元モテ会社員、今では税理士(たぶん唯一)
昼下がりの事務所。
椎名と森が、外回りの書類を片付けながら黙々とPCを打っていた。
所長がコーヒーを手に登場。なぜかネクタイが普段より1cm高い。
所長「お前ら……“努力”って、信じるか?」
椎名「うわ、来た」
森「この前は“根性”だったのに」
所長「俺が税理士になったのはな、奇跡でも運でもない。必然だった」
椎名「(はいはい)」
所長「当時、俺は某大企業の財務部門で働いてた。社員食堂に寿司職人が常駐してるような会社だ」
森「え、そんな会社あるんすか?」
所長「接待で行った飲み屋じゃ、お姉ちゃんたちに“キャーキャー”言われたもんだ。名刺出しただけでモテてな。合コンでも、俺が主役だった」
椎名「……それ、会社のネームバリューじゃないですか?」
森「というか、“キャーキャー”って何したんすか?」
所長「名刺の肩書きが“財務部 課長代理”だったからな。“代理”なのにモテたぞ」
椎名「代理にしては、だいぶ盛ってますよね」
所長「でも俺は、その栄光を捨てたんだ。仕事が終わったら即ダッシュで帰宅。自転車で15分、全力。着替えも風呂もナシで、そのまま机に向かう。“勉強こそが俺の入浴”だった」
森「風呂は入ってください、社会人なんで」
所長「彼女もいたが、デートの代わりに税法の条文を読み聞かせてやった。別れた。だが、後悔はしていない。俺には、納税者がいるからな」
椎名「重すぎるし、なんか違うし」
所長「試験当日、俺はスーツで会場に向かった。“会場が俺を受けるかどうか”じゃない。“俺が会場を試す”って気持ちだった」
森「いや、それやっぱり勘違いでは……?」
所長「そして試験の日から数か月後――俺は電車の中で官報をスマホで確認した。スクロールして、名前を見つけたんだ。そこに、ちゃんと“俺”がいた」
椎名「……いや、それただ名前載ってただけですけどね」
所長「“おめでとう”も、“やりましたね”も、何もない。あるのは、無言の名簿。それでも俺には、十分すぎるご褒美だった。“あの日々は、無駄じゃなかった”って、思えたからな」
栄田(プリンターの横から)「……載ってなかったらどうなるんです?」
所長「その場合は、家に静かにお知らせが届く。“今回はご縁がなかったようで”ってな。やたら紙だけ立派なやつで」
椎名「そこだけ妙にリアルですね」
所長「俺が伝えたいのは一つ。“人は変わる”。モテてた財務部員が、税務の鬼になることもあるってことだ」
栄田「……変わってないように見えるんですけど」
所長「いやいや、俺は今――人類で唯一、“元・モテ会社員の税理士”かもしれないぞ?」
椎名「いや、それたぶん日本に何千人かいます」
森「あと“モテ”の定義、だいぶ甘いっすよ」
所長(悔しそうに)「……よし。今日の昼は、自分へのご褒美に牛丼特盛りだな」
椎名「小さいご褒美だなー」
「笑いながら働けたら、それだけで人生ちょっと勝ち組」――
そんな気持ちで、この物語を書いています。
所長の自慢話は、あるあるなのではないかと思っています。それを嫌な空気にせず、笑いに変えることができたらいいなと思いました。
この作品が、読んでくださった皆さんの心を少しでも軽くできたなら、それが一番のご褒美です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。