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3話 狙い目は廃部寸前


 慌てず焦らず冷静に。これは遅刻をして教室へと向かうときの教えである。


 廊下を走って必死さを演出するなど二流のやること。一流の遅刻魔は悠然と校内を闊歩し、それこそがまるで当たり前だと云わんばかりに振る舞う。


 静けさが漂う廊下には授業を行う教師たちの声が微かに聞こえていた。普段見慣れているはずのプラスチック樹脂はどこか静謐せいひつな雰囲気を纏っている。見えない規則の圧力が「場違いだ」と否定してくる長い道のりを、俺は今すぐにでも引き返して休んでしまいたくなる衝動に駆られながらも反骨し進んだ。


 これは謂わば訓練でもある。


 例えるならば、火災時に避難するときの「押さない駆けない喋らない」と一緒。この先の長い人生において二度と遅刻しない保証などなく、その度に焦っていてはいつか二次災害を引き起こしてしまうだろう。


 だから、遅刻の時こそ堂々としていなければならない。


 どうせ怒られる結末を変えることなど出来はしないのだから。むしろ怒られると分かっていながら、それでも登校する精神は褒められるべきものでもあるだろう。


 やがて、ようやくたどり着いた教室の引き戸に手をかける。その重い扉はいつにも増して重量があるような気がした。


 開け放たれた際の音が教室に響き、教卓に向けられていた視線が何事かと一斉にこちらへ向けられる。


 彼らが遅刻を理解する一瞬の間が、ひどく永遠にも感じられた。


 そんななかで一際刺すように向けられる教師からの強い視線。この時点で「やる気がないなら帰れ」などと辛辣を浴びせるキツイ先生もいるのだろうが、やる気がないならそもそもここまで来るわけないだろうと心の中だけで反論したい。


「深井沢くん、あとで職員室までくるように」

「……あ、はい。すいませんでした」


 しかし、身構えた気概に掛けられた言葉は案外あっさりとしたもの。その優しさにまんまと嵌められた心は、素直な謝罪を口にしてしまう。


 それはここまで必死に抑えてきた罪悪感を呆気なく白日のもとに晒したのだ。


 ……うん、やっぱり遅刻はいけないことだよね。



 ◆



 環境が人をつくるという言葉があるように、環境を変えてしまうことは逃げ場をなくした者たちにとって最大の切り札でもある。だが、逃げ場をなくしてなお、逃げられない者たちは存在した。


 たとえば、親の庇護を受ける十代。


 そこには今の俺も当てはまるわけで、もしも環境を変えるのであれば学校を辞めて引っ越して転校でもしてしまえばいい。


 ……だが、それは言うほど簡単ではないし、誰もがそのハードモードを理解している。それを願ったところで実行に移そうと思う者も、実際に実行できた者も少数派だろう。そして、引っ越した先で上手くいくとも限らなければ、学校を辞めた事実が自身の未来に良くない影響を与える可能性すらある。


 であれば、誰がその選択肢を取れるというのか?


 俺たち十代は常に背水の陣を強いられている。逃げようのない現状のなかで、ただ耐える選択肢だけを巧妙に選ばされ続けているのが実情だ。親の庇護を受け、責任能力がないとされるだけに身動きすらできない。


 それでも、環境を変える手段が全くないわけじゃなかった――。


「……廃部寸前の部活動?」


 俺のクラスの担任である柚原ゆずはら先生はキャスター付きの椅子の背もたれから身を乗り出すようにして首を傾げてみせた。その仕草は『教師』という言葉に似つかわしくなく、上目遣いになっているところも俺が『生徒』であるという事実を一瞬忘れさせる。


 まぁ、実際には「この子なにを言ってるんだろう?」といういぶかしみなのだろうが、タイトなスカートから伸びる白い脚が職員室の床に届かずブラブラしている景色もまた彼女の威厳を弱めている原因でもあった。


「なんで椅子の高さ低くしないんすか?」

「この高さじゃないと机に届かないからよ」

「……ああ、なるほど」

「べつに足が短いわけじゃないから」

「へ? そんなこと思ってませんよ」

「身長が150センチもないから仕方ないの」


 柚原先生は背もたれに小柄な身体を委ねると、腕組みをしながら聞いてもないことを声を大にして言ってくる。その様子すら、子どもがムキになっている様に見えてかわいい。


 先生は大人でありながらも、奇跡的に幼さを残す合法ロリ教師である。そして、いつもスーツをぴしゃりと着て、微かにフローラルの香りを漂わせる社会人としての一面を兼ね備えてもいる。


