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26話 危険な計画


 土曜日の午後七時過ぎ。冷え込む夜の空気のなか、俺は閑静な住宅街にある寂れた公園のブランコに座っていた。


 キィキィという、鉄と鉄が擦れる音が反復し続ける。


 見上げた夜空には文明の光に霞むことのない一等星が瞬いており、暇をつぶすために流れ星でも探してみるのだが、都合よくそれを見つけることは未だできていなかった。


 既に――こうして二時間近く経つというのに。


「張り込みするなら、アンパンと牛乳でも買ってくるんだったな」


 なんて。昔のドラマみたいな行為を呟いてみたものの、よくよく考えたら牛乳はお腹を下しやすいため買わなくて良かったと考え直す。


 白崎から連絡があったら、すぐに動き出さなければならないからだ。


――あの人が私にそういうことをしてくるのは、お母さんが居ない時なの。


 彼女の説明によれば、その機会が訪れるのは白崎の母親の帰りが遅くなる土日の夜らしい。


 だから、こうして貴重な休みに白崎の家の近くで待機しているわけなのだが、張り込み始めた最初の緊張感は既に途切れ始めていた。


 まぁ、二時間もそうしていれば仕方のないことかもしれない。


 そして、もしかしたら今日の張り込みは徒労に終わるかもしれないな……なんて可能性すら考え始めている。


 とはいえ、白崎明の家の住所と彼女の連絡先を入手し、こうして張り込みまでしているのは大きな進歩といえるだろう。


 ポケットからスマホを取りだし、未だ連絡のない画面と反対の手に握る鍵に視線を落とす。


 その鍵は、ブランコから見える公園外の一軒家の鍵。


 それこそが白崎の家。


 その車庫には現在一台の車が停まっており、それは白崎の継父が所有する車である。帰宅するところまで確認したのだから間違いない。


 現在、その家には白崎とアイツが二人きり。


 白崎が言っていた条件は揃っている。そして、彼女からの連絡が入り次第、俺が乱入する手はずになっていた。


 その計画には、未だ白崎に伝えていない事(・・・・・・・・・・)が一つあるのだが。


――ピロン。


 不意にスマホから通知音が鳴った。


 それは、白崎からの連絡。


――通話していい?


 たったそれだけの文面に了承を返すと、しばらくしてから通話がかかってくる。


「なにかあったのか」

『……たぶんもうすぐだから』


 近くに継父がいるのか、それは囁くような小声。そして何故か、風呂から通話しているかのように声は反響していた。


「お前……どこからかけてる?」

『お風呂から』


 正解かよ。などというツッコミはさておくとして、何故白崎は風呂場から通話しているのか。


 聞けばたしかに、近くから水音のような環境音がしていた。


『今……お風呂の外にあの人がいるの』


 だが、不安そうな張り詰めた声でハッとする。


「……監視でもされてるのか?」

『監視というか、ただ見てるだけ。私がお風呂に入ってるときはいつもそうだから。それで、お風呂からあがったら偶然を装って裸を見ようとしてくるの』


 反響する声が頭の中にまで響いた気がした。


 いつも……?


 想像はしていたものの、白崎が置かれている状況というのは俺が考えるよりも遥かに深刻らしい。


 普通の高校生なら、日々の勉強から解放され楽しく過ごしている時間のはずだ。そうでなくとも、自宅というのは心が休まる場所のはずだ。


 なのに白崎はそうじゃない。そして、そんな状況を彼女は当たり前みたく報告してくる。


 そんな事を一体どれほど我慢してきたのだろうか? それが当たり前になる日常というのは、一体どれほど心をむしばんでいくものだろうか?


