第八章 さよならは言わせない2
みなさんこんばんわ。今日も寒いです。お昼はびっくりドンキーを食べました。
今は菓子パンを食べてますが。小学生の作文のようですね。
それでは、どうぞお付き合いください。
今は、待つしかない。
陰鬱な空気が、二人の間に流れていた。
「逃げられました」
四条駅で落ち合った際、サイヤーラが無表情に言った。ウルは黙って、頷くしかなかった。
後は、サイヤーラのネットワークと、アウルディーからの連絡を待つしかない。
サイヤーラの仲間がもってきた、小型の古いロードスターが、鴨川沿いを、修学院にあるウルの宿泊先に向かう。
寒い。
川べりだから余計にそうなのかも知れないが、それにしても、異常気象だろう。ウルは、コートの前を合わせた。車内に暖房は入ってない。鴨川の、暗い水面を見つめながら、ウルは努めて何も考えないようにした。
その時、携帯の着信音が、車内の静寂を破った。
「アウルディーですね。私と奴以外、その番号は知らないはずです」
その通りだ。
ウルは、携帯のモニターを見もせず、通話ボタンを押した。
「私だ」
「ウルマさんですか、さっきの織河です」
「……どうして……そうか、さっき携帯の番号をアウルディーに伝えた時か。なんて記憶力をしているんだ、あなたは」
「おい」
サイヤーラの険悪な声がかかった。
ウルは通話口をふさぎ、
「奴の女友達だ」
囁いた。
「十崎さんの、居場所は分かりましたか?」
「関係ない。切るぞ」
「彼が欲しがるものを手に入れました。多分、十崎さんは、お金には興味がありません」
「……ちょっとまて。この通話、ハンズフリーにできるか」
サイヤーラは車を路肩に寄せると、携帯を受け取り、コードを繋げてから返した。
「アロー、今、奴は金には興味がないといったか?」
「感じませんでしたか? 隣りの危ない方は、どう思うか聞いて下さい」
ウルは、内心の動揺を隠して言った。
「……何を言っている?」
「今車の中でしょ? 運転しているのがあなたでないなら、隣りにいるのは十崎さんが言ってた、危ないオッサンしか考えられない」
「別の仲間だったらどうだ」
「語るに落ちましたね。そういう場合は別の男だっていうんですよ。そんなことはどうでもいい。聞くぐらいどうってことないでしょ」
こんな少女にまで、手玉にとられるとは……ウルは泣きたくなったが、黙ってサイヤーラに目を向けた。不機嫌そうにこちらを見ていたが、黙って不承無精頷いた。
「……なるほど、そうかもしれん。では、見つけ次第殺して回収しよう」
ウルは、できるだけ冷淡に言った。
電話の向こうで、息を飲む気配がした。いつまでも、主導権を握られてたまるものか。
「冷静になってください。そんなスタンスだと、よくても逃げられるし……」
「悪ければ、なんだ」
「あなた方が、殺されます」
「おまえ……」
「落ち着いてっていったでしょ。少しだけでいいから、想像力を働かせて下さい。あなた方から盗んだっていうのは多分、密輸品でしょ、カバンに隠せる大きさの」
「……続けろ」
「十崎さんは、以前イラクに行ったことがあって、京大には鑑定眼を養いに来たと言っていました。彼がコレクターとは思えません。ならば、ブローカーでしょう」
「……」
「あなたは、取り引きはいい、盗んだあれを返せといいました。十崎さんが盗んだものが、現金とは思えません。かさ張るし、普通現金をあれとはいいません。じゃあ分からないのは、買い取りに来たあなた方から、何の品を盗んだのか? 逆ならわかりますが」
七海は一旦、言葉を切ってから続けた。
「考えられるのは、密輸品は対になって、はじめて価値のあるものか、または価値の上がるもの。単純に多いほうが、値段は上がるってだけの理由かもしれませんが、あなた方も、十崎さんの所持するものと、共通する密輸品を持っていた。十崎さんに、イラクで手に入れたっていう、円筒印章を見せてもらったことがあります。まずそれは除外するとしても、その類かもしれませんね」
ウルは、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。なぜ、円筒印章を除外する?