「私が深井沢くんを呼び出したのは遅刻の事に関してだったんだけどな」

「それは説明したと思うんですけど」

「説明はしてくれたし謝罪も受けたけど、この先どうするのかの解決策は聞けてない」

「解決策って……俺におばあちゃんを見殺しにしろってことですか?」

「そんな非道な選択を迫ったつもりじゃないし、見殺しだなんて随分と強い言葉を使うんだね」

「そ、そういう風に聞こえたもので」

「極論を突きつけて脅迫するようなやり方は自分の首を絞めるだけだよ? 極論っていうのは突き詰めた結果でも可能なセーフティーを模索するために使うほうが絶対にいい」

「……じゃあ、正しい使い方は何ですか?」


 その疑問に柚原先生はわざとらしくため息を吐いた。

 それから、俺に見えるよう人差し指を立てる。


「第一に私が怒ってるのは、深井沢くんが時間通りに登校してこない理由がわからなかったから。その理由が事前にわかっていれば、極論学校を休んだとしてもわざわざ職員室に呼び出して君の時間を奪ったりはしなかっただろうね。遅刻はいけないことだけど、そこには君が主張する正当な理由があるんだろうと汲み取ることができたから」

「つまり、遅刻するなら連絡しろってことですか?」

「そういうこと」

「俺、先生の連絡先知らないですけど」

「学校に連絡はできるでしょ?」

「学校の連絡先は――」

「生徒手帳に記載されてあるはずだけど」


 いやまぁ、わざわざ生徒手帳を出して確認するまでもなかった。おそらく連絡先が記載されてあるだろうことは容易に想像がつくからだ。


「……すいません。次からは連絡します」

「うん。とはいっても、一限目に遅れてくる程度なら寝坊かなにかだって思えるから、大幅に遅れたりするときはお願いね」

「わかりました」

「まぁ、こんなとこかな。本当はこれで君を解放するつもりだったんだけど……なんで深井沢くんは廃部寸前の部活があるかを知りたいの?」


 先生はデスクに並べられた冊子の中から比較的分厚いものを指で引き抜いた。それはたしか、今年の生徒総会で使われていた資料。


「願書の欄を埋められるよう、なにか部活に入っておこうかなと思いまして」


 その答えに、資料をパラパラとめくる手が止まる。


「……廃部寸前なら本気で取り組まなくてもいいし、入部するだけで願書にも書けるから都合がいいって?」

「理由はそうですけど入ったら入ったで、ある程度ちゃんとした活動はしなきゃいけないと思ってはいます」


 やがて先生は二度目のため息。


「正直なのは良いことだけど、そんなやる気で入部させるのは顧問の先生にもその部員にも悪いよ」

「だから廃部寸前の部がいいんですよ。入部するだけでその部にメリットをもたらせますから。顧問の先生もそこの部員も俺もハッピーじゃないですか」

「……まるで賢く正当性を主張しているようなフリをして横暴に振る舞う。今の若い子はみんなそうなの?」

 言いながら先生はこめかみに手を添えた。

「そうかもしれませんね。ちなみに、俺は仕事でみんなが残業してても定時きっかりにあがる派ですよ」

「くっ……すでに社会現象になっていたか」

「だから廃部寸前の部活を教えてください。よくある、異世界に転生して勇者になるのと同じ理論ですよ。彼らは転生して勇者になったわけじゃなく、もうその存在自体が新しい環境で勇者なんですから。タイトルはそうですね……【廃部寸前の部活動に入部したら勇者になった件】とかどうすかね」

「タイトルが恥ずかしすぎて人前で読めないよ……」


 先生は添えていた手で本格的に頭を抱えると三度目のため息を吐く。


「言いたいことはわかった」


 そして、俺をみあげた。


「願書にかける廃部寸前の部活動――あるよ」

「ほんとですか?」

「うん。それに君が部活動に対してやる気がなかったとしても、入部を勧めた私がとやかく言われることはない理想的な部活動」

「何部ですか?」

「演劇部。ちなみに顧問は私ね」

「演劇部……」

「今、演技とか嫌だなって思った?」

「いや、まぁ……はい」

「大丈夫。演技なんてやる必要ないから」

「演技をやる必要のない演劇部ですか?」

「部の方針が『名作に触れて作品への造詣ぞうけいを深める』だからね。台本を読んだりはするけど、それを舞台にまで持っていこうとは思ってない。なにせ部員不足だから」

「なるほど。なんか願書に書きやすい方針ですね」

「偶然にも、私も君と同じ考えだからね」

「同じ考え……?」

「願書に書きやすい部活動」


 そう言ってから、先生は引き出しから一枚の紙を取りだすとピッと俺に差し出してきた。


「書いたら持ってきて」


 それは入部届の書類。


「ちなみに……他に廃部寸前の部活動ってあります?」

「あっても君には教えないし、演劇部以外の入部は認めない。願書に書くためだけに入部してくるような不届者を野放しにするわけにはいかないからね」

「……なるほど」


 それを受け取るとようやく俺は解放されたのだった。


 まぁ、勇者になるのは俺ではないんだけども。


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