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【短編】異世界恋愛!

透明令嬢、自由を求める。

作者: ぽんぽこ狸






 流行りの恋愛小説のように、決め台詞ぐらいは言ってくれるものだと思っていた。


『お前とはやっていけない! この君の妹リーゼと真実の愛を見つけたんだ。婚約破棄を申し込む!』


 といった感じに、婚約者のレオナルトはそのぐらいの事をしてくれる程度には、まだラウラの存在をきちんと認識してくれているものだと思っていたのだ。


 しかし現実は驚くべきことに、ラウラの事などまるで存在しないかのように、いつもの仕事同様にサインが必要な書類束の一つにラウラとレオナルトの婚約破棄の書類が紛れ込んでいただけだった。


 それを見てラウラは埃っぽい屋根裏部屋で独り言のようにつぶやいた。


「私、本当に透明人間になってしまったみたい」


 言葉にしてみるとその言葉はなんだかとってもしっくり来ている。


 透明人間というのは、この地に伝わる魔獣の討伐神話に登場する姿隠しの魔法が不慮の事故で解けなくなってしまった男が、今でもこの世を彷徨っているという伝説からくる恐ろしいモンスターの事だ。


 彼は透明になってから、誰にも認識されずに、帰る場所もなくなり、自分が存在していた意味すら思いだせなくなった哀れな化け物だ。


 しかしそんな彼とラウラは違う所がいくつかある。


 ラウラは彼らと違って、このディースブルク伯爵家の仕事をきちんとしている。


 しかし誰にお礼を言われるでもなく、ただ仕事を置いておくといつの間にやら仕事が終わって戻ってくるという程度の扱いしかされていないし、それでラウラの事を認めてくれているかと言われたら疑惑の判定になるだろう。


 それにディースブルク伯爵家は、いつもこの領地で開かれる討伐祭という祭りの準備に年中大忙しなのだ。

 

 父は教会との調整に常に気を使っていて屋敷に滅多に帰ってこないし、母は屋敷の事から領民と祭りのすり合わせで忙しい、爵位継承権者である姉も言わずもがな。


 妹のリーゼについてはラウラが仕事を肩代わり……というか押し付けられているので多少の暇はあると思うが、その程度だろう。


 だから彼らはラウラのことなど知らんかおをして、この書類もラウラにサインをさせて、それから妹のリーゼをレオナルトと婚約させようと考えたに違いない。

 

 ラウラの気持ちなど一切考えずに。


『まったくじゃな。お主がこの屋敷でどれだけ真面目に務めてきたかも鑑みずに、成人間近の歳に婚約破棄じゃと? これではラウラに何か問題があったようではないか!』

「そうよね。これでは結婚相手なんて見つからなくなってしまう」

『そうじゃ、ひたむきに尽くしている少女にこんな扱いなど、いくら両親が了承したとしても許せるものではないぞ!』


 婚約破棄の書類を見つめて固まっていたラウラに、イマジナリーフレンドのニコラが話しかけてきた。


 彼女はツイッとその羽を動かして羽ばたき、机に着地する。それから書類を足蹴にしてダムダムと踏みつけた。


 もちろんラウラだけに見えている幻覚なので書類に何か影響があるわけではない。


「……レオナルトは、私のどこが気に入らなかったのかしら」

『ハッ、何を思い悩んでおる! ああいう男はな、お主の妹のような見目の美しい女にばかり価値を感じる、お主のような勤勉さも謙虚さも勘定に入れることのできぬ間抜けなのじゃ』

「ニコラはなんでも知ってるのね。私、婚約者なのに彼の気持ち全然わからなかった」

『だから、それでどうしてお主が落ち込むのじゃ。このたわけ。もちろん、こうなったからには一泡吹かせてやるのだろう?』


 ニコラは含みのある笑みを浮かべて、くるくるとした可愛らしい金髪をはためかせて宙に浮く。


 そうは言われても、ラウラはいったいどうしたらいいのかわからない。ラウラはずっとこうして存在をないものとして扱われてきた。


 その点についてもはや文句を言うつもりはない。けれども、もうずいぶん話をしていない婚約者レオナルトについて思うところはあった。


 愛していたかと問われると、答えはわからないというのが正直なところだ。


 しかし恋ぐらいはしていたと思う。婚約者として親にあてがわれた、子爵家の跡取り息子。


 彼は婚約してしばらくは、ラウラの事を尊重してくれていた。


 けれども次第に文句を言わないラウラの事を家族のように無視するようになっていき、いつの間にか妹のリーゼと良い仲になっていた。


 それでも何も言えないのがラウラという人間であり、その方法すら思い浮かばない。


 認めてほしくてやれることをやる毎日は、いつの間にかただの都合のいい無視しても尊重しなくてもいい人というイメージを強くしていくだけだった。


「私には……力もないしできることだって、こうして書類仕事をすることとか他には空想物語を書いたりすることぐらいしか出来ない。だから、受け入れるしかないのかなって思うの」