叫びだしそうになるのを必死にこらえた。カマをかけているとしか思えない。
「でも、それがなんにせよ、盗まれたものは何か、あなたがなんの取引できたのか、私はこれ以上詮索しない。どうでもいいから」
ウルは、少女の理路整然とした推測に、舌を巻いた。
「結論からいえば、あなたたちから何かを盗んだ理由、呼び寄せる理由は、面白半分……としか思えない。ただ……」
ウルはサイヤーラを見た。サイヤーラはあきれたように笑い、首を振ると、七海の言葉を遮った。
「聞こえますか? 初めまして、私、物部と申します」
「……聞こえてます。初めまして、織河です」
「……見事な推理です。さすが京大生。いままでの推理、メモにとっているなら焼却してください」
「演繹法と言ってください。ご心配なく、全部頭の中です」
「あなたの仮説が、当たっているかどうかはともかく、結論の部分は同意です。あの男が求めてるのはスリルでしょうね……で? わざわざアドバイスをくれるために、お電話を?」
「私を、彼のいるところに、連れて行ってください」
「自分で、勝手に行けばいいでしょう」
「ええ、居場所を教えてもらったら、勝手に行きます」
「教えようにも、知らないんでね。それでは」
「分からないんですか? あなたたちにはもう、打つ手がないんです。手詰まりなんですよ。取り返せる可能性があるのは、スフィンクスゲームだけです」
「……何を言ってるんです?」
自分に、問いかけられたと思ったウルは答えた。
「アウルディーが、その娘とやりたがっているゲームだ。何の事かは、さっぱりわからない」
「欲しいものを、ベットしてやりあうゲームです。彼は去るにあたって、それが私と出来なかったのが、心残りだと言ってたんですよ。彼が喰いつく餌としては、唯一のものです。そして多分……」
「……あなたは、彼の恋人なんですか?」
「……は? お、おぞましいこと、言わないで下さい! 赤ちゃんを産みますよ!」
錯乱して、訳の分からない事をいう少女に、サイヤーラは苦笑したが、真剣な顔になって続けた。
「あなたは、冷静な分析ができているようだ。なぜ身の危険をさらす?」
「……彼を含む日常を、失いたくないんです」
「説得力としては、弱い。それくらいの事で……」
「それくらい?」
少女の声に含まれる、ただならぬ怒りを察して、サイヤーラは言葉を失った。
「私は小学生の頃から、独りでした。高三の夏からは、バカな事をしたせいで、本当の一人ぼっちになりました……一人でお昼ご飯を、食べる辛さってわかります? 私には友達がいませんって、全身で表現しているんです」
電話の向こうの少女が、涙を必死にこらえているのが、スピーカー越しに伝わり、ウルは感嘆を禁じえなかった。
泣き落としをするつもりは、無いらしい。
「その頃ちょっとだけ、仲のよかった男の子もいました。でも彼とは、お昼を一緒しなかった……。余計に惨めだからです」
ぐっと詰まる気配があった。
「私は……一人で前庭の、車の陰で食べてたんですよ」
ウルは、この件に関わった事を、心の底から後悔していた。ウルの抱える、少女と似た傷が激しく痛みを発し、血を流しはじめていたのだ。シリンダーシールを盗まれたのが、自分の責任でなかったら、今すぐこの仕事を放棄していたかもしれない。
「そうなったきっかけが、スフィンクスゲームでした。高校生クイズで負けた悔しさに任せて、優勝高のチームに、決闘を申し込んだんです。気付いたときには、ゲームは終わってました。そして……大変な事になってました。でもゲームの間の、記憶が私にはないんです。ホントなんです」
七海はまるで、当事者に言い訳するかのように、必死でサイヤーラに訴えかけた。
