16話 都合よく使われる演劇部 その1
「これから他校の部活をサポートしにいくから、行ける人は体操服に着替えてほしい」
放課後。部室にきた折ヶ嶺が、突然そんなことを言ってきた。
それは演劇部としての要素など欠片もない活動。
「男手が必要みたいでさ、できるなら深井沢は来て欲しい」
そして、俺の方を見てきたのだ。
「行くのはいいが、何のメリットがあるんだ」
「野球部の知り合いがいるんだけどさ、いつか演劇をしたら観に来てくれる約束をしてるんだ。その対価としてちょこちょこ部活の手伝いに行ってる」
演劇をしたら観に来てくれる約束ね……。その、実現するかも分からない事を引き換えに手伝いを要求してくるなんぞ正直嫌な予感しかしない。
「……俺が断っても、折ヶ嶺は行くんだろ?」
「約束ではあるからね」
それを約束と呼んでいいのか怪しかったものの、俺は諦めて体操着が入っているカバンを手に取る。
「行くの?」
そんな俺に白崎が訊いてきた。
「ああ、部長が行くって言ってるのに行かないわけないだろ」
「なら、私も行くよ」
そう言って、白崎は座っていた椅子から立ち上がる。
「え、白崎さんいくの!?」
それに如月が驚いたような声をあげる。
「そうだけど?」
「えー……まじ? てか、桃花はどうする――って、あんたなにしてんの!?」
如月の大声に彼女の視線を追ったら、そこには制服のボタンを上から外している桃乃木がいた。
「へ? 何って、体操着に着替えるんだけど」
「男子がいるのに何でここで着替えるのよ!!」
それを駆け寄って止めさせた如月。
桃乃木との刺激的なファーストコンタクトを考えれば、それはもはや驚くことではなかったものの、さすがに同じ空間で着替え始めるのはやめてほしい。理由はもちろん、気まずいからだ。
「あんたたちも突っ立ってないで、空気読んで出ていきなさいよ」
そして如月からは責めるような視線を向けられてしまう。
それに反論することなどいくらでもできたのだが辞めておいた。ここで如月と口論をはじめたら、どうせ悪者は桃乃木になるとわかりきっているからだ。
いや、まぁ、桃乃木が悪いんですけどね。
「急な頼みで悪いね」
そうして一旦部室を出ると、折ヶ嶺が申し訳なさそうにそう言ってきた。
「部長の頼みじゃなければ断ってたな。肩書に感謝しろよ」
「もしかして……深井沢は長いものに巻かれるタイプか?」
「確かに長いものに巻かれるのは嫌いじゃないな。指示するよりも指示待ち人間でいたいとも思う」
「それ、自分なさ過ぎじゃないか?」
「人の上に立つなんて考えることが増えるだけだろ。指示ってのも先を見通してださなきゃならない。自我を出してそんな面倒事に頭のリソースを割きたくないだけだ。あと、演劇部の部長って地位は巻かれたいほど魅力的じゃないぞ」
「じゃあ、なんで頼まれてくれた?」
「リーダーを尊重できない組織なんてすぐに終わるからだろ」
そう返したら、折ヶ嶺はどこか苦虫を噛み潰したような顔をして力なく笑った。
「案外手厳しいな」
その反応から察するに、「ただの折ヶ嶺には従わない」とでも聞こえたんだろう。
「言葉の裏を読むなよ。こういうときは部長で良かったって素直に喜んどけ」
「そこまで頭お花畑じゃないさ」
「頭お花畑のほうが楽に生きられるぞ」
「小学生の頃までは何も考えずに生きてたんだけどなぁ。もう戻れないね」
折ヶ嶺の最後の言葉には哀愁が込められていた。
その気持ちは正直わかる。昔は俺も賢い人間に憧れていたし、正義とはか斯くあるべしという正義を持っていた。だが、それを目指せば目指すほど他人の悪いところばかりが目につくようになり、それに口出しをしてしまいたくなってしまう。
やがてその者たちと衝突し、さも正義であるかのような理論を振りかざして相手を遣り込めるほどに、まるで自分の考えこそが世界の真実であるかのような錯覚を起こしてしまうのだ。
――報復される可能性すら正義の前には無意味だと根拠もなく信じて。
それを馬鹿と言わずして何と言う?