『な、なんと間抜けな! お主、リーゼから仕事を押し付けられておるじゃろ! それに、リーゼが抱えている厄介事にも気が付いているじゃろ!』

「でも……知っていたって私、何もできないよ。だからこんな扱いなんだし」

『それはお主が一切の主張をしないからだ。お主の事をおもんぱからなくとも良い人間じゃとお主が示し続けたからじゃろ! 今動かなくてどうする、婚約者を取られて泣き寝入りするのか?』


 ニコラはラウラに向かって真剣に訴えた。


 真剣に訴えるあまり、ラウラの顔面に寄りすぎてあまりの近さにラウラはより目になってニコラを見つめた。


 彼女は珍しく怒っている様子で、大きく頬を膨らませて羽をぱたぱたと動かしている。


 そんな彼女をラウラは両手で包み込むように手に乗せた。

 

 それから、一呼吸おいて、自分の為に怒ってくれているニコラに申し訳なくなりながらも何とか笑みを浮かべた。


「取られたって言っても、別に好きでもなんでもなかったし。今思えばリーゼはすごくかわいいんだから、私に会いに来ているこの屋敷で彼女に惚れるのなんて当然だって思える」

『じゃから! そうだとしてもお主をないがしろにしていい理由には……』

「いいの! ないがしろにされても。レオナルトだって私みたいな透明人間、好きになれないのは当然だったんだよ。こんな何も特徴もなくて地味で取り柄のない私なんて」

『……ラウラ』

「だってそうじゃなかったら、悲しすぎるよ。……っ、せめて、教えてほしかった。せめて、リーゼにだって恋敵だって思って欲しかった。せめて、嫌味の一つぐらい言われて婚約破棄だって苦労するはずだって思って欲しかったっ」


 言葉にしていくとどんどんと苦しくなっていってしまい、ラウラは喉が引きつって苦しくなりながらも涙をこぼした。


 ラウラは確かに無視されて当然の存在だ。


 人には見えないものが見える気がして話をしてしまうし、地味だし、魔法も持っていないし、空想ばかり追いかけていて現実ではぼんやりしているし。


 昔は体も弱くて社交界にもまともに参加できなかった。


 だからこそこの仕事が多く忙しいディースブルク伯爵家の少しでも役に立ちたくて仕事を頑張っていたら、結局それにつけこまれて妹に婚約者を取られる始末だ。


 けれどラウラはラウラの価値を認めてほしかった。


 これでも人並みに愛されたい気持ちというのがある。


 家族からも、兄妹からも、婚約者からも、適切な距離とラウラを尊重するだけの価値を感じて、ほんの少しでいいから愛情を向けてほしかった。


 しかしその気持ちは完全に打ち砕かれたのだ。


 愛情というのは自分にとって価値のあるとおもえる存在にしか向けることはできない、ラウラは一生その対象にはなれない。


 そう考えるとつらくて悲しくて前が見えないほどに涙がにじんできて、ぽたぽたと書類に涙をこぼしてしまう。


『……そうか。お主は、お主には何もないのだとそう思っているのじゃな。たしかにこの場所で輝ける才能はお主にはないじゃろう……不憫じゃな』

「ぅ……っ、ふ、っ」

『じゃが、だからこそ。お主は自由になるべきじゃ。


 この場所にお主を縛っているのは、お主がこの場所に生きている人々に価値を感じてほしいと執着しているからじゃ。


 その執着、断ち切るべきだとわしは思う。しかし、そうはいっても気持ちの整理がつかぬじゃろうから、今はただ寄り添ってやろう。わしの愛し子』


 ニコラはラウラの手の上からツイッと飛び立って笑みを浮かべて肩にのり、優しい風が頬を撫でた。


 ニコラには実体がない。肩に乗せても重みは感じないし、涙をぬぐってくれたとしても頬を伝う涙は変わらない。


 しかし稀に、彼女といると優しい風が吹くのだ。


 今もそう。


 窓も開けていない室内で慰める様な優しい風がさらりと吹いてラウラの涙が枯れるまで、そばに寄り添い続けたのだった。




 ディースブルク伯爵領に存在する伝説は、国外にも知れ渡っているとても歴史あるものだ。


 そしてその伝説に基づいた祭りであるディースブルク伯爵領の討伐祭は、毎年多くの観光客が訪れる大きな催し物となり、その経済効果は莫大なものになる。


 伝説の内容としては、戦の女神が魔力を持たないディースブルクの領民を魔獣たちから守るために様々な工夫をすることによって、民たちを守り切り最終的には魔獣を打ち倒すという伝説だ。

