9話 如月梓が水泳部を辞めた理由
桃乃木桃花の言っていた水泳部を辞めた友達というのは、同じ二年の如月梓という女子生徒らしい。
彼女は「男子からいやらしい目で見られる」という理由があながち間違いではないのかもと思えるくらいには魅惑的な体型をしていた。
まぁ、身体のことだけ述べるのは失礼なので顔のことも追加しておくと顔も悪くない。
ただ、性格に関して言えば、
「ちょっと話聞いてんの? 桃花に変なこと吹き込んだのあんたでしょ? って訊いてるんだけど」
ちょっと、キツメなのかもしれない。
「変なことってなんだよ」
「私が顧問からいやらしい目で見られてるとか、思い詰めてないかとかいろいろよ」
「誰かが誰かを心配することが変なこととは思わないがな」
「そういうことじゃなくて、あんたのせいで桃花が余計な心配をしてたんだけど。誤解を解くの大変だったんだからね」
昼休みの教室に突如やってきた彼女は、人のいない場所まで俺を連れ出してから目尻を吊り上げて威圧し続けている。
なにやら誤解をしているようだが、この誤解を解くのも骨が折れそうだ。
「その変なことを吹き込んだのは俺じゃなく白崎って奴だぞ。文句ならソイツに言ってくれ」
だから諦めて教室に戻ろうとしたのだが、如月によって肩を掴まれてしまった。
「桃花からは、深井沢って奴に言われたって聞いたわよ」
「確かに俺は桃乃木を焚きつけはしたが、変なことを吹き込んだのは白崎なんだよ。一方の話だけ聞いて、それを真実とするのはあんま良くないぞ」
振り向いてから強めにそう反論すると、如月は手を放してたじろいだ。
「そ、それは……って、焚きつけたならあんたも同罪じゃない!」
「焚きつけたというか、背中を押してあげたってのが正しい言い方だな。心配していたのは桃乃木だし、本当の退部理由を知りたがったのも桃乃木だからな。俺はアイツが望むことを促してあげたに過ぎない」
「やっば……こんな黒幕みたいな事言う人マジでいるんだ」
如月はそう言いながら、俺から一歩離れた。黒幕とは失礼だな。
「そもそも心配されるような事を桃乃木に言ったのはお前じゃないのか? なに自分のことを棚に上げてんだ」
「うっわ。しかも責任転嫁してきた……」
「それに、お前が胡散臭い理由を桃乃木に言ったせいで、俺は変態扱いされたんだ。謝ってほしいのはこっちなんだが」
「変態……?」
その反応から察するに、どうやら桃乃木は事の経緯を全部話してはいないらしい。
「桃乃木はな、男子からいやらしい目で見られるって気持ちを理解するためだけに部室で下着姿になってたんだよ。それを俺が偶然見てしまったんだ」
「なにやってんのあんた……最低」
「最低って、不可抗力だろ」
「でも見たんでしょ?」
「お前なぁ……今の御時世、男が疑われないようどれだけ気を遣ってるのか知らないのか? 満員電車なんて両手上げて吊り革掴んでないと偶然触っただけで犯罪者にされかねないんだ」
「男には三本目の手があるじゃない。両手上げてるからって、痴漢から逃れる言い訳にしてほしくないんだけど」
「三本目の手って……お前の頭の中は中学二年生かよ」
「は? 私は厨二病的なことを言ってるんじゃないわ。ほら、そういうんじゃなくてあるじゃない! ……そ、そこに三本目の手が!」
そう言って如月は恥ずかしそうに俺の股間を指差したのだ。
多腕や複腕というのは厨二病くすぐる響きではあるものの、如月が言ってるのはたぶんソレじゃないのであろうことは最初から知っている。
「……ちんこを三本目の手なんて呼ぶ発想自体が頭中学二年生って言ったんだ。あと指差すな」
「え? あ、そういうこと?」
「お前……さては思い込み激しいタイプだな? 男子からいやらしい目で見られてるってのも思い込みなんじゃないのか?」
「あ、あんたが変な例えをするからじゃない! それに、私が部活辞めたのは他の理由だし!」
「やっぱ理由違ったのか」
「あっ」
「あっ、て……」
今時そんな分かりやすい反応する奴いるのかと疑いたくなった。
「わ、わたしはただ……水泳部が思ってたのと違ったから辞めただけ」
「思ってたってのは?」
その問いに如月は躊躇っていたものの、結局ため息を吐いて口を開く。
「もっと真面目な部活だと思ってたの。でも、蓋を開けたらそうじゃなかったから」
「へぇー」
「な、なによその反応は」
「いや、別に」
「何か言いたいことがあるわけ?」
「なにも? 良かったな。辞めれて」
そう言ったのだが、向けられる顔は納得していない。まぁ、俺の知ったことではないな。
「もう用事がないなら俺はいくからな」
そう言って教室に戻ろうとした俺を、再び如月が掴まえた。
「なんだよ……」
「言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
その表情も声も怒ってはいたが、瞳の奥が怯えているように見えるのは気のせいだろうか?
