぼするかのように幾筋もの赤い光が走り、物部は眼を見開いた。
振り向く。
物部達の、わずか二メートルほど後ろでも、嫌な予感のする境界線が幾筋か横切っており、その向こうに ウルが倒れていた。
赤外線により、空間は三マスに区切られた。
道路側に十崎、真ん中に物部と九城、裏口側にウル。十崎自身も自らを閉じ込めた形だ。
「あなたたちの背後にも今、赤外線が走っています。触れたら爆発。私を殺したら赤外線は解除できません。あなた達を閉じ込めたまま、二〇分後には仕掛けたC4爆弾で、この建物自体が爆発。逃げ道はありません」
だが、九城と物部は飽くことなく、隙を探す。火はそれほどでもないが、壁際の煙が勢いを増してきた。
「さあ、始めましょう! 三問正解で一抜けです。では……」
「十崎さん!」
「その赤外線に、触れたら死にますよ!」
鋭い叱責が、十崎の背後、ショーウィンドー側の入り口に現れた七海の足に、急制動を掛けた。
「なつみん! 逃げろ」
九城が、驚いて叫んだ。
物部が瞬間、銃を向けかける気配がしたが、断念したようだ。十崎はこっちを見据えたままだ。
「なにしてるんですか! あしたは考古学概論ですよ……ウルマさん!?」
倒れているウルを見て、七海は悲鳴をあげた。
九城が言った。
「十。ウルマの容態を確認したい」
十崎は、銃口を物部に向けて言った。
「一番下の、赤外線を解きます。すぐに戻ってください」
なるほど、それなら走れんわな。
九城は腹ばいになって、赤外線をくぐり、ウルの傍で膝をついた。
脈を取ろうとしたが、右手には、棒を固定するためのガムテープが、首にはスカーフが巻かれていた。瞼を指先で開いて確認する。瞳孔肥大。
九城は首を振った。
「……あかん」
「そんな……」
七海はぺたん、と座り込んでしまった。
「どうでもいいことですが、殺したのはそこのオッサンです。僕じゃないですよ」
「どうして……」
「やあ、さきほどはどうも、物部です」
物部は、道端で知り合いにあったときのような気軽さで、七海に言った。
「人が……死ぬなんて。ウルマさん……うそ」
七海は聞いてなかった。放心したように呟く。床の上に広がった膝までの黄色いフレアスカートが、場違いなひまわりのように咲いていた。赤外線を潜って、元の場所に戻った九城は、ウルの死を七海に告げた事を後悔した。ここにいる面子のように、人の死に慣れている方が異常なのだ。
「なつみん、警察呼んで。また、誰かが死ぬで」
「それは許せません」
十崎が言った。七海は、ウルの方を凝視している。
「どうやって、この場所を嗅ぎ付けたんだか……貴女はほんとに、僕の予想を上回る」
「十崎さん、帰りましょう」
七海は顔をあげると、出し抜けに言った。
「明日は、朝一から講義なんです」
十崎の背中に、語りかける七海の声は真剣だった。
十崎は、肩越しに薄く笑った。
「……明日、僕に朝一の講義はないですよ」
「そんなの関係ありません。一緒に授業に出るんです」
七海は頑なに言い募った。内容は馬鹿馬鹿しくても、本気なのが九城にはわかった。ここが七海と十崎、九城にとっての分水嶺なのだ。
「そして……おはようからおやすみ……じゃなかった、また明日までを繰り返すんです、毎日」
七海は精一杯の思いを込めて、十崎の後姿をみつめた。
十崎は、銃をぶら下げた物部から眼を離さない。壁際を焦がす火は、先ほどの爆風であらかた消えているが、まだ煙を大量に生産し続ける。
「休憩です」
物部は、銃を落とすと足で蹴って、赤外線の向こう、ウルの倒れている方向に滑らせた。
「どうぞ、心行くまで話し合ってください」
背中を向けたが、九城からは十分に距離を取る。七海の説得に、かける事にしたようだ。
「十、血ィ止めてええか?」
九城は、流血で塞がった片目を指して尋ねた。
「ポケットに入れるのは左手で……といっても九城、あなたは、銃が撃てないんでしたね。そっちのオッサンも、見苦しいから手当てしていいですよ」
物部に、銃を向けながら十崎は答えた。
二人とも、憮然としたまま、各々応急手当を終える。
九城は赤外線越しに、十崎と七海の横顔に目を向けた。
十崎は銃口を下ろし、半身のまま、首だけ振り向いた。
赤外線越しに、七海にやさしく笑いかける。胸が締め付けられるような瞳の色だ。
「おはようから、おやすみ……ですか。大胆ですね」
「……それでも……いいです……よ?」
七海は取り乱さなかったし、怯まなかった。
十崎が、少し驚いて真顔になる。九城もだ。
「何でもいい……です……だから……帰りましょう」
九城は確信した。
彼女の、十崎への気持ちを。
十崎には、分かっただろうか。
十崎は、少し苛立たしげな顔をした。
「なんで、怒らないんですか? 僕がやって来たことが、全部無駄になっちゃったじゃないですか。もう、気付いてるでしょう?」
その先は言わせない、とばかりに七海はちょっとだけ、恨めしげな目をして十崎の言葉を遮った。
「怒ったら、負けな気がするからですよ。十崎さんの、思い通りになってたまるもんですか」
十崎は、一瞬だけきょとんとすると、失笑した。
「……やっぱり、織河さんを敵に回すのは、無理ですね」