 

 そしてその伝説の中で登場する民を守るためのアイテムとして、アマランスの花という球体の小さな花をつける植物を編んで冠にしたものが登場する。

 

 そのアマランスの花冠は、魔獣たちの魔の手からディースブルクの民たちの姿を隠し、戦の女神は心置きなく戦うことができたという伝説のシロモノだ。


 アマランスの花冠には姿をかくす効果があると言われていて、透明人間の伝説にも登場しているこのあたり特有の魔法道具だ。


 そしてその伝説にあやかって、教会で戦の女神の加護をつけたアマランスの花冠を販売することによってディースブルクは多大な利益を生んでいる。


 だからこそ年に一度開かれる討伐祭は、ディースブルク伯爵家にとってとても大切な意味を持っているのだ。


「出店については、治安を著しく乱すような物はメインの通りではなく娼館がある通りにするようにといったではありませんか! どうしてこのようなリストになっているのかすぐに確認してください!」

「はいっ」

「次……これ以上、運営費から予算を割くことはできません、自分たちで対処法を考えるようにと通達を!」

「わかりました!」

「次!……」


 祭りが一か月後に迫った今の時期、ディースブルクの屋敷は、目まぐるしいほどの忙しさに見舞われる。


 父は大概屋敷にいないので変わらないとしても、屋敷の中まで街の有権者たちが行き交うのでとてもあわただしい、そして数年前から母と街の準備に参加している爵位継承者である姉は今年も酷くやつれていた。


「ヴァネッサお姉さま、お久しぶりです」


 そんな彼女に手間をかけることは、ラウラはとても気が引けることだった。


 しかしニコラも慰めてくれた事だし、自分からも少しでも透明人間を脱却するために必要なことをするべきだと考えて、ラウラはヴァネッサの執務室を訪れた。


 彼女に用件のある使用人たちの後ろに並んで婚約破棄の書類を手にして順番待ちをした。


 ついにラウラの番になり、ラウラは久々に人に会ったのでいつもの通り気弱な眉を下げる笑い方をした。


「……」

「お忙しいところ申し訳ありません。お話があってまいりました」

「……」

「私の婚約破棄についてです。ご存じでしょう?」


 持ってきていた婚約に関する書類綴りをラウラはヴァネッサの前へと差し出した。


 しかし彼女はラウラのことをまじまじと見つめて、それからふと視線を逸らす。


 それから大きく鋭い声で「次!」と言い放ったのだった。


 ……やっぱり駄目なのね……。


 いつもどおり無視されたラウラは、静かにそう考えて、次に並んでいた使用人に順番を譲るように横にそれた。


 すると申し訳なさそうに後ろに並んでいた人は会釈をしてから、ヴァネッサに用件を伝える。


 それにヴァネッサははきはきと答えて、討伐祭の準備を進めていく。


 確かに忙しいだろうことは理解しているし、一大イベントなのだから夢中になることだって仕方がない。


 それでもラウラだって屋敷の屋根裏部屋でずっと今までも祭りの準備に参加していたし、ディースブルクの家に貢献しているつもりだ。


 それがなぜこんなにも蔑ろにされなければならないのかわからなかった。


 ラウラが落ち込んでいると、執務室にあまったるい声が響いた。


「お姉さま~。リーゼが来たわよ~。この平民どもを下がらせて」


 はちみつでも喉に塗り付けてから声を出しているのかと疑うような甘い声で、リーゼが執務室の入口から声をかけた。


 その様子にヴァネッサは一度、目を見開いてから額を押さえて頭を抱えたが、そばにいた使用人に合図をしてリーゼの言う通り用事があって来ていた彼らを全員下がらせた。


 リーゼの隣には、レオナルトがいるが、最近はいつでもこうなので驚くこともなくその場にいたラウラとヴァネッサは、彼らが部屋の中に入ってくるのを見つめていた。


 平民たちはすぐに使用人の指示に従って下がっていくが、ラウラはこの屋敷で透明人間なので声をかけられず、丁度婚約破棄についての話をしに来ていたので当事者の彼らもいることにチャンスだと思った。


