聞こえないふりはベテランの証
(応接室。迫田さん、所長、森が同席)
迫田さん「これが今年の資料じゃ。経費もぜんぶ、ぬかりないけん」
所長「ありがとうございます。漁協の売上に燃料費……毎年きっちりで助かりますよ」
迫田さん「……でな、実はな」
(くしゃっとした伝票を胸ポケットから取り出す)
森(心の声)「あー!出た!港直売伝票!“これは帳簿に入れんといて”の顔してるやつ!」
迫田さん「ちょこっとだけ、港で知り合いに売った分じゃ。たいしたことないけん」
森「ああ〜……でも、これは売上になりますからね。ちゃんと……」
迫田さん(急に顔をしかめ)「ん?なんか言うたか?わしゃ最近、耳が遠ぅてのう……」
所長「……そうですかぁ。いやあ、実は私もね、最近耳が……ね?目も…」
迫田さん「おお、ほんまか!年はとりたくないのう〜!」
所長「いや〜ほんとに!いや〜ハッハッハ!」
(ふたり、爆笑しながらかたい握手)
森(心の声)「なにこれ!?“聞こえないふりサミット2025 in 会議室"!?申告の話どこ行ったの!?」
(迫田さん、晴れやかな顔で帰っていく)
―――
(所内にて)
椎名「森さん、終わった?」
森「うん……もうね、毎年すごいけど、今年は別格だった」
栄田「何が?」
森「伝票出してきて“聞こえん”って言い出して、それに所長が“わしも”って返して、ふたりで大爆笑。最後にがっちり握手よ」
椎名「え、なにそれ……聞こえないフリ合戦?」
森「しかも最後、伝票は“預かっておきますね〜”って言いながら所長がそっと引き出しに…」
栄田「それもう“なかったこと”にされるパターンやん」
椎名「すごいな、会話は成立してるのに、内容だけスルーする高度なテク…」
森「あれはもう、税理士と漁師の無言の阿吽の呼吸よ」
(そのとき――所長が部屋の奥からふらっと登場)
所長「おい、さっきの件だけどな……あれは“聞こえなかった”ってことで頼むわ」
森・椎名・栄田「いや!聞こえてたやつーーー!!」
漁師歴50年、税理士歴30年。
どちらも、聞こえないふりに関しては超一流。
…でも、ちゃんと申告だけはお願いしますね、ほんとに。