 そして、そんな事実を同じ家に住む母親に隠し、たった一人で抱え込んできた事を考えると言葉がでない。


「……どうするつもりだ」


 それでも、既に動きだした任務に俺は集中しなければならない。


『お風呂からあがったら、あの人を誘惑するから』

「待て。それは裸でってことか?」

『バスタオルくらいするわよ。それに、誘惑ならこれくらいがいいでしょ……?』


 大胆な発言に、俺は一瞬呆然自失。


「お前、俺が乱入したときのこと考えてるか? その、なんだ……下手したら俺に見られる可能性があるぞ……それは」

『今さら何言ってるの? 誘惑って、こういうことでしょ?』


 白崎の言う通りかもしれない。指摘されたことに反論できなかった。


 今さら俺は何の心配をしているというのか。それに……現場に乱入し証拠を得るのならば〝行為〟をする直前が一番良いに決まっている。


 いや、たしかにそれはそうなのだが……。


 そんな迷いに無言でいたら、スマホの奥からクスリと小さく笑う声。


『あのさ、私は深井沢くんに何でも従うって言ったよね。あれは、いつかあの人とエッチしなきゃいけないなら、先に処女は捨てておこうって思ったからなの』


 ぴちょんと、水滴が水面に落ちる音がした。


『私はあの人にいろんなものを奪われてきたけれど、初体験まで奪われたくはなかったから。だから、あんな事を深井沢くんに言ったの』


 思い返してみれば、白崎からは童貞を挑発する発言が多かった気がする。


 それはただ単にからかっているだけなのかと思っていたが、そうじゃなかったらしい。


「お、俺で良かったのか? その……初体験は」


 思わずそんなことを訊いたら、「え?」という漏れ声のあと地獄のような沈黙が続いた。


『あの……なにか勘違いさせたようだけれど、深井沢くんが良かったわけじゃなくて、あの人が嫌だったってことだからね? 私が処女だと知ったあの人の反応を見たくなかっただけから』

「あ、ああ、なるほどな……?」


 恥ずかしすぎて頭を抱えたものの、それが通話越しにバレぬよう声だけは取り繕う。


『だからさ、あの人に奪われる前にきて』


 白崎の声は、これから処女喪失の危機に自らを晒すとは思えないほど落ち着いていた。


「……」


 それはきっと、俺への信頼と戦うことを決めた覚悟からなのだろう。


「……わかった」

『状況が伝わるよう、お風呂からあがったらまたかけ直すね。その時は喋れないけど』

「通話だけ繋いでくれたら大丈夫だ」

『じゃあ、またあとでね』

「ああ」


 そうして通話はきれた。


 そのスマホ画面を眺めていた俺は、ブランコから立ち上がる。


「計画……変更だな」


 そして、そう呟いて浅く深呼吸。


 俺は――白崎が襲われても、すぐには乱入しないつもりだった。


 それは、〝決定的な証拠〟を得るため。


 ……そもそもの話ではあるが、俺が乱入し現場を目撃したとしても、その証言は証拠としての能力が低いと俺は考えている。


 なにせ、白崎と同じ学校の生徒の証言なのだ。彼女と俺が結託し、口裏を合わせて事実を捏造ねつぞうしてると疑われる可能性は大いにある。



 証拠とは、誰もが疑う余地もないほど決定的でかるべきだ。



 なら、白崎が抵抗し、力付くでそれをねじ伏せた物理的痕跡が身体に残っている方が良いと考えてたのだ。


 だから、俺はすぐに乱入するつもりはなかった。


 たとえそれが、冷酷無比な行動であったとしても――。


 だが、その計略は変更せざるを得なくなってしまった。


 俺が思うよりもずっと、白崎は俺のことを信じてくれていたからだ。


 期待されれば応えたいと想うのが人間だろう。


 そして、期待には応えなければ人間ではないとすら俺は想う。


 信じるとは、人類が持つことを許された最も難しく最も強い武器だった。


 それがあったからこそ、人類は力を合わせここまでの文明を発展させることができたのだから。


 そして、信じるというのは一度機会を失ってしまえば、もう二度と持つことができなくなる可能性を秘めた諸刃の剣でもある。


 可能性をゼロにしてはならない。


 特に、白崎に関しては――。


 だからこそ、俺は彼女の信頼に応えなければならない。


 奪われる前にきてと言われたなら、何が何でもその結論に至らせなければならない。


 白崎の表札がかかる木戸口きどぐちを通り、明かりの灯る玄関前で待機。


 すぐに玄関を開けられるよう、手には鍵を握つ。


 あとは、スマホから通話がかかってくるのを待つのみ。


 俺は、まるで警察の特殊部隊であるかのような心境で、その瞬間を待っていた。

 





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