「リーゼ。……私とレオナルト様との婚約破棄についての書類を見たのだけど、これでは私が有責で婚約破棄をするようなことになってしまっている」


 言おうと思っていたことをラウラは部屋に入ってきた彼らに口にした。


 ニコラの言葉通り、ラウラの生きている世界は狭く、家族と婚約者しか知らない。


 だからこそ執着を断ち切って自由になるべきだというニコラの言葉を参考に、別の人を見つける為にせめて不利にならないようにラウラなりに主張をしようと考えたのだ。


「これでは私の経歴に傷がついてしまうし、別の婚約者を見つけることもできない。だからきちんと正しい理由を届け出るようにして、少しでも慰謝料のやり取りがあった方が━━━━」

「お姉さま、この部屋何かうるさくない?」

「……」

「悪霊でもついているんじゃなくて? 何かさっきからガヤガヤ変な音がするのよね、それも腹立たしい音!」


 リーゼの言葉にラウラは思わず黙り込んだ。


 彼女たちとは目が合わない。まるで自分が本当に透明人間になったような心地がする。


 ラウラは今ここにいて、彼らとは家族で、姉妹できちんと血も繋がっているというのに、存在を許してはくれない。


 黙り込んだラウラの事を見向きもせずに、ヴァネッサはリーゼの言葉に思わずといった感じでふきだした。


「っ、ふふっ、そうかもしれません。怠け者でごく潰しの幽霊でもすみついているんでしょう。気味が悪いです。本当にっ、さっさと出て行って欲しい」

「ねー! ほんとですわ! 邪魔、それであの人とレオナルト様との婚約破棄の件、適当にこっちで作っておいたわ。まったく、無意味で無価値な透明人間のくせに、レオナルトとの婚約破棄を拒むとか、腹が立ちますわ!」

「そうですかわかりました。リーゼに対処してもらって助かりました。これでやっとあのごく潰しを追い出す口実が出来ました」


 目の前で繰り広げられる会話にラウラはついていけず、やっぱりただ、呆然としてしまって、彼女たちを見つめていた。


 役に立つためにラウラだってきちんと仕事をしているのに、どうしてこんな風に言われなければならないのだろう。


 ラウラにだって怒る権利ぐらいはあるはずなのに、声を荒らげるのも拳を握るのも得意ではない。


 ……それに、婚約破棄は私を追い出す口実にする予定だったのね。


 今更ながらにその意図を知って体の力が抜けてしまう。


「これで心置きなく今年の討伐祭を迎えられます。


 ……それにこの部屋にいる悪霊も、討伐祭が終わるころには、自分でその存在の無価値さに気が付いていなくなるかもしれません。


 ……私としてはできるなら存在価値を証明してほしい所ですかが」

「何言ってますの! できるわけないわ。姉妹は私たち二人だけなんだから支え合って二人でがんばっていきましょうね、お姉さま」

「……そうですね」

「私の存在も忘れないでくれよ。イステル子爵家にリーゼをもらう立場として私たちも全力でこのディースブルク伯爵家に協力するからな」


 今まで姉妹の話に口を挟まなかったレオナルトは、最後のいい所で共に協力すると口にして、リーゼは「流石レオナルト様! 頼りになりますわ!」と返し、ヴァネッサも彼に笑みを向けた。


 家族ではないレオナルトですら彼女たちとの会話に入れているのに、今、この場にいる当事者であるはずのラウラは自分がまったく無視されている状況に耐えられず、視線を背けて急ぎ部屋を出ていこうと出入り口に足を向けた。


 しかし、数歩歩きだしたところですれ違う時に、今まで無視を決め込んでいたレオナルトがスッとラウラの足元に足を差し出した。


 ……っ!


