爪と垢
(午前10時、静かな事務所内。キーボードの音と、書類をめくる音がリズムよく響いていた──が。)
カチッ…カチッ…カチッ…
椎名「……ん?」
(一瞬、手を止める)
椎名「なんか変な音しない?」
森「え、何? プリンターの紙詰まり?」
椎名「いや、もっと…こう、固いものを切る音…」
カチッ
栄田「あっ……見ちゃった」
森「え?」
栄田「所長……爪切ってる……」
椎名「……また?」
森「“また”?って、常習犯なんですか?」
椎名「うん、前は机の引き出し開けながら切ってたよ。『片付けるから大丈夫』って言って、そのまま放置して帰ったけど」
森「もはや犯罪……」
(そのとき──)
ピッ!シュッ……ポトン
森「うわああっ!なんか落ちた!俺の机に!」
(恐る恐る見ると、白くカーブした小さな物体)
森「……爪……」
栄田「出たわね、所長爪。通称“殺意のカーブボール”」
椎名「さすがにこれは処分対象だな……」
森「所長ぉぉぉ!やめてくださいよ!人の机に爪を投げないでください!」
所長(悪びれもなく)「ん? あーすまんすまん、飛んじゃった? 俺の爪、元気だなぁ~!」
椎名「元気の問題じゃないです。迷惑の話です」
所長「まぁまぁ、そんなムキになるなって。俺の爪の垢でも煎じて飲めば、ちょっとはできるようになるかもよ? はっはっは!」
森「いや、飲めるか!」
栄田「第一、これ垢じゃなくて爪ですから!垢ならまだ……いや、どっちもイヤ!」
所長「冗談冗談。んで、森くん、青色の進捗どうよ? もう終わってんだろ?」
森「いま必死にやってるところです!その爪を片付けてから聞いてください!」
椎名「そもそも所長、今日は何か仕事してるんですか?」
所長「おう、さっき保険の営業電話、3本も断ったぞ」
栄田「それ“仕事”じゃないです、“拒否”です」
所長「おまえらさぁ、そんなに余裕あんの?俺レベルになったらな、そういう細かい時間でも身だしなみに気を使うわけ」
森「じゃあ、せめて自宅でやってくださいよ……爪くらい」
所長(どこ吹く風)「よーし、次は親指いくかー」
全員「やめてぇぇぇぇぇ!!」
(今日も所長はマイペース。職員たちのストレス耐性はまたひとつ鍛えられた──)
いつもズレている所長。
今日もマイペースで職員を疲弊させていきます。
しかし気にしない気にしない・・
爪は切っとかないとね。