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23話 都合の良いハッピーエンドを目指して


 学校には制服があり、仕事には仕事着があり、家でくつろぐ時には部屋着があるように、何事においても正装というものは存在する。


 服を買いに行くときですら、服を買いに行くための服装をしなければならないのだ。服というものはとても難儀で厄介で面倒なものだと思う。


「お兄ちゃんコンビニでもいくの? だったらお菓子買ってきてよ」

「走りに行くだけだ」


 そして、ジョギングやランニングをするにもそれなりの服装というものはある。だが、運動らしき運動をここ数年していない俺にそんなものはなく、散歩でもするようなラフな服しか持っていない。


「走りに……? 体力作り?」

「体力というか気持ち作りだな。常に臨戦態勢でいられるように」

「なんそれ? じゃあ、ついでにコンビニ行ってきてよ」

「お前なぁ、お菓子食べたいだけじゃねぇか。太るぞ」


 そう優奈に返したら、フッと鼻で笑われた。


「その文言聞き飽きてるから。うちは太る覚悟を持って……それでもお菓子を食べると言ってるんだ」

「いや、だからなんだよ。それ聞いて買ってこようとはならんだろ。食べたいなら自分で買ってこい」

「何言ってるの? 自分でコンビニなんか行ったら、歩いた分だけカロリー消費しちゃうじゃん。それって効率悪くない? ぐうたらしたままカロリーを摂取することこそが最大効率なんだよ?」