 蹴躓いてバランスを崩す。


 転ぶところまではいかなかったが、背後から小さく舌打ちの音が聞こえてきて、恐ろしくなりラウラはその場を離れたのだった。


 



『肝心なのは、心残りなく去ることだとわしは思っているんじゃ』


 自室に戻り、彼らの望みどおりに出ていこうと仕度を始めていたラウラに、ニコラはそんなことを言いながら現れた。


 やけになってトランクにドレスを片っ端から詰め込んでいたラウラの前で浮遊し、羽から散っている鱗粉のような金の粉をまき散らしながら、くるくるとラウラの周りをとんだ。


『もちろんお主は自由になるべきじゃ。その選択は正しい、自分の好きなように羽ばたいて、お主の価値を見つけるべきであろう』

「……うん」

『がしかし、この場所はお主のルーツじゃろう。気持ちの整理がつかないまま、飛び出してもお主の心は引けたまま、違うか?』


 さらりとした金髪は美しく靡いて、淡く輝く半透明の羽は葉脈のような筋がきらめきをはらみ、美しくて目で追った。


「そうかもしれないけれど、私はここでは透明人間と同じ。存在すら否定されている無意味な存在が何かしたところで変わるものはあるの?」

『あるさ。お主には価値がある。それを証明してやろう』


 そう言ってニコラは高く飛び上がってツイッと空中を泳ぐように部屋の扉の方へと消えていく。


 彼女はラウラの幻想だ。扉など難なくすり抜けて廊下へと出ていってしまう。

 

 そんな彼女を追いかけて、ラウラは蝶番のうるさい立て付けの悪い扉をギイと開けて、風のように素早く飛んでいく彼女のことを追いかけた。


 廊下は、下階の家族が住んでいるスペースとは違って絨毯も敷かれていない木の廊下だ。


 この場所はもともと住み込みの使用人が宿泊するための簡易的な部屋だ。埃っぽくて風通しも悪い。


 奥へ奥へと進んでいくニコラを追いかけながらラウラは複雑な気持ちだった。


 彼女はラウラのイマジナリーフレンドだ。


 今までも彼女の事を認識できる人は居たことはなかったし、ラウラにしか見えないし聞こえないし、ラウラにだって触れられない。


『お主が何を考えているのか手に取るようにわかるぞ、ついていってもどうせ何かが変わるはずもないと思っているのだろう』


 くすくすと笑う声と同時にそんな風に言われて、ラウラはすこし申し訳なくなる。


 けれども事実だ。実体のない彼女はラウラの心の支えにはなれど、何かを変えたことなど一度もなかった。


『しかし、わしはずっとお主に与えておったぞ。お主の為の力をわしは与えておった。それはわかりづらく発現しにくい力じゃ。だからこそ、踏み出すべきお主にわしは、実感できる素晴らしき力を与えたい』


 ラウラの住んでいたような同じような部屋がいくつも続く、しかし奥に行けば奥に行くほどに、長い間、人が踏み込んでいないとわかる古めかしさが増していった。


 足を進めれば埃の足跡がついて、埃っぽさにラウラは小さく咳き込みながら突き当たりにある部屋のなかにニコラが扉をすり抜けて入っていった。


 日の光も届かないような薄暗いその場所でラウラはそれでも長年の友人を信じてドアノブに触れた。


 ドアの反対側から、鍵の開く音がする。


 今までこんなことは一度もなかった。


 ゆっくりと押し開いて中へと入ると、ガラスの窓から日の差し込んでいる小さな三角のそれこそ、屋根裏という言葉がふさわしい部屋がある。


 そして日の当たる位置にキャビネットがあり、そこにニコラは静かにたたずんでいた。


『魔法には種類がある、お主ら人間の使う四元素の魔法。神々の力を借りることができる精霊魔法。それからはるか昔の天才が生み出した、創作魔法』

「……それは知っているけど」

『その中でも創作魔法は稀有なものじゃ、血筋でも、口伝でも受け継ぐことはできない』

「……」

『ただし、魔力を込めて書かれた魔導書によって、適合者はその創作魔法を受け継ぐことができる』


 ……どうして今更、魔法の基礎知識なんて……。


 ラウラにはそのどれもがない。


 古くから続いている貴族の家系には精霊魔法の儀式の方法が載った秘術書や、その家系から出た大魔導士の魔導書が残っている場合もあるが、それはとても稀少なことだ。


 このディースブルクにはそういったものはないと聞いている。


 ニコラのそばによってみるとキャビネットの上には、一冊の革表紙の本が置いてあった。


 埃をかぶったそれは、触れてみると淡く魔力を纏っている様子だった。


『開け。お主ならばきっと適合するじゃろう』


 言われてラウラの心臓はこれでもかと主張を大きくした。


 まさかという気持ちと、ニコラに対するどういう事なのかという疑問の気持ちが強くなる。


 埃を払って、タイトルを見てみるとそこには『アマランスの花冠』と記載されている。

 