「変だなと思っただけだ」
「……変って?」
「なんでそれだけの理由を桃乃木に話さなかったのか? ってな」
「それは」
「当ててやろうか」
その言葉に彼女の目が一瞬泳いだ。
「なによ」
「ほらな。そうやって聞きたがるのは、俺の考えが間違ってることに安心したいからだろ。普通ならわざわざ聞こうとなんかしない」
「そんなの人それぞれでしょ。いちいちムカつくこと言ってないで、そのお考えとやらを披露すればいいじゃない」
如月は言いながら腕を組む。ちなみにだが、心理的に腕を組むというのは自分の身を守りたい行動らしい。
「じゃあ言ってやるが、たとえ水泳部がお前の思ってた部活じゃなかったとしても、お前が真面目に部活をやればすむ話だろ? なんで水泳部のせいにする?」
「私だって真面目にやったわよ。でも周りがそうじゃなかったと気づいただけ」
「一年間かけて?」
「そうよ」
「嘘だな」
俺はそう斬って捨てた。
「そもそも水泳を真面目にやりたかったなら、うちじゃなく水泳が強い学校に行けば良かった話だ。それに水泳は個人競技なんだから周りなんて関係ない」
「私は水泳に全てを賭けようとは思ってないもの」
「なら周りが真面目じゃないのは好都合なんじゃないのか?」
「あんたの言ってることは極端すぎるわ」
「極端なんじゃなく、お前の言ってることが矛盾してるだけだ」
「矛盾なんてしてない!」
如月が声を荒げた。だが、そんな圧をかけられたところで恐くはない。
「まぁ、途中までは矛盾してないんだろうな」
「……途中まで?」
「水泳に全てを賭けようとしてないから強くない学校でも良かったんだろ。お前はそれなりに泳げて、それなりの結果を残せればそれで良かったんだ。だが、それなりなんてのは結局暇つぶし程度ものでしかない。それなりにやって結果がついてくるなんて世界がそんなに甘いわけがない。だから、辞めたんだろ。その挫折が恥ずかしかったから、桃乃木には別の言い訳を用意したんだ」
言い終えたとき、如月の表情から怒りの感情は消えていた。
「惜しいとこまでいってるけど……ちょっと違うね」
代わりに、諦めたような吐息がひとつ。
「……あの子が元々文芸部だって話は知ってる?」
「桃乃木のことか? ああ、知ってるが」
突然桃乃木の話をされて困惑してしまった。
「たしか、提出した作品にセックスシーンを書いたんだろ」
「そう。それで顧問の先生から「そういうのは趣味に留めてくれ」って言われたらしいのよ。でも、あの子は先生に噛みついたんだってさ。「趣味じゃない」って」
「それで強制退部の流れか」
「そういうこと。でも、セックスシーンなんて本気じゃないと書かないよね普通。それを趣味だって言われても、先生相手に噛みついたりもしない」
如月は力なく笑う。
「あの子が文芸部辞めさせられたって聞いたとき、純粋に凄いなって思ったのよ。それで、私って何やってんだろーとも思ったわけ」
ああ……だから、桃乃木には本当の理由を言わなかったのか。
「あの子が本気で取り組んでちゃんと失敗してたのに、私はただ適当に泳いで遊んでただけ。それが嫌になったのよ」
無意識なんだろうが、如月は腕組みを崩し片腕をつよく握っていた。
「別に結果を残したかったわけじゃない。でも、結果を残そうともしない不真面目な自分が嫌になったの。だから辞めた」
「それをアイツには言ったのか?」
「言えるわけないじゃない。それであの子が、自分のせいで辞めたんだってなったら嫌だもの」
それにはこっちがため息を吐きそうになった。
「それで……不真面目が嫌になったお前は今後どうすんだ」
「まだ、なにも考えてないかなー。私、泳ぐ以外で得意な事とかなかったし」
如月は下を眺めながらそう言った。
「良い部活紹介してやろうか」
向けられた視線には、何の期待も込められてはいない。
「得意じゃなくたって、やる気さえあればいい部活。頑張ればたぶん、それなりの結果は残せるだろう。なにせ人がいないからな」
「なにさ」
だから、俺も期待はせずにその部活名を教えてやったのだ。
「演劇部って言うんだが」