賢さを目指せば馬鹿になるのなら、馬鹿を目指せば賢くなれるのかもしれない。
しかし、馬鹿のフリをすることはできても、真の馬鹿になんてもうなれやしない。
戻りたくても戻れなかった。
「そういえば、部員増えたんだし演劇部で何かしたりしないのか?」
「ああ、柚原先生がちゃんとした練習メニュー作るらしい」
ふむ。どうやら柚原先生から話はあったらしいな。
「というか、練習ってなにすんだ?」
「そりゃあ体力づくりと発声練習とかに決まってるだろ」
「……やっぱそういうのやるのか」
「なんで嫌そうなんだ。練習したいってのは深井沢から言ってくれたって先生言ってたぞ?」
「へ? 俺が?」
「とぼけるなよ。はやく練習したくてウズウズしてるんだろ?」
あー……あの合法ロリ教師、俺をだしに使ったな。
「部室に来て帰るだけなら入部した意味がないって話をしただけだ」
「そうなのか? まぁ、こんな急に部員増えるなんて思わなかったから、俺もそういうのが頭から抜けてたよ」
「俺が入る前も桃乃木はいただろ。二人の時は何してたんだ」
「桃乃木か……桃乃木はやる気はあるんだけどね」
そう呟いて渋い表情をみせた折ヶ嶺。
「やる気がないよりは良いだろ」
「なんというか、思考がちょっとぶっ飛んでるんだよ……。入部したその日、俺になんて言ってきたと思う?」
そう前置きを置いた折ヶ嶺は、周囲をみわたしてからコホンと咳払い。
「……エッチしたことあるか訊いてきたんだよ。しかも二人きりの空間でだぞ?」
ああ、それ折ヶ嶺にもやったのか。
「あの日から、二人きりになるのが気まずくてさ」
「そうか……。それで、折ヶ嶺はあるのか?」
「え?」
「いや、桃乃木にはなんて答えたんだよ」
「は?」
「……急に耳悪くなるのは、ない奴の反応だな」
「なんだよ……そういう深井沢はあるのかよ」
「ないに決まってるだろ」
そう答えたら、折ヶ嶺はジト目でこちらを見てきた。
「堂々と言えば恥ずかしくないとか思ってるだろ。それ裸の王様と同じだからな?」
「裸の王様が恥ずかしいのは裸だったからじゃない。他人の言葉に簡単に踊らされたことが恥ずかしかったんだろ。つまり俺は恥ずかしくないし、恥ずべきことは何もない」
「素直じゃないな。恥ずかしいことは恥ずかしいと言える人間でいたほうがいいよ。じゃないと本当に恥ずかしい人間になる」
「それを恥ずかしがりながら言わなきゃいけないことがそもそもおかしいだろ」
「経験がないのはカノジョがいないからだし、カノジョがいないのは男としての魅力がないからだろ。それは恥ずかしい」
「じゃあ、お前はずっと恥ずかしがってればいいだろ。それを俺に強要してくんな」
「なっ――」
その時、部室の扉が急に開いた。
「あのさぁ、扉の前で恥ずかしい言い合いしてないでくれる?」
そこには、すでに体操服に着替えた如月が呆れ顔で立っていた。
おぅっ……聞かれてたのか。
「ど、どこから聞いてたんだ……」
折ヶ嶺のおそるおそるの問いに如月は眉根を寄せる。
「経験がない、ってとこからだけど?」
「キャーッ! 梓さんのエッチィィ!!」
折ヶ嶺は自身の体を抱きしめながら叫んだ。
「……は?」
まぁ、如月の反応はわからなくもない。ただ、同じクラスメイトの女子に経験がないことがバレた折ヶ嶺の羞恥心もわからないわけじゃない。
「ぬ、盗み聞きなんてひどいじゃないか!」
「聞こえたって言ってんじゃん。むしろ止めた私に感謝しなよ」
「感謝するには恥ずかしいが過ぎるぅ!」
やがて、如月は面倒臭そうに息を吐いた。
「てか、私あんたのことヤリチンだと思ってたから別にプラスね」
「えっ……」
「あと、早く着替えれ」
言い逃げで閉められた扉の前で折ヶ嶺は硬直。
「よかったな」
取り敢えずそう声をかけたら、複雑そうな表情を向けられたのだ。
「俺、ヤリチンだって思われてたのか……」




