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騎士様、パンは普通に買ってください

作者: 茨野 三智
掲載日:2026/11/06

# 王国最強の聖騎士様は、パン屋の娘の前でだけ跪く


 王都の南通りにある小さなパン屋〈麦の鈴〉には、毎朝おかしな客が来る。


 店内には、焼きたてのパンの香りが満ちていた。


 丸く膨らんだ白パンは、表面に薄く艶があり、隣には黄金色のクロワッサンが幾重にも層を重ねている。


 木箱には、胡桃を練り込んだ香ばしいパンや、干し葡萄を散らした甘い菓子パンが並んでいた。


 その中でも、リナのおすすめは木苺ジャムパンだった。


 ふっくらと膨らんだ生地は、表面がこんがりと狐色に焼けている。


 割れば、甘酸っぱい木苺の香りがふわりと立ち上る。


 艶やかな赤いジャムが、とろりと生地の間から顔を覗かせていた。


「……おはようございます」


 低い声だった。


 よく通るのに、ぼそりとしている。


 黒い外套は泥で汚れていて、旅人に見えなくもない。


 だが、店に入ってきた瞬間、狭い店の空気がぎゅっと詰まる。


 背が高く、肩幅が広く、妙に立ち姿がいいのだ。


 フードで顔の下が見えない。


 男はパン棚の前で止まった。


 止まったまま動かない。


 リナは木箱に並べたロールパンを整えながら、ちら、と様子を窺った。


「あの……」


「……」


「お探しのもの、あります?」


 男はゆっくり顔を向けた。


 怖い。


 目つきが鋭いとかではない。


 むしろ真面目そうなのだが、真面目すぎて怖い。


「本日のおすすめは、木苺ジャムパンです」


「……では、それを」


 相変わらず声が渋い。


「銅貨三枚です」


「承知した」


 男は財布を取り出した。


 革袋もやたら上等そうだった。


 そして。


 なぜか片膝をついた。


「……え?」


 リナが固まる。


 男はそのまま、両手でリナの手を包んだ。


 ごつごつした大きな手だった。


「本日も感謝を」


「あっ、はい」


「あなたの施しに、深い敬意を――」


「いや、パンですけど」


 ぽろっと口から出た。


 さっと手を引き、離れた。


 男は真顔だった。


 奥から父親が顔を出す。


「リナ」


「なに」


「また来てるな」


「来てるね」


 父親はフードの男を見た。


 男は父親へ目礼で返す。


 少し間があった。


「……お客さん」


「はい」


「普通に買えねぇのか」


「善処します」


 善処。


 リナは思わず俯いた。


 笑いそうだった。


 男は毎朝来る。


 毎朝、木苺ジャムパンを一つだけ買う。


 紙袋を受け取ると、まるで壊れ物でも扱うように両手で包み込む。


 焼きたての生地はまだほんのり温かく、袋の口から甘酸っぱい木苺の香りが漂っていた。


「いつも、ありがとうございます」


「沁みます」


「ただのパンだぞ」


「沁みます」


 毎朝やたら丁寧。


 しかも、隠しきれていない。


 立ち方も、歩き方も、金の払い方も、全部どこか綺麗すぎた。


 貴族なのだろうな、と最初は思った。


 けれど貴族というより――騎士。


 それも、かなり偉いやつ。


(ボロ布かぶってる意味あるのかな……)


