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第十章 雑種

更新がおくれてすみません。

この度の地震で被災された方、言葉もありません。

お体にお気をつけください。

 

 

 ウルは、ロードスターのそばに立って、広い産業道路側に面している、全面ガラス張りの壁を見た。

 道路脇の街頭に照らされて鈍く光を反射する表面には、スプレーでの落書きやら、様々な種類の車の名前が張られた、あちこち剥げたカッティングシールやらが見て取れる。

 店内は暗くてよく見えないが、雑然とした店内の白い床は、病人の寝顔のように消え入りそうな街灯の明かりを反射し、買い手がつくことなく終わるであろう、寂れた気配を醸し出していた。 季節はずれの寒さとあいまって、墓地のような雰囲気だ。

 建物の造りは、車が四台は悠々と展示できそうなガラス張りのショールーム、右手が奥へと続く道路になっており、スライド式の鉄格子の門が、口をあけて待っていた。

 ショールームの前面が、駐車スペースになっており、ウルは今そこに立っている。

 ウルから距離をとって、どこかに電話していた、サイヤーラが戻ってきた。

「行きましょう。車はこのままで」

 ウルは、柞の棒が離れないように、右手に固定するため、ぐるぐる巻きにしていた布製のガムテープを、ダッシュボードにおいた。

 開くことはないであろう、ショールームの自動ドアは無視し、鉄格子の門を通り、わずかな明かりが照らす敷地内へと歩を進めた。

 建物は、奥に向かって細長く、ガラス張りの壁は早々と姿を消したが、客の視線を意識した壁面は、四〇メートルほど続いた。

 それを過ぎると、建物に隣接する修理工場が、こちらに向かって内臓をさらけだしていた。

 ウルは、棒の先端を斜めに垂らした下八双に構え、サイヤーラも、大型拳銃をぶらさげていたが、狙撃されればそれまでだ。

 そのとき、サイヤーラが携帯を取り出し、耳に当てた。

 通話を終えると、言った。

「奴からです。工場内にある裏口から、建物に入れとのことです」

 片方が、ショーウィンドーを叩き割って侵入し挟み撃ちにするか?

 やめた。二人で来たことが知られている以上、不意打ちにならない。

 二人は、迷わず左側の修理工場内に歩を進め、真っ暗な裏口をくぐった。

 その時、想定していなかった事が起きた。

 突然、長方形の室内に、煌々と明かりが灯ったのだ。天井の蛍光灯群が一瞬明滅し、五〇mの、室内プール大の闇をあっという間に駆逐する。

 サイヤーラは銃を構え、ウルは棒を構えた。

 電気が、通っていたのか。

 さらに、ボッというノイズ音を立ててから、天井に備え付けられたスピーカーより、がらんとした空間に、ラジオ放送が響き渡った。

「……ですね。ワグナーはもともと」

 どうやらNHKらしい。

 室内の真ん中を、奥に向かって点々と商談用の椅子と、テーブルが設置されており、壁際にタイヤや書類、ダンボールやバンパーなど、大小さまざまなものが雑然と放置されてはいたが、思ったよりは荒れていなかった。奥は、さっき見たショールームに続いており、展示用の自動車が出入り出来るように、扉はかなり大きくなっていた。今は大きくこちら側に開いて、その向こうに明かりのついていない、ショールームが見える。

 人影はない。

 サイヤーラとウルは、少し距離を離して、堂々と室内の真ん中を横切り、奥へ向かった。つまり、やってきた産業道路側へ、戻っていく事になる。

 半ばほどに差し掛かったとき、

「よお」

 ウル達が入って来た裏口から、声がかけられた。

 サイヤーラが神速で銃を向けると、相手は顔をひっこめた。

「昼間あったな、ミズ・ウルマ。俺の名は九城」

 身を隠したまま、九城は叫んだ。

「知っている。昼間は世話になった、米軍の犬」

 ウルは、刺々しく叫んだ。

「……犬はないやろ。まあ、話が早くて助かるわ。取引を中止し、遺物を置いてこの場を去れ」

「何のことか、わかりませんね」

 傍らのサイヤーラが返事した。

「そこのミズ・ウルマが、クルドにいるころから、バグダット博物館の盗難品が、あの村に流れてるのは分かっていたんだ……だが証拠がない」

 九城の言葉が標準語に変わり、口調がシャープになっていった。

「俺は、ボグダノス大佐から、個人的にこの依頼を受けた。ある程度は、俺の裁量に任されている。十崎も聞こえてるか」

 九城は、続けた。

「あなた達を、通報するつもりはない。今までの経緯も、ある程度は情報提供者から聞いている。ミズ・ウルマ、個人的には、手伝ってやりたいくらいだ。だが、恩人からの依頼を受けた立場上、そうもいかない。それと十崎」

