大型新人、鬼を討つ ~よく振ってお飲みください~
田中はある事件以来『桃太郎』と呼ばれるようになった。
飲料メーカーに入って最初の試練は『ラベル』だった。
毎年恒例の新人研修。課題はシンプル。
「自社の飲み物に合うキャッチコピーを考えよ」
フォントや色、配置のセンスも問われる。完成したラベルをペットボトルに巻いて提出するのだ。
公平を期すために商品名は伏せられる。審査員はキャッチコピーと飲み物の印象が合っているかを判断する。それが毎年のルールだった。
田中の審査員は指導員の河野だ。若手内でのあだ名は鬼眼鏡。
もじゃもじゃの髪は角を隠しているとの噂があるほど、身も心も鬼の御仁である。
レンズの奥の鋭い眼光で詰められると、新人の椅子が汗でビチャビチャになるのが社内の風物詩らしい。
河野の採点基準は誰にもわからない。
去年は「澄んだ空気を飲む」と書いた先輩が満点で、「喉越し爽快」と書いた先輩が追試になったようだ。
田中は三日悩んだ。
何も浮かばない。このままでは新品の椅子が汗臭くなってしまう。
四日目の夜、田中は奥の手を使った。
先輩のラベルのアーカイブが社内サーバーにある。過去の優秀作を参考にするのだ。
去年の最優秀作品を開く。
フォントも余白も美しい。
少し差し替えれば、そのまま使えそうだった。
田中は自分なりに考えたキャッチコピーを打ち込んだ。
手ごたえを感じた。
細かい部分は確認しなかった。
どうせ成分表まではチェックされないだろう。
印刷してペットボトルに巻き、提出した。
翌日、田中は河野の部屋へ呼び出された。
審査の結果が出るのだ。
ドアを開けた瞬間、異変に気付いた。
河野がびしょびしょだった。
もじゃもじゃの髪から水が滴り、シャツが肌に張り付いている。
なんと椅子までビチャビチャだった。
「田中くん」
河野は穏やかに言った。
「座って」
田中は座った。
河野も座った。
椅子がぐちょりと鳴った。
机の上には田中の提出したペットボトルが置かれていた。
「このラベル、君が作ったんだね」
「はい」
「去年の最優秀作を参考にした?」
田中の背筋が冷えた。
「……はい」
「キャッチコピーは君が考えた?」
「はい」
河野は頷いた。
そしてペットボトルをこちらへ向けた。
「私は審査のルール通り、このラベルだけを頼りに飲んだ」
「……はい」
「書いてあることも守った」
田中の視線がラベルを追う。
そこには自分が考えたキャッチコピーの下に、小さな文字でこう書かれていた。
『よく振ってお飲みください』
田中の顔から血の気が引いた。
河野は静かに言った。
「私はこの通りによく振った」
「…………」
「そしてキャップを開けた」
「…………」
「炭酸だった」
笑顔の鬼がいた。
これがその『事件』だった。