「自分のチームの男の子に頬桁を張られて、目を覚ますまでの記憶がないんです。でも…… その場にいた誰も、信じてくれませんでした。そして離れて行った」
七海はこらえきれなくなったのか、声を上げて泣き出した。
「一体……何があったのか……誰も教えてくれないから……いまだにわからない」
「青春白書は、他でやれ」
サイヤーラはいら立ちを露にし、七海の言葉を遮った。
だが、それは話が脇道に、逸れたせいではないようにウルには感じた。
「話を戻しましょう。私たちに、打つ手がないとはどういう意味ですか」
七海はすすり泣くのを、無理矢理断ち切って答えた。
「もう……分かっているでしょう。あなたがたは否応なしに、十崎さんの指定する、時間と場所に従わなきゃならない。犯人から公衆電話にかかってくる、指示に従って走りまわらされる、ハリー警部と一緒なんです」
「……『車屋』を、面と向かって侮辱した人間は、あなたが初めてです」
サイヤーラ。アラビア語で車。
「車屋?」
サイヤーラは、一瞬気まずげな表情を浮かべた。
「もういい。大人の仕事を、邪魔するのはやめてもらいましょう」
ウルが言葉を挟んだ。
「私は、シリンダーシールが戻れば、何でもいい」
サイヤーラは、怒りに満ちた視線を、ウルに向けた。
早口で、ウルが囁いた。
「サイヤーラ。彼女を利用させてもらおう。このままでは、私たちはハリーにすらなれないかもしれない」
「それも、ヤツから連絡があっての話です。なければどのみち、捜し出すしかない」
その時、シフトレバーの手前に置いてある、七海との会話に使用している携帯が震え、電子音を吐き出した。
キャッチだ。ウルとサイヤーラは顔を見合わせた。
間違いなくアウルディーだ。
サイヤーラは左手で、携帯を掴み上げた。
「織河さんといいましたね。懸念が一つ消えました。ヤツからこの携帯にキャッチが入ってます」
「……! あのっ」
「車屋の、任務達成率は一〇〇パーセントです。それでは」
「ヤツには伝える。準備しておけ」
ウルが、七海に聞こえるよう、大声で言った。
通話を一方的に終えたサイヤーラは、携帯を持ち換えると、素早くウルの胸倉を掴んで引き寄せた。
「ものは盗まれる。勝手なことは言う……。いいかげんにしないと、息の根を止めますよ」
至近距離でのぞき込んだ、ウルの怜悧な眼差しには、恐怖の色は微塵もなかった。
スカーフで隠された、ウルの口元とサイヤーラの顔の間で、傷だらけの棒の先端が当たり前のように、ニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「保険だ。貴様が仕事を完遂すれば、必要ない……。電話に出たらどうだ」
サイヤーラは、右手の携帯の通話ボタンを押すと、険しい顔でウルの目を見据えながら、左手を離した。
「もしもし、サイヤーラです」
電話の向こうから、朗らかな声がした。
「やあこんばんは。お散歩はどうでした」
「……もう若くないんでね、別の足を使ってますよ」
「せっかく、あなたの健康を気遣って、嫌々仕方なくこの車を強奪したと言うのに……それはそれとして、この車、二五歳以下にも保険が利くんですかね?」
「いやぁ、もうすぐこの世からおさらばする、あなたには関係でしょう」
「そういうことなら、仕方ありません。このチェロキーの鍵もお返ししないといけないから。今から十条の交差点まで、来れますか」
「今日は疲れたんでね。勘弁して欲しいんですよ。お金も、準備しなくちゃいけませんし」
「いえ、今回はあなたがたの分を返却するだけです。だから、お金は又今度で」
「行かなかったら、どうするんです?」
「明日、ニューヨークのボグダノス大佐のオフィスに郵送します」
……最悪だ。
誰も罪に問われないが、一円にもならない。なにもかもが無かった事になる、最悪の選択だ。
