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11話 俺たちには知見が足りてない

 シュレディンガーの猫とは、『観測するまで物事が確定しない』なんて理論を嘲笑うために作られた反論だ。


 だが……それは逆に言えば、「起こっている事象を真実と認めるには観測できなければならない」という厄介なことわりとも言える。バレなければ犯罪じゃないという馬鹿げた理論と同じ。結局のところ人は、自分の目で見たことしか真実として認識できないのかもしれない。


 なら、まずは観るところから始めなければならないだろう。


 目に見えることが全てではないというのなら、目に見えるところへ引きずり出して観測しなければならない。


 白崎明はその為のエサだ。


 家庭の事情に踏み込めないのなら、その事情ってやつを白日のもとに晒すしかない。おそらく――彼女自身が巧妙に隠し通してきた事情ってやつを。



 ◆



「先生と一体何の話をしてたの?」


 職員室をでると、なぜか喧嘩腰の如月が詰め寄ってきた。


「安心しろ。お前に関することじゃない。だから、そんな怖い顔して聞き出そうとしてくんな」

「ほんとに? 私のことあれこれ喋ってたんじゃないの?」

「あれこれってなんだよ。桃乃木に感化されて水泳部辞めたこととかか? それとも、部長とは仲良くやっていけなさそうなこととかか?」

「へぇ……訊いてもないことがスラスラでてくるのね? まるでさっき喋ってたみたく!」


 そう言って如月は「尻尾を出したわね!」的に人差し指を差してきた。


「いや、そんなのは想像すればわかるだろ。お前が怒ってるのは不安や焦りからだろうし、その不安や焦りはお前が気にしてることを俺が勝手に喋ったからかもしれないって。そして、その理由はさっきあげたことしか見当たらない」


