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エッセイまとめ

エタや亡くなった作者さんについて考えてたら、なんか話が壮大になっていた

作者: あるとん

 最近、「お気に入りのあの作者さん、全然続き書いてないけど、どうしたんだろう? まさか、このままエタったりしないよね?」とよくある心配をしていたのですが、これって作品を書いている作者側の立場でも気を付けなきゃな~と考えてたわけです。

 で、


「そうだ、作者さんが亡くなってもう続きが見られない小説って世の中にいくつもあるけど、悲しいよね。だって生きていればエタってようが、続きが見られる可能性はゼロじゃないわけで、そこにはパンドラの箱のごとく、希望が残ってるわけだもんね。でも亡くなられたら、もう二度とその作品の続きは見られないわけで……」


 例えばこれが連載物でなくても、『なろう』でだって作者さんのファンって人はいるだろうし、短編だけ、エッセイだけで書いてる人もいるわけなので、当てはまるわけですよね。

 亡くなった以外には他に病気療養で音沙汰がないだとか、主婦になって~とかで書かなくなったプロの先生もおられるわけですが。


 そう考えると、書ける環境にあって書かないことのなんと贅沢なことか、その幸せさを感じてしまうわけですよ。

 病気に掛かったりすると、健康であることの大切さがよく分かるというのに似ているかもしれません。


「お前は書けるんだから、続きを書くんだよ!!」


 そう簡単じゃないことは自分で分かりつつも、自分で自分を叱咤できる気がしてきませんか?




 それはそれとして、少し話を戻します。

 亡くなったら終わりかと思った時、少しそれは違うんじゃないか?という考えが頭をよぎりました。

 

 例えば、作品。

 確かに作者さんが亡くなったら、その続きは読めなくなってしまう。

 少なくとも、読みたかったその作者さんの感性による作品とはズレてきてしまいますよね。

 どこまでが本物で、どこからが違うのか?って線引きは難しいところですが……


 作品が売れすぎてて、作者は監修くらいに留めている派生シリーズの漫画や小説もあるわけですし、亡くなった作者さんの作品の続きを別の方が引き継ぐパターンとかもありますからねぇ。

 作者さんが長年やってて作風が変わって行ったり、心境の変化なのか、ガラリと変わったりすることもあって、絵柄含めて「あの頃の作風が一番好き」っていうこともありますし。

 作品の完成度はともかくとしても、二次創作とどう違うのか?っていう。

 作風が変わったに関しては、本物なのはそうなんですけど、偉大な過去の画家さんも「この時期の絵画は本当に大好きなんだけど、後期のは趣味じゃなくて……」っていう、本物だけど自分の欲するものとは違うという別問題が発生したりして、余計ややこしい。

 自分が納得できるなら何でも良いとは思うんですけどね。


 でも大体のパターンだと、作者さんが亡くなったらその作品はそこで終わり、そのままでしょう?

 上記のパターンでもない限りはそうなります。

 でもそこで0になる訳ではない。

 未完だけの話だけでなく、大好きな作品が完結した場合も同様。そこで終わりではない。

 読んだ人の記憶に残る。本や映像として残る。生き方に影響を残す。


 あるいは創作に携わる人ならば、惚れ込んだ作風の欠片を取り込んで、自身の作品を作る武器として生まれ変わるかも知れませんよね。

「あなたの心の中で生きている」ってセリフがよくありますが、まさにそれ。

 死んだら全てが終わりではなく、何か残るものがある。

 そう思っています。



 例えば故人。

 この場合も作品と同じことが言えますが、こちらだと写真であるとか、遺品とかも残る物の一例ですよね。

 身に着けていた服や装飾品なんかを、本人ではないけれど、その欠片として自分が引き継ぐ。

 親・祖父母なら遺伝子として受け継ぐこともありますし、遺体を構成していた分子だって火葬後、空気中に飛散して地球を循環しているだろうし、遺骨だってしかり。


 そもそも人の歴史がそうなんですよね。

 我々の先祖が積み上げて来た知識や技術なんかがあって、今の便利であったり、平和な世の中があったりするわけです。


 なぜ生物は子孫を残し続けるのか?

 それはもしかしたら、パンドラの箱でいう希望そのものなのかも知れません。

 死んだら終わりじゃないと安心するため、意味が合ったことを証明をし続けるための願い。

 それが歴史。

 あなたの作品も、生物濃縮のように欠片として後世に受け継がれていく小さな要素の一つになるかもしれませんよ。


 一は全、全は一。まさにこの言葉通り。

 例えば人の性格、あるいは作者の作品、これらは関わってきた全ての物事の影響を大なり小なり受けているのです。



 とはいえ、終わってしまうのは悲しいことなのには変わりなく。

 というわけで、人類は終わらせないために歴史と子孫という作品を頑張って綴っているんだ、他人の作品の心配をしている暇があったら、自作を終わらせないためにも頑張って執筆中の作品の続きを書かないとね?(吐血


某麦わら「うるせぇ!!書こう!!!」 ど ん っ!!

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