「帰りましょ。ね? 十崎さん。明日青汁おごりますから」
十崎の笑顔が、変化した……悲しげに。
「あなたひとりで、帰るんです」
七海の顔が、打ちのめされたそれになり……べそをかき始めた。
「十崎さん……」
「あなたは一杯勉強して、りっぱな考古学者になるんです。きっとなれます。私や」
無表情で、事の成り行きを見ている九城、背を向けている物部を見て言った。
「この人たちのような、どうしようもない人間に、かかわるべきじゃありません」
九城と、物部がハモった。
「「お前がいうな」」
子供のように、顔をくしゃくしゃにして、頬を濡らした七海は、しゃくりあげながら言った。
「十崎……さん……」
えぐえぐいいながら、鼻水をすする。
「さ、行くんです」
十崎は遮った。その声は優しく、七海はぺたんとすわりこんだまま、声をあげて泣き出した。
「青汁いらないの?」
「今あなたが向いているのは、後ろです……前を向いて」
十崎は、七海の背後を指差した。
「歩き出すんです。振り向いては……いけません」
七海の泣き声が、高くなった。
「……七海さん」
十崎が、初めて下の名前を呼んだのに、九城は気づいた。
よかったな、なつみん。
「こまった……おこちゃまです」
十崎は、少し困った顔で携帯を取り出し、操作した。
「どざぎざああん」
「……いい加減泣き止まないと、この三〇フレームで隠し撮りした、鼻からうどん動画をバラ撒きますよ?」
「をういっ!」
九城が、状況も忘れて突っ込んだ。
「ぶち壊しやんけ! なつみん、死ぬな!」
赤外線越しに突きつけられた、携帯の衝撃映像に口から魂を引っこ抜かれた、七海は聞いちゃいなかった。膝をM字にしてぺったり床につけたまま、器用に後ろにのけぞってノビている。
十崎は、七海に視線を固定したまま言った。
「いいんです。どんな方法を使っても、この場には留まらせません。なぜなら、彼女はぼくにとって……」
七海の眼に、一瞬光が戻る。
「かけがえのない」
九城も、拳を握りしめる。
『いけッ、逆転サヨナラやっ』
……照れたような表情の、十崎が赤外線を解き、頬を染めたなつみんが寄り添う。
『九城、僕には大切なものが出来ちゃいました。こんなもの要りません。お詫びに、知り合いのキャンギャルを紹介します』
俺は親指を立てて遺物を受け取ると、うろたえているオッサンを、後ろ回し蹴りで成敗。ウルマは生き返って俺にメロメロ。
九城は、今思いつく限りの神展開を、脳裏に無理やり描いて、十崎の言葉を待った。
十崎は、堂々と言った。
「大切な、サークル仲間のひとりなんです」
…………。
「ダメダメじゃないですか」
「ダメダメやな」
物部があきれたように吐き捨て、九城も眼が線になった。
十崎から、恋愛関係の話なんか聞いたこと無かったけど、ここまで朴念仁とは思わんかった。
九城が天を仰いだその時。
「そうですか」
「!?」
はっきりとした……あまりにもはっきりとした七海の声が、その場にいる男たちの耳朶を打った。 皆、はじかれたように、七海のほうを見る。
闇の中、七海は操り人形のように、器用に立ち上がると、
「ようっっっくわかりました」
すべての色が抜け落ちた、無機質な声で呟いた。
うつむいたままの、七海から立ち上る瘴気に、九城は眉根を寄せた。
「はじめましょうよ……スフィンクスゲーム」
単語を羅列しただけのような、抑揚の無い七海の声にも、十崎は苛立ちを面に出しただけだった。
「帰るんです。そうしてくれれば、この動画は携帯ごと始末しますから……お互い本気になれないゲームなんか……」
「黙れ、ボケ」
一瞬で。
その場の空気が、一瞬で空洞化した。
七海の、突然の変化についていけず、凝固する三人を余所に、少女は俯いたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「そんなことだから、あらあら大辞典なんかに、担がれるんですよ……眼に見えるようです。きっと賞味期限の偽装された、おたべを食べながら、ほくほくしてみてたんでしょう。お宅の耐震強度は大丈夫ですか?」
感情の起伏を感じさせない罵詈雑言に、展示室は一気にブリザード吹きすさぶ、南極と化した。
スピーカーから流れる、場の緊迫感にそぐわないNHKの解説が、さらに室温を低下させる。
「は……はは」
十崎のぽかんとした顔が、歓迎の高笑いに、占領されていった。
十崎の、歓喜に満ちた笑い声が響く中、九城は七海の呟きを確かに聞いた。
「こいつぁマイッタ……友達ですらないときた☆」
十崎には聞こえなかったろう。物部にも。
だが九城には聞こえた。
なぜなら……
「しかも、大切な仲間……の内の ひ・と・り(はぁと)」
そりゃそうや。
「許せん。万死に値する」
普通、そう言うわな!
七海は面を上げると、十崎に向かって宣戦布告した。
「……覚悟はいいですね?」
「ははははは! それです! 僕が会いたかったのは、今のあなたです。すごく……すごく会いたかったですよ」
十崎は周囲の全てを忘れ、熱に浮かされたかのような視線を、七海から離さなかった。
「スフィンクス殺しのオイディプス」