 そう説明すると、如月は一瞬呆けてマジマジと俺を見つめてきた。


「……テレパシーなの? 気持ちわる」

「気持ち悪いとか言うな。ただの推理だろ」

「なんか鳥肌立っちゃった。気持ちわる」

「まぁ、先生と話してた内容が別にお前のことでもいいけどな」

「ほぉら、やっぱり私のことを話してたんじゃない」

「たとえそうだったとしても、俺は先生にこう言ったはずだ。「それでも如月は演劇部に欲しい人材だ」って」

「え、なにそれ……気持ちわる」

「お前なぁ……」


 良いことを言ってやったというのに酷い。


「でもまぁ、なんかありがと」


 それでも心中を汲んでくれたのか、彼女はボソリとそう言ってきた。実際には言ってないんですけどね。


「そういや部長の折ヶ嶺ってやつの話あっただろ。如月的には一緒にやっていけるのか?」

「わかんない。実際あんま話したことないから」

「なら、すぐにでも話す必要があるな」

「えぇ? クラス一緒だから別に今すぐ話さなくたっていいんだけど」

「お前のその感じだとクラス内でも話す気ないだろ」

「うっわ、そんなんまで分かるの? 気持ちわる」

「思春期の人間にあんま気持ち悪いとか言うなよ。一生残るトラウマになる」

「一生残るとか最高じゃない? 死ぬまで私のこと忘れられないってことでしょ?」

「考え方が怖ぇよ……。そういう奴が男の前で手首切ったりすんだよ」

「ああ、それなら大丈夫。私は男を刺してから自分も死ぬ派だから」

「順番の問題じゃねぇ……」


 そんなことを如月と話してるうちに、いつの間にか景色は演劇部の部室前。扉を開ければ、そこには既に桃乃木と白崎がいた。


「あれ? なんであずさが?」


 会話をしていた様子はない。二人は適当な椅子に座り、その手にはそれぞれ読んでいたのであろう文庫本が握られていたから。


「私も演劇部入ることになったからさ」

「そうなの?」

「コイツに勧誘されて仕方なく、ね」


 言いながら俺の肩に馴れ馴れしく手を置いてくる如月。都合の良いこと言ってんなぁ……まぁ、別に何でもいいけど。


 そうしていたら、白崎がジッと俺を見ていることに気づく。しかし、その表情から何かを読み取ることはできない。


「白崎さんってほんとに演劇部だったんだ……」


 それに何か言おうとする前に、如月から驚いたような声があがった。


「そ、そうなんだよ! 昨日からね!」

「昨日からなの?」

「うん。たしか、深井沢くんが連れてきたん……だよね?」


 不安そうな問いが桃乃木から白崎へと向けられ、それに白崎は「そうだよ」とだけ返す。

 どうやら二人の間で会話する努力くらいはあったらしい。空気感的に、その努力はあまり実らなかったっぽいが。


「あんたが白崎さんを演劇部に……?」


 そして肩越しに向けられる如月からの視線。そこには「信じられない」という驚嘆が如実に見て取れる。


「悪いかよ」

「いや、悪くはないんだけどさ――」


 その視線はやはり俺の顔へとマジマジ向けられたのだ。


「あんたって何者なの?」


 言わんとしてることが分からないわけじゃなかった。

 なにせ、白崎明とはその見た目からだけでなく、誰とも深く絡もうとしない孤高の存在としても有名だったからだ。

 勧誘したとて簡単に動かせるような人間じゃない。だからこそ、如月の疑問は最も。


 ともあれ、「何者か?」などと問われてはぐらかすわけにもいかず、今だけは如月が納得するであろう理由を取り繕うことにした。


「俺は演劇部がまた舞台に立てれば良いなと思ってる。その為に役者は必要だろ」

「役者ってのが白崎さんとか私ってこと?」

「それしかないだろ。俺みたいなのが舞台に立って人が来ると思うか?」

「あー……いや?」

「いやって……。一瞬迷ったならせめて否定してくれよ」

「でもそういう感じだったんだ? なるほどね?」


 如月は呟きながら一人でに頷いている。どうやら上手くいったらしい。


「たしかに舞台やるなら美男美女のほうが人来るしね?」


 などと、残酷な考察を付け足すことも忘れず。


「まぁ、そういうことだ。それと――桃乃木」

「え、あ、なに?」


 急に名前を呼ばれて驚いたのか、桃乃木はビクリと反応。そんなに怯えなくても……というか、お前はそんなことに怯えるような奴じゃないだろ。


「折ヶ嶺は来ないのか?」

「あっ、折ヶ嶺くん?」

「部長なんだろ? ここの」


 それに桃乃木は困ったような笑みを浮かべた。


「どうだろ。折ヶ嶺くんはあんまり来ないから」

「ほらね、やっぱり部長として機能してないじゃない」


 如月は呆れたようにそう吐き捨てる。


「連絡してみようか? 返ってくるか分からないけど」


 一応、連絡先は持っているらしい。


「ああ、まだ挨拶もしてないしな」


 そう返すと、桃乃木はスマホを取り出して画面を触る。


「あ、返ってきた」


 それは一分も経たないうちの出来事。そして、その画面を見つめていた桃乃木は顔を上げる。


「くるのか?」

「えっと……これないっぽい」

「そうか」

「あ、ちょっと待って?」


 追加で返信が来たのだろう。再び画面に視線を落とした桃乃木は、無言で俺を見つめてくる。


「どうした」

「部室には行けないけど、もうすぐ終わる(・・・・・・・)から来てくれたら顔合わせはできるってさ」

「もうすぐ終わる? なにがだ?」


 それに桃乃木は言いづらそうにしていたものの、やがて諦めたのか軽く息を吐いた。


「……今、別の学校の人たちと会ってるらしい」

「やっぱり遊んでるんじゃん!」


 如月が怒声をあげる。これは本気で修復不可能かもしれない。


「待って梓。折ヶ嶺くんは別に遊んでるわけじゃないから」


 そして、そんな遊び人を庇ったのは思いもよらず桃乃木だった。


「えぇ? 遊びじゃないの? じゃあ、部長は部員ほっぽりだして何してんの?」

「私はよく分かんなかったんだけど、客を集めるための布石ふせきだって言ってたよ」

「客を集める布石ぃ?」


 如月はそう疑問を発したものの、俺は何となく理解できたような気がした。柚原先生が言っていた〝意図〟とはこのことなのかもしれない。


 ただ――演劇はおろか演劇部員も少ない状態で、真っ先にすることが客集めなのはいささかおかしい気はする。故に、それを理由にして遊んでるという可能性も捨てきれない。


「なら、行ってみるか」


 だから、とりあえず俺は会ってみることにした。


「マジで言ってんの?」


 それに如月が分かりやすく嫌そうな表情。


「対話してみないと本当のことはわからないからな。無知の知ってやつだ。もしかしたら、今俺やお前が考えていることは真実じゃないかもしれない」

「ムチノチってなに? 早口言葉?」


 なんか、もうダメそう。


「本当のことは俺たちと折ヶ嶺で話しあった先にあるってことだ。無知の知は中学校でも習うだろ」

「え? ああ! アルキメデスだっけ?」

「……ソクラテスな」


 そうツッコミを入れてから桃乃木を促すと、彼女は頷いて立ち上がってくれた。

 それから白崎を見れば……既に支度を整えている。どうやら俺が行くと言った時点で既に準備をしていたに違いない。従順すぎるだろ。


「わかったわよ! 行けば良いんでしょ? 行けば!」


 やがて、流されるように如月も渋々承諾。


 そうして桃乃木が部室に施錠をするのを見届けてから、俺たちは折ヶ嶺のもとへ向かう。


「ちなみに訊くけどさ、あんたの推理では折ヶ嶺のことどう観てるわけ?」

「部長が果たして真面目なのか不真面目なのかってことか?」

「そう」

「正直話してみないとわからんな」

「わかんないんだ」


 如月は「なんだ」と興味を失ったように会話を終わらせた。


 そう、結局のところ真意までわかるわけがない。


 実際に目で見て耳で聞いて言葉を交わさなければ、真実を認めることすらできはしないのだから。

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