今日から奥様
下級聖女の朝は早い。
夜明け前から起き出して、まずは厨房の掃除。かまどに火をいれて食事の支度をしたら、他の高位神官や聖女たちへ配膳、給仕。彼らの食事が終わったあとにやっと朝ごはんを食べて、それから神殿中の掃除をして洗濯をして、信者からの依頼に応えて、それから書類整理に帳簿つけに内職に……。
今日も仕事は山積みだ。
さっさと起きて働かなくちゃ。
もうこんなに部屋が明るくなってる。
「ん……?」
窓から差し込む陽の光の明るさを感じて、私はぎょっとした。
明るい。
明るすぎる。
こんな陽の高さ、夜明けをとっくに過ぎている。
「やばい!」
私は反射的に体を起こした。
厨房の準備をしなければ、食事が作れない。寝坊なんかした日には、朝食がないことに気づいた高位神官や聖女たちから文句を……!
「あれ?」
目をあけた私はやっと、ここが神殿でないことに気づいた。
真っ白なシーツに、ふかふかのベッド。広い部屋には、上品で高価そうな家具が並べられている。
「……どこ、ここ」
神殿でないことは確かだ。
歴史が古いばかりで雰囲気の暗いあそこに、こんなセンスのいい部屋は存在しない。
どこかお金持ちのお屋敷なんだろうな、とは思うけど、心当たりはなかった。
「いや……それ以前に……」
私、どうやってここに?
昨日は年に一度の大礼拝の日で、儀式の最中にうっかり大燭台を倒して、壊しちゃって……、その後、私は。
「失礼します」
「ひゃいっ!?」
軽いノックの音がして、エプロンドレス姿の女性が部屋に入ってきた。歳は四十代くらいだろうか。地味なその服装は、お屋敷の使用人がよく着ているタイプのものだ。いわゆるメイドさんというやつだと思う。
きちんと髪を結い上げたメイドさん? はおっとりと上品にほほ笑んだ。
「おはようございます。お目覚めになられたのですね、奥様」
「……おくさま?」
一体何の話だろう。
こんな上品なメイドさんに『奥様』なんて呼ばれる覚えはない。私は神殿の下級聖女だしそもそも独身だし。
しかしメイドさんはころころと笑う。
「昨日、わが主カイル様とご結婚されたではありませんか、シーラ奥様」
「はっ……!」
そうだ、そうだった。
壊した大燭台を弁償しろと迫られた私と結婚して、その場で金貨を寄付した男がいたじゃないか。
「えっと……じゃあ、ここって……」
「アシュトン家の屋敷になります。申し遅れました、私は当家に仕えるメイドのディアンです」
「な……なるほど……」
そこでやっと部屋の豪華さに納得する。
金貨をポンと出せるくらいのお金持ちだ。住んでる家も当然お金持ち仕様に決まってる。
「よほどお疲れになっていたんでしょう。こちらに向かう馬車の中で眠り込んでしまわれていたので、旦那様がお部屋にお運びしました」
「だっ……運ば……っ!?」
え。
もしかして、あのあとまた抱っこで運ばれたの?
なにそれ恥ずかしすぎる。
「ちなみに清拭とお着換えは私どもメイドが行いました。旦那様はお運びしただけですから、ご安心ください」
「ご安心って!」
いや確かに知らない間に男に着替えさせられるのは嫌だけど!
余計に恥ずかしさが増したのは、気のせいじゃないと思う。
「ご気分はいかがですか? 痛いところやおつらいところは、ありませんか?」
「あー……いや、ありません」
私は自分の体を確認しながら応える。
大きな不調は感じられなかった。むしろたっぷり朝寝をしてしまった分、頭が軽い。
あとは……。
「何か、食べるものがほしいです」
はしたない気はしたが、取り繕っても始まらない。いつもなら高位神官たちへの給仕を追えてやっと食事をとってる時間帯だ。感じた欲求を口にすると、ディアンはほほえんだ。
「昨日の夜から何も召し上がってませんからね。でしたら、身支度を整えて食堂に参りましょう。ちょうど旦那様が朝食を取られているころです」
「……わかりました」
とくん、と小さく鼓動が跳ねる。
旦那様。
勢いのままに決断して行動した私は、いまさらやっと、自分が結婚した事実を受けとめたのだった。