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大型新人、鬼を討つ ~よく振ってお飲みください~

掲載日:2026/06/03

 田中はある事件以来『桃太郎』と呼ばれるようになった。



 飲料メーカーに入って最初の試練は『ラベル』だった。


 毎年恒例の新人研修。課題はシンプル。


「自社の飲み物に合うキャッチコピーを考えよ」


 フォントや色、配置のセンスも問われる。完成したラベルをペットボトルに巻いて提出するのだ。


 公平を期すために商品名は伏せられる。審査員はキャッチコピーと飲み物の印象が合っているかを判断する。それが毎年のルールだった。


 田中の審査員は指導員の河野だ。若手内でのあだ名は鬼眼鏡。


 もじゃもじゃの髪は角を隠しているとの噂があるほど、身も心も鬼の御仁である。


 レンズの奥の鋭い眼光で詰められると、新人の椅子が汗でビチャビチャになるのが社内の風物詩らしい。


 河野の採点基準は誰にもわからない。


 去年は「澄んだ空気を飲む」と書いた先輩が満点で、「喉越し爽快」と書いた先輩が追試になったようだ。


 田中は三日悩んだ。


 何も浮かばない。このままでは新品の椅子が汗臭くなってしまう。


 四日目の夜、田中は奥の手を使った。


 先輩のラベルのアーカイブが社内サーバーにある。過去の優秀作を参考にするのだ。


 去年の最優秀作品を開く。


 フォントも余白も美しい。


 少し差し替えれば、そのまま使えそうだった。


 田中は自分なりに考えたキャッチコピーを打ち込んだ。


 手ごたえを感じた。


 細かい部分は確認しなかった。


 どうせ成分表まではチェックされないだろう。


 印刷してペットボトルに巻き、提出した。

 


 翌日、田中は河野の部屋へ呼び出された。


 審査の結果が出るのだ。


 ドアを開けた瞬間、異変に気付いた。


 河野がびしょびしょだった。


 もじゃもじゃの髪から水が滴り、シャツが肌に張り付いている。


 なんと椅子までビチャビチャだった。


「田中くん」


 河野は穏やかに言った。


「座って」


 田中は座った。


 河野も座った。


 椅子がぐちょりと鳴った。


 机の上には田中の提出したペットボトルが置かれていた。


「このラベル、君が作ったんだね」


「はい」


「去年の最優秀作を参考にした?」


 田中の背筋が冷えた。


「……はい」


「キャッチコピーは君が考えた?」


「はい」


 河野は頷いた。


 そしてペットボトルをこちらへ向けた。


「私は審査のルール通り、このラベルだけを頼りに飲んだ」


「……はい」


「書いてあることも守った」


 田中の視線がラベルを追う。


 そこには自分が考えたキャッチコピーの下に、小さな文字でこう書かれていた。


『よく振ってお飲みください』


 田中の顔から血の気が引いた。


 河野は静かに言った。


「私はこの通りによく振った」


「…………」


「そしてキャップを開けた」


「…………」


「炭酸だった」


 笑顔の鬼がいた。

 

 これがその『事件』だった。

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