「……お前が何を言ってるんだ」


 我が妹の難解な理屈には、流石の俺でも呆れるしかない。


「ってか、そもそも臨戦態勢ってなにさ。お兄ちゃん喧嘩でもするん? 演劇部ってそんな野蛮な部だっけ」

「喧嘩するわけじゃないが、いつ何が起こっても良いように備えることは大事だ」

「意味不明なんだけど」


 そしたら優奈に呆れたような表情をされた。とても遺憾ではある。


「でも、うちならその意味不明な行動に意味を持たせてあげられるよ。それが――コンビニ」

「何かにこじつけてコンビニ行かせようとするのやめろ」

「こじつけ? いいや違うね。お兄ちゃんはさっき言ったよね。何が起きても良いように備えるって。でも、それはもしかしたら何も起こらない可能性もあるってことでしょ?」

「まぁ、あくまでも備えではあるからな」

「もし何も起こらなかったらさ、今から走りに行く事が徒労におわるかもしれないじゃん? でも、妹のお使いも兼ねるのならそれはきっと無駄になんてならない」


 そこまで言った優奈は、確信めいた顔で腕組みをした。


「たとえ、世界中の誰もがお兄ちゃんを意味不明だと非難したとしても、うちだけはそれを肯定してあげられる」

「優奈……」

「だから頑張って。応援してるからさ」


 妹の理論はやはり謎で、兄である俺ですら理解しがたい。


 だが、理解なんてものは最初からどうでもいいのだと気づかせてくれる。


 大事なのは、それが優奈のためになるかならないか。


「……ちなみに何が食べたいんだ」

「お兄ちゃんのセンスでいいよ」

「それ、後から文句言うなよ」

「文句は言うよ? でもそれはさ、欲しいものを買ってきてくれたら喜びもするってことなんだよ。お兄ちゃんはどっちがいいの?」

「言われたものを買ってくるのが面倒くさくなくて良い」

「はぁ……やっぱお兄ちゃんはお兄ちゃんだわ」


 そうため息を吐いた優奈は、やれやれと肩を竦めてみせたのだ。


「あたりめで。なるべくたくさん入ってて、噛み応えのあるやつね」

「んなもんセンスで当てられるわけねーだろ」



 ◆



 我が妹的な理論を展開するのならば、朝の教室というのは無駄な時間なのかもしれない。


 なぜなら、授業が始まるまで何もやることがないからだ。


 家のベッドでギリギリまで寝て、登校してそのまま授業に入るというのがきっと、無駄がなく最効率なのかもしれない。


 無論、その最効率とやらは、電車が遅延したりなんかすると破綻する矛盾をはらんでたりするわけだが。


 まぁ、だからなのか朝の教室には人は少ない。


 そして、少ないながらも既に教室にいる者たちは、クラスメイトと談笑するという何気なくも高難易度なミッションに徹している。


 そんな彼らとは別に、教室にいながら何もしていない者も勿論いた。


 そういう者たちはきっと、はやく教室にいてやることもないが、家に居てもやることがない者たちなのだろう。


 白崎明もたぶん、そのうちの一人。


「白崎、ちょっといいか」


 席に座ってぼんやりと窓の外を眺めていた彼女は、かけた声にすぐに反応しなかった。


 それからチラリと俺の方を見あげ、またすぐに視線を窓の外へ戻す。


「お前、何でも従うって言ってたよな」


 そう言ったら、ほんのすこしピクリと肩を震わせた白崎。


 そのまま何も言わずに待っていると、やがてため息を吐いた彼女は怠そうに立ち上がった。


「それで、どこにいくの?」

「部室。鍵は借りてきたからな」


 そう言って、演劇部の鍵を見せる。それは朝イチに職員室から借りてきた鍵。


「人が居ない部室に連れ込んでなにするつもりなの?」

「話を全部そっちに持ってくな……。俺は健全な話をしたいだけだ」

「そう」


 白崎はそう返事をすると、自ら教室の外へと歩きだす。


「一応予告しておくが、俺はお前のことについて隅々まで聞くつもりだ」


 そして、教室を出たところで後ろからそれだけ言ってやった。


「……何の犯行予告?」

「心の準備をさせてるんだ。あと、そういう目的じゃないと否定するためでもある」


 白崎は歩きながらしばらく無言。その顔からは、何の感情も読み取れはしない。


「訊いてこないから、興味ないんだと思ってた」

「興味ないわけないだろ。ただ、それよりも先にやることがあっただけだ」

「やることって?」

「俺を信用してもらうこと」


 その返答に白崎は微かに笑った。


「そういうのって、普通言わないほうがいいんじゃない?」

「企みがあるときはそうだろう。だが、俺はそうじゃないからな」

「馬鹿ね。私は最初から従うって言ってたのに」

「あんなのはただの自暴自棄だろ。それを俺は信用とは呼ばない」


 そう反論するも、白崎は静かに笑ったまま。


「自暴自棄じゃないよ。深井沢くんはさ、たぶん私をみくびりすぎてる」

「俺がどうお前をみくびってるって言うんだ」

「私は何の根拠もなくあなたに従うと言ったわけじゃないってことよ。これでも見る目はある方だから」

「いや、会ってたかだか数分の奴に身を委ねるなんて逆に見る目ないと思うがな」

「数分じゃないよ」


 その否定は、とても丁寧に強調された。


「数分じゃなくて数秒。例えるのなら、電車が駅のホームを通過するくらいの時間」


 何を言いたいのか理解できる。


「……それだけで俺を信用したのなら、やっぱお前に見る目はないな」


 それでも俺はそういうしかなかった。


「なんで?」

「自分の危険も顧みず、見ず知らずの人間を助けるだなんてロクでもないからだ」

「深井沢くんは自分のことをそう思ってるんだね」

「思ってるというか事実ではあるからな。人間は守りたいものだけを守るべきだと思う。そこにどいつもこいつも含めていたら、きっと取りこぼす」

「それを分かってて助けたんだ」

「仕方ないだろ。身体が勝手に動いちまったんだから」


 白崎の目が少しだけ見開き、やがて元の大きさに戻った。


「……じゃあ、私もロクでもないのかもね。バットで人を殴るだなんて、するべきことではないから」

「そうなのかもな。あと、ボールは人に当てるものでもない」


 そんな話をしていたら、白崎が立ち止まった。


 そこはもう、演劇部の部室前だったから。


「そんなロクでもない深井沢くんは、ロクでもない私の何を知りたいの?」

「決まってるだろ。お前が死のうとする理由だ」

「それを知って……どうするの?」


 言いながら白崎は顔を伏せた。


「ほれ」


 そんな彼女に部室の鍵を投げてやると、咄嗟に顔を上げて寸ででキャッチ。


「舞台の練習をするだよ。俺たちは演劇部なんだからな」

「……舞台? なんの舞台?」

「内容はまだ決まってない。だが、結末だけはもう決まってる」


 そう前置きしてから、不思議そうな顔をする白崎に俺は宣言したのだ。


「俺が守りたい奴だけが幸せになれる、都合の良いハッピーエンドの舞台だ」


 それに白崎は呆然としていたが、しばらくしてから頬を綻ばせたのだ。


「ほんと、ロクでもないね」

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