 むしろ怪しかった。


 顔はよく見えないが、整った顎をしている。


 歳は三十くらいだろうか。


 黒髪は短く、顎には薄く傷がある。


 愛想はないが、リナを見る時だけ妙に目が真っ直ぐだった。


「……では、失礼する」


 男はジャムパンを大事そうに抱えて店を出ていく。


 チリン、と鈴が鳴った。


 父親がため息をつく。


「……お前、あいつに好かれてるぞ」


「えっ?」


「毎朝、パン一個買いに来て、あんな顔してお前を見てるんだ。分かるだろ」


「そ、そうかな……」


 リナは頬を赤くして、男が出ていった扉を見た。


「嫌じゃないんだろ?」


「それは……まあ」


「だったらいいじゃねぇか」


「でも、ちょっと怖いよ」


「だろうな」


 父親は腕を組んだ。


「娘に会いに来るたびに跪く男なんて、俺だってどう扱えばいいか分からねぇよ」


「ふふっ」


 リナは小さく笑った。


「悪い人じゃなさそうなんだけどね」


「いい人なんだろうよ。……ただ、普通じゃねぇな」


 父親はもう一度、深いため息をついた。


 ☆


 男の名はアルヴァイン。


 王国直属聖騎士団、その筆頭騎士である。


 黒い外套の下には、艶を殺した暗赤の鎧を身につけている。


 王都では知らぬ者のいない英雄だった。


 そして今。


「……またやった」


 路地裏で頭を抱えていた。


「なぜ私は膝をつく……」


 壁に額を押し当て、深く息を吐く。


 礼儀作法が骨身に染みつきすぎていた。


 敬意を抱いた相手の前だと、身体が勝手に動く。


 しかもリナ相手だと緊張する。


 結果、毎朝ああなる。


「もっと自然に……庶民らしく……」


 だが、彼は十五から騎士団育ちだった。


 庶民らしさが分からない。


 部下に相談した結果が、あのボロ布である。


『隊長、薄汚れてれば平民っぽいですよ』


『なるほど』


 なるほどではなかった。


「……だが」


 アルヴァインは紙袋を見る。


 まだ少し温かい。


 焼きたてのパンの香りが、袋の隙間からほのかに漂っていた。


 初めてこの店に来た朝、リナは売れ残りのパンを一つ、おまけしてくれた。


『今日も頑張ってくださいね』


 何気ない一言だった。


 それが、どうにも忘れられなかった。


 それ以来、彼は毎朝この店に通っている。


 英雄としてではなく、ただの客として。


 口元がゆるむ。


「今日も笑ってくれた……」


 戦場では鬼神だの化け物だの言われている男が、パン屋の娘に笑われただけで嬉しくなっている。


 そう、本人は割と真剣に悩んでいた。


 ☆


 数日後。


 昼過ぎの店は暇だった。


 リナがカウンターに頬杖をついていると、乱暴に扉が開いた。


「おい、パンあるだけ出せ」


「ちげぇよ。金だよ」


「どっちでもいいさ」


 酒臭い男が三人。


 父親が顔をしかめた。


「酔っ払いは帰れ」


「あぁ?」


「痛い目みてぇのかっ!」


 一人がリナの腕を掴む。


「きゃ!」


 その瞬間。


 店の扉が勢いよく開いた。


 鈴が激しく鳴り、冷たい風が店内を吹き抜ける。


 黒い外套を翻し、花束を手にした男が駆け込んできた。


「その手を離してもらおう」


 いつもの低い声だった。


「その声は……お客さん!?」


 リナが目を見開く。


 男は花束を抱えたまま、男たちを見据えていた。


「なんだ、おっさん。やんのか?」


「お、おい、なんかやばくないか……」


「うるせぇ! やっちまえ!」


 アルヴァインは花束をカウンターへ放り、近くにあったパン用トングを手に取った。


 その持ち方は、あまりにも自然だった。


 まるで剣を抜くように。


 父親がぼそっと呟く。


「騎士様じゃねぇか」


 次の瞬間。


 トングが閃いた。


「いでっ!」


 先頭の男の手首を正確に挟み、ナイフを床に落とす。


 そのまま柄を握り直し、男の顎を打ち上げた。


「ぶべっ!」


 男が壁にぶつかり、その場に崩れ落ちる。


 残る二人が慌ててナイフを抜いた。


 アルヴァインは一歩踏み込む。


 片方の手首をトングで打ち、もう片方の腹に拳を叩き込んだ。


 派手な技ではない。


 ただ、滅茶苦茶強かった。


 最後の一人は悲鳴を上げ、仲間を置いて逃げ出した。


 アルヴァインは追わなかった。


「大丈夫ですか?」


「ええ」


 リナの返事を聞き、ようやく息をつく。


 店が静かになる。


 床には、男たちが落としたナイフと、踏み潰されたパンが転がっていた。


 カウンターには、薄い桃色の花が散り散りになった花束が残されている。


 アルヴァインは一瞬だけそちらに目をやった。


 木苺ジャムが床に広がっている。


 毎朝楽しみにしていたパンだった。


 父親が「あー……」という顔をした。


 リナはぱちぱち瞬きをしている。


 アルヴァインは固まった。


(終わった)


 静かに目を閉じる。


 店内をこんなにしてしまった。


 彼女を危険な目にあわせてしまった。


 せっかく用意した花束まで、台無しにしてしまった。


 もうここには来られないだろう。


「さらば」


 アルヴァインは背を向けた。


「ふふっ」


 後ろから変な声がした。


 振り返る。


 リナが俯いて肩を震わせていた。


「……リナ殿?」


「騎士様」


「?」


「守ってくれてありがとうございます」


 笑いを堪えきれない顔だった。


「そのお花は……私にですか?」


「これは――」


「違うんですか?」


 アルヴァインは静かに首を横に振った。


「君に渡すために」


 無骨な男は頬を染めた。


 父親も頷く。


「明日からも来てくれよ?」


 アルヴァインは父親を見据えた。


「いい、のか?」


「いいも何も、パンを買ってくれる客はいつでも歓迎だ。な、リナ」


 リナが吹き出す。


「あははっ……もう、やめてよ二人とも」


 笑いながらアルヴァインに近づいてくる。


「嬉しかったです」


「……」


「毎日ちゃんと来てくれるし」


 アルヴァインは何も言えなくなった。


 リナは少しだけ頬を赤くしていた。


「それに私、結構好きでしたよ」


「……何がだ」


「そういう、不器用なところ」


 戦場なら数万の兵を前にしても平然としていられる男が、今は完全に動揺していた。


「だ、だが私は三十二だぞ」


「知ってます」


「君は十八で」


「それも知ってます」


「騎士だし」


「見れば分かります」


 少し沈黙。


 リナは小さく笑った。


「だから今度、普通に誘ってください」


「……誘う?」


「デートです」


 アルヴァインの思考が止まった。


 父親が奥で頭を抱える。


「おいリナ、お前なぁ……」


 アルヴァインは数秒固まったあと、


 ドン、と床に膝をついた。


 あまりにも綺麗な最敬礼だった。


「この栄誉、生涯を懸け――」


「重い重い」


 リナが慌てて止める。


「まだパン屋の娘とデートするだけですから」


「承知した……」


 承知するんだ。


 父親は深いため息をついた。


「面倒くせぇ男に捕まったなぁ……」


 王国最強の聖騎士アルヴァイン。


 彼の隠密任務は、こうして盛大に失敗した。


 ただし恋愛のほうは、本人が思っていたよりずっと前から、わりとうまくいっていたらしい。



 おわり


最後までお読みいただきありがとうございました。


ぜひ、他の短編もお楽しみください。


ポチポチ、お待ちしております笑


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