黙っていると、十崎は続けた。
「コーヒー一杯では郵便代にもなりませんがね」
遺物を、自発的に返却しに来た相手に対し、ボグダノス大佐のチームが執り行う儀式を口にした。
ウルは手のひらに汗がにじむの感じ、同時に確信した。
この男はシリンダーシールにも、札束にも興味がない。
本物の狂人だ。
「あなたは……」
「その代わり」
十崎は、逸る気持ちを、抑えるかのように言った。
「今晩来てくれたら、私の持っている方を、二万四八〇円でお譲りしましょう」
「……その半端な金額はなんです」
「二万円は、今日頑張った僕の時給。四八〇円は、片道の電車賃です」
「……。高くないですか、時給にしては」
「え……」
十崎は、虚を突かれたように、言葉を失った。
「待って下さい、闇で売ったら一〇万ドルはするんですよ、お買い得じゃないですか!」
慌てたように続ける十崎に、サイヤーラは疲労の色を面に浮かべたが、ウルは赤面を禁じ得なかった。七万と聞いた時、どんな気持ちだったのだろう。
同時に、相場を知っているということは、売る気があるのか。
「知りませんよ、あなたが時給を口にしたんでしょう」
「車の鍵もついてるんですよ。欲をかいて……人として、恥ずかしくないんですか?」
「どれも、盗品じゃないですか」
「……まあ、それを言われると」
「そんなに、今晩来てほしいんですか」
「……」
「いい加減にしろ!」
ウルは吼えた。
「いったい何がしたいんだ、アウルディー」
「日本人が無くそうとしているものを……」
「切るぞ」
「ああっ、今晩来てくれればいいんですよ」
「取引もしないのにか?」
「そこでちょっとした、ゲームにつきあってもらえれば、円筒印章は二本ともお渡しします」
「随分、高く付きそうな気がするな、え?」
「そりゃあ、二本二五は下らない代物ですから」
十崎が正確な値段を知っていることに、ウルはもう驚かなかった。
「スフィンクスゲームというやつか」
クスリ、と電話のむこうで笑う気配がした。
「あなた方では、役不足ですがね」
「悪かったな。織河からの伝言だ。スフィンクスゲームを、受けて立つとよ」
息を飲む気配がした。
「段々分かって来たよ。お前が呼びたいのは、我々じゃない。彼女だ。あの娘に通話を聞かせた理由も、それだろう」
「……残念ながら」
十崎は、力なく笑って続けた
「彼女はサークルの仲間です。お互い全力にはなれないでしょう。それに」
十崎は、残念そうに続けた。
「僕が用のあるのは、今の彼女じゃありません……通話の内容を聞いてもらった理由は、どうにかして、僕の知らない彼女に……興が削がれましたね。どうでもよくなってきましたけど、どうします?」
本当に、テンションが下がってきた十崎の声を聞いて、ウルは答えた。
「行くさ。それしかないからな」
「では、十条についたら電話を下さい」
サイヤーラは、通話の切れた携帯をウルに放った。
「女版コナンに連絡したければ、お好きに。ただし、巻き込まれて死ぬでしょうがね」
サイヤーラは、懐から自分の携帯をとりだすと、英語で話始めた。
「やあ、ジョンですか?ああ、Bエリアで前から言っていたパーティーがあるんだ……うん、そうだな、ゲイルとリー、ブラウンとマイク、ロバートとタクマでどうかな……そう、プレゼントは大きめのを、派手な音のするヤツ……二次会は、マスードさんちで。楽しみだねえ。ところで」
ここで言葉を切ると、今度は日本語で、同じ陽気な調子を崩さずつづけた。
「電波を傍受している、公安のイヌくん達がいたら言っとくね。今回は、一般人に迷惑をかけるつもりはないから、邪魔しちゃダメだよ。じゃないと、どこかの街中でとっても不幸なことがおこるからね」
作者より
いよいよ核心にはいります。
どうぞお付き合いください。