 さらに、大きく声を張り上げた。

「お前、あの円筒印章、売るつもりも譲るつもりもないやろ。形見やからな」

 ウルは目を見開いた。

「結局、屑どもを二人、歩く死人に変えたのも仇討ちや。お前はなんやかんや言うて、寂しがりで、仲間をやたら大切にする……俺もお前も、コワレやけど……」

 九城は一旦言葉を切って続けた。

「でも屑やない。あるべき場所に、あるべきものを返せ。どこへ逃げても……ひよこちゃんは追ってくるで」

 静寂が、あたりを包む。

 ウルは、全身が敗北感に包まれるのを感じていた。

 体中の、骨という骨がなくなり、地面の上に、溶けたゼリーのようにわだかまってしまった様な気分だ。

「いいですよ」

 真顔で返事をしたサイヤーラを、ウルは信じられない思いで見た。

「……おい」

 サイヤーラは銃をしまうと、大型の電話を取り出した。衛星電話だ。

「九城といいましたね。物部と申します。話しにくい。顔をだしてください」

 九城は、慎重に姿をさらした。いつでも壁に、身を隠せるように、全身のバネをたわめ、警戒は怠っていない。

「俺のほうから、言い出してなんだが、素直すぎるな」

 サイヤーラは、インマルサットを操作し、耳に当てながら笑った。

「ただし、われわれの罪は問わない。ボグダノス大佐の名に誓えますか」

「大丈夫だ。遺物を回収する以外の、任務は受けていない」

 九城は、真摯な表情で答えた。

「……おいっ!」

 ウルは、盗まれたほうはどうするんだ、という言葉を飲み込んで、サイヤーラに詰め寄った。

 明かりが眩しい。目がちかちかする。

「車屋の、任務完遂率は、一〇〇%……アロー、サイヤーラ……出てください、Mrハシムからの説明があります」

 ウルは、恐怖に満ちた目で、差し出されたインマルサットを見つめた。

 おぼろげに……

 おぼろげに、輪郭が掴めて来た。

 素人頼りのずさんな計画、アウルディーの言っていた、フランスの新聞記事……そして、サイヤーラの今の言葉。

 サイヤーラに再度促され、ウルは震える手で、すべての疑問に答えるであろう、大型の電話を受け取った。

「……ウルです」

「ウル」

 まだ、三日も経っていないのに、ひどく懐かしく感じる声が言った。

「本当にご苦労だった。危険な目にあわせて心から謝る……もういいんだ」

「一体……何が、どうなってるんですか」

 尋ねながら、祈った。

 お願い、答えないで。

「今回の目的は……遺物の取引なんかじゃない」

 その言葉は、ウルを絶望の淵に立たせ、次の言葉は、ウルを奈落の底に突き落とした。

「君を、日本に送り返すことだ」

 空っぽになった頭と心に、ハシムの声が容赦なく響き続ける。

「二ヶ月前、君のことがフランスの新聞に掲載された。写真付きでだ」

「……こっちに来て知りました」

「……そうか。じゃあ、わかるな」

「サイヤーラの、本当のクライアントは……」

「君の母上だ」

 ウルは、がっくりとひざを付いた。

 搾り出すように呟く。

「また……またあなたか、母さん」

「新聞のインタビューに彼女が答え、記事の掲載を許可したのも……彼女だ」

 ウルは絶叫した。

 言葉にならない思いを。

 ひとしきり叫んだ後、ウルは吼えた。

「なぜだ! あの女は、なぜ私の人生に干渉する! いつまで私を子供扱いするんだ! なぜ、何が憎くて、私の居場所を奪う!? 師よ、あなたもグルだったのか? ……金か? あの女に金を積まれたのか!?」

 ハシムは、傷付いたように呟いた。

「ウル……」

「もういい! もういい! 私が疎ましかったのだろう! クルドでもアラブでもない雑種だものな!」

 ハシムの声が、怒りを帯びた。

「ウル! 聞くんだ!」

「イヤ! 聞きたくない!」

 女の子そのものの悲鳴を上げ、ウルはインマルサットを左手で不器用に投げ捨て蹲った。

 九城は、怪訝な表情でそれを見つめているだけだ。

 サイヤーラは、壁際に投げられたそれを無表情に拾ってくると、懐にしまいながら言った。

「お気づきでしょうが、私はあなたのガードとして雇われました。あなたの母上とは日本車の輸出の関係で知り合いました。私が依頼された仕事は、一、あなたを守ること。二、ぎりぎりまであなたの自由にさせること。円筒印章は本物です」

 ウルは、涙で歪んだ視界のまま、床を見つめていた。

 目薬が、流れてしまうかも知れないな。

 サイヤーラは、九城の方に顔を向けると言った。

「ミスター・九城。この件について、どうしてもわからないことがあります」

 ウルは、その言葉を聞くともなく聞いていたが、サイヤーラの次の言葉で、愕然と顔をあげた。

「何故、円筒印章ごときで、米軍が動くんですか? いつでもeベイや、ヤフオクで二〇〇〇や、三〇〇〇ドル程度で売られているのに」

「二〇〇〇……三〇〇〇だと?」

 ウルが、しわがれた声で言った。イラクからの、往復チケット代と、大して変わらないじゃないか。

 ウルは、七海の言葉を思い出した。

 『円筒印章は除外するとして』

 彼女は、このことを知っていたのだ。

 ウルの呟きを無視し、九城は答えた。

「それは真偽のわからないものだろう? 今、あなたたちや十崎が所持しているものには、バグダッド博物館の通し番号がふってあるはずだ」

 サイヤーラは、意地悪く笑った。

「その通し番号を、偽物に付け足すなんて造作ないじゃないですか」

 九城は少しだけ顔をしかめた。

「まあな……要は、買い手がどれだけ知識と、鑑定眼をもっているかに、かかってるけど。 最初は、ボグダノス大佐の面子の問題かな、思たんや。あの人、自分の書いた本の中で、『円筒印章は全て無事だった』 って書いてしもてるからな」

