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第3章:英雄の車椅子、裏切りの信管(後編)

6.暴走する正義

 深夜、土砂降りの雨。

 湾岸地区の廃倉庫から、赤い回転灯の光が溢れていた。

 皮肉にもそこは、かつて工藤が過去を書き換え、笹原を「無傷で」助けたあの場所だった。

「工藤警部補! 早くしてください! 犯人があなたを指名しています!」

 現場指揮官が怒鳴る。

 工藤はレインコートの襟を立て、規制線をくぐった。

 胃の奥が冷たい。

 犯人は、テロリストではない。

 警察官だ。それも、工藤の元相棒――笹原健一だ。

 笹原は、押収したはずの新型爆弾を持ち出し、倉庫に立てこもった。

 人質はいない。ただ、彼自身が爆弾を抱えている。

「……何やってんだ、あいつは」

 工藤は舌打ちをした。だが、指先は震えていた。

 ここ数ヶ月、笹原の様子はおかしかった。過剰な暴力、昇進への執着、そして工藤への敵意。

 それが今夜、臨界点を超えたのだ。

7.守られた者の地獄

 倉庫の中は、湿気と油の臭いがした。

 薄暗い照明の下、パイプ椅子に座る笹原の姿があった。

 胸には、複雑な配線が剥き出しになったプラスチック爆弾が巻き付けられている。

「よう、英雄のお出ましですか」

 笹原が顔を上げた。その目は虚ろで、焦点が定まっていない。

 手には起爆スイッチ(デッドマン装置)が握られている。指を離せば、ドカンだ。

「よせ、笹原。まだ戻れる。俺が話をつけてやるから」

 工藤は両手を挙げて近づいた。

 五体満足な足で、しっかりと地面を踏みしめて。

「戻れる? どこに?」

 笹原が嘲笑う。

「あんたの影にか? 『工藤さんがいれば俺はいらない』『笹原はただの金魚のフンだ』……署内で何て言われてるか知ってますか?」

「そんなことは誰も言っちゃいねえ! 俺はお前を守るために……!」

「守るだと!?」

 笹原の咆哮が響いた。

「それが一番ムカつくんだよ! あの日、あんたは俺を子供扱いして、一人で全部片付けた。俺は何もできなかった。ただ突っ立ってるだけの案山子かかしだ!」

 笹原は自分の胸を叩いた。

「刑事としての俺は、あの日死んだんだよ。あんたの完璧な仕事のせいでな!」

 工藤は言葉を失った。

 良かれと思ってやったことだ。足を失う未来を回避し、相棒も無傷で済む。それが最良の選択だと信じていた。

 だが、その「完璧さ」が、相棒の成長の機会と尊厳を奪っていたとは。

「……だから、証明してやるんだ」

 笹原は歪んだ笑みを浮かべた。

「俺は爆弾処理なんてできない無能じゃない。この爆弾を使って、俺という人間を世間に刻み込んでやる」

8.灰色のパーカーの亡霊

 その時、倉庫の闇の奥から、足音が聞こえた。

 誰かいる。

「……兄ちゃんじゃなくて、こいつでいいの?」

 聞き覚えのある声。

 工藤が目を凝らすと、ドラム缶の影から一人の青年が現れた。

 灰色のパーカー。痩せた体躯。死んだ魚のような冷たい目。

 カケルだ。

 あの時、カツ丼を食わせた少年だ。

「お前……なんでここに……」

 工藤の声が震える。

 カケルは無表情のまま、笹原の背後に立った。

「こいつが爆弾欲しいっていうから、売ってやったんだ。兄ちゃんが作った最高傑作をね」

 カケルの手には、別の起爆装置があった。

 そうか。

 元の世界では、工藤が自分の足を犠牲にしてテロ組織を壊滅させ、カケルの兄を逮捕した。だからカケルは更生できた。

 だが、この世界では工藤が「無傷」で解決したため、組織の根幹には手を入れていなかった。兄は野放しになり、カケルは組織の運び屋として、完全に闇に染まってしまったのだ。

「久しぶりだね、刑事さん」

 カケルは工藤を見ても、懐かしさなど微塵も感じていなかった。あるのは軽蔑だけだ。

「あんたが中途半端に正義ごっこしたせいで、俺の人生はめちゃくちゃだよ。……まあ、どうでもいいけど」

 カケルは工藤ではなく、笹原の肩に手を置いた。

「やっていいよ、お巡りさん。全部吹き飛ばせば、あんたが主役だ」

 悪魔の囁き。

 かつて工藤が更生させようとした少年が、今は相棒を地獄へいざなっている。

「やめろカケル! 笹原!」

 工藤が駆け出した。

 その速さは、義足ではない、健康な足の速さだった。

 だが、遅かった。

9.紅蓮の代償

 笹原が泣きながら笑った。

「工藤さん……俺、やっとあんたを超えられるよ」

 指が、スイッチから離れた。

 カッッッ!!

 視界が白一色に染まる。

 音よりも先に、衝撃波が工藤の体を打ち据えた。

 熱い。

 皮膚が焼ける。空気が燃える。

 工藤は吹き飛ばされ、炎の海となった資材置き場に叩きつけられた。

 意識が飛びそうになる中で、彼は見た。

 爆心地で蒸発した笹原。

 そして、爆風を計算していたかのように、瓦礫の隙間からひらりと逃げ去るカケルの後ろ姿を。

 「あ……あぁ……」

 喉が焼けて声が出ない。

 足はある。両足ともついている。

 だが、全身の皮膚がただれ、神経が焼き切れるほどの激痛が走っている。

 

 元の世界では、足を失い「車椅子の英雄」と呼ばれた。

 今の世界では、相棒を説得できず爆死させた無能な交渉人。そして残ったのは、焼けただれた醜い身体だけ。

 雨が、屋根の穴から降り注ぐ。

 照りの中、黄色いレインコートの影が近づいてくる。

 レイだ。

 彼は黒焦げになりかけた工藤を見下ろし、悲しげに首を振った。

「足が欲しいと言ったから、足を残してあげたのに」

 レイは工藤のまだ動く右足を踏みつけた。

「君が『痛み』から逃げた分、その業火は相棒と少年に燃え移った。そして最後は、倍になって君に返ってきたんだ」

 工藤は血の涙を流した。

 痛い。熱い。

 だが、それ以上に心が寒い。

 カツ丼を美味そうに食べていたあの少年は、もういない。俺が殺したんだ。

 バカな冗談を言い合っていた相棒は、もういない。俺が追い詰めたんだ。

 薄れゆく意識の中で、工藤はサイレンの音を聞いた。

 それは、彼の刑事人生の終わりを告げる弔鐘ちょうしょうだった。

(第3章 完)

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