 ここで、九城は呆然としている、ウルに眼を向けた。

「ミズ。あなたの母親は、相当裕福らしいな。政界進出を、目論めるくらいに」

 ウルは答えなかった。九城が続ける。

「ミスター物部。あなたが全貌を、クライアントから聞かされていないのと同様に、俺も全てを知っているわけじゃない。ここからは、俺の勝手な推測だ。アンティキティ・コムって知ってるか?」

 二人は、沈黙で答えた。

「アメリカで、最大大手の小売業者、ウォルマート一族の一人と、ステイツの共和党が主催するオークションだ。趣旨は、イラクの遺物を競売に賭け、戦費に充てよう、愛国者は参加せよ……というものらしい」

 サイヤーラは鼻で笑った。

「ご冗談を。どう考えても違法でしょう?」

 九城は無言。しかし揺ぎ無い視線で、サイヤーラの質問に答えた。

「……本気ですか? なら米軍が……ボグダノス大佐がやっている事は、一体何なんです?」

「それが、今回の俺への依頼の趣旨だと思う。イラクの復興の為と、体を張って遺物を回収している大佐たちにとっては、許せない事実だろう。ウソだと思うなら、ネットで検索してみるといい。チェイニーの糞野郎が、競り落とした金の皿を持ってヘラヘラ笑っている写真が載ってるよ」

 九城は、地面についた手をガクガクと震わせている、ウルに目を向ける。

「ミズの母上は、多分円筒印章を、政界進出の足がかりとして、共和党に持参するつもりだったんじゃないか? そこなら、専門家が鑑定して本物だと認定されれば、一〇〇万ドルはないにせよ、相当な値段が付くだろう。もっとも、狙いは顔を売ることだろうから……」

 その時、両方の壁際で、連続した爆発音が上がった。反射的に、サイヤーラはウルに覆いかぶさり、九城は、入り口から飛び退った。

 壁際に、等間隔で置かれていたダンボールが元凶だったらしく、爆発はどれも小さいものだったが、床からちろちろと炎の舌が、壁を舐め始める。

 思ったとおりだ。アウルディーは、われわれを逃がすつもりはないらしい。

 サイヤーラは立ち上がり、銃を抜いた。

「ミズ・ウルマ。立ちなさい。逃げますよ」

「もういいんだ。死なせてくれ」

 ウルは力なく呟いた。

「甘ったれるんじゃありません、さあ、立って」

「ほんとに……死なせてくれ」

 サイヤーラの額に、青筋が浮かんだ。

「どこまでも」

 サイヤーラは、手を振り上げた。

「何しとる!?」

 九城はそれを見て叫んだ。

「役に立たない女ですね」

 

 

 七海は、美夜子に借りたスクーターで、産業道路をひたすら南下した。

 『あった、あれだ』

 交通量も、まともな街灯もろくにない、寂しい場所にウルが電話で教えてくれた、閉鎖されたカーショップを発見した。

 とっくに限界まで絞っているアクセルを、手が痛くなるまで、さらに回す。

 足元の、これも美夜子に借りた大き目のザックが、ステップから落ちないように足でさらに挟み込み、前傾姿勢になって、フルフェイスから見える目的地を睨んだ。

 やかましい音を立てながら、どノーマルのディオは突き進む。

 接近するにつれ、敷地内の建物の明かり取りから、光が漏れているのがわかった。

 減速して、駐車スペースに滑り込む。

 薄暗いショーウィンドーの奥の壁の、開け放たれた大扉の向こうに、明かりに照らされた空間があり、そこにいる人影を、七海の一・五の視力が捕らえた。

 こちらに背を向けている大男と……銃をつきつけられ、その前に立っている九城さん!

 七海の口から、叫び声が迸ろうとしたそのとき。

 闇に同化していた、コート姿の人影が、ショーウィンドーの向こうを横切り、奥から漏れる光を、人型に刳り抜いた。

 生まれて初めて聞く轟音が、ガラスごしに響くたびに闇色の背中が揺れ、耳をおさえて蹲った七海は、悲鳴を上げた。

 銃声が止み、しばらくたってから、七海はこわごわ顔をあげた。

 ちらりともこちらを振り向かないが、はじめて見る暗色のロングコートの背中でもそれが十崎だということが七海にはわかった。

「十崎さん!」

 言えるだろうか。

 間に合うだろうか。

 光の中に歩を進める、その後姿を追うように、七海はショーウィンドーに恐怖も忘れ駆け寄った。


作者より


次回、七海がはじけます。

お楽しみに。


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