「……アマランスの……」


 それを見てラウラは吸い込まれるように手を伸ばし、すぐに本を開いた。


 ニコラはどんな表情をしているのか、彼女は何者なのか、すぐにでも確認したかったけれども、なぜか自然と悪いものではないと本能から察知することができて、文字を目に入れた瞬間にラウラの脳裏に様々なものが駆け巡った。


 体の力が抜け、その場に意識が落ちて崩れ落ちるラウラを、ふわりと風が浮かせて丁寧に地面におろした。


『お主は長く、ディースブルクに尽くした。そろそろ対価を得ても誰も文句を言えぬじゃろう』


 ニコラは呟くようにそう口にして、彼女が目覚めるのを静かに待ったのだった。






 目が覚めるとラウラは、変な夢を見た気がした。


 確か戦の女神だと名乗る美しい人物と、協力して魔獣から人びとを守るというような内容で、それはディースブルクに存在する神話のような夢だった気がする。


 しかし記憶は遠く、はるか昔に体験した出来事のように鮮明には思いだせない。


 けれども一つだけわかることがある。そこではアマランスの花冠は実物ではなく、何かの技術として扱われていたという事だ。


 そしてそれは、今でいう魔法。それをラウラは知って、たしかにそれを受け取ったような気がする。


 けれどもうまく思いだせない、目を開ければ、すでに日が落ちているのか真っ暗で目の前には意識を失った時と変わらず、ニコラが美しい金髪をなびかせてそこにいるのだった。


『おお、良い具合に馴染んでおるなラウラよ!』

『……ニコラ? なにがあったのかよくわからないけれど、あの本はもしかして……』

『そうじゃ、ディースブルク伯爵の魔導書じゃ』


 笑みを浮かべながら彼女はそういい、ラウラは瞳を瞬いた。


 この屋敷にもそんなものがあったのだということにも驚いた。


 それにディースブルク伯爵というと現在は父である、アルノルト・ディースブルクであるがその人ではないことは確かだろう。


 ……ということは昔のディースブルク伯爵がこの魔導書を書いて、それが長らくこの場所で忘れ去られていたということになるの?


 ありえない事もないだろうし、実際問題、不思議な書物であることは事実だろう。これをラウラだけの秘密にしておくことなどできない。


 ラウラはすぐに立ち上がって、問題の魔導書を手に取ろうと手を伸ばす。


『っ、ひゃ!』


 しかし手を伸ばしたところで、すぐに異変に気が付いて、ラウラは飛び上がった。


 自らの手が半透明に透けていて、手をかざすと向こう側のキャビネットが見えるほどに存在が希薄になっている。


 それはちょうどニコラの羽の部分と同様に、キラキラとした魔法の光をはらんでいて、ラウラはあまりの驚きに口を開けたまま固まった。


『のう、ラウラ。お主はわしに対して思う所は沢山あるだろう』


 固まったラウラの指先にチョンと乗ってニコラは優しい声で言った。


 幼女のような丸い頬に柔らかそうな短い手足、着ている白いドレスは風になびいて少し揺れた。


『ただな、わしはお主の為を想ってお主に与えた。お主はどうしたい。この魔導書と力をもってしてディースブルクにさらに尽くし、その価値を証明することを選ぶか?』


 その問いかけは真剣そのもので、暗い部屋の中で淡く光る自分と彼女だけがこの世界に存在しているようであった。


『それとも、本物の透明を手に入れた今。その羽を伸ばすために飛び立つか……好きな方を選べばよい。わしは何も言わぬ』


 ……残るか、進むか。


 ニコラの問いかけにラウラは混乱している頭をいったん切り替えた。たしかに聞きたいこと、聞くべきことは沢山ある。


 今自分がどんな風になっているのか。


 本の名前からして魔法自体の想像は容易い、しかし魔力の関係や使い方など沢山知らなければならない事もある。


 けれどもラウラとニコラ、二人の本題はそこではないのだ。


 ニコラは常日頃からずっとラウラのことを支えてそばにいて認めてくれていた。

 

 そしてやってきた機会。


 確かに透明なラウラは家族にその存在を認めてほしい、けれども、彼らはラウラに価値を見出してはくれない。


 与えられた機会を逃せばきっと次はないだろう。婚約もなくなった、存在も認められずにここにいる意味はない。


「……」


 そして何もできないラウラに、友人は信じて力を与えてくれた。


 友人が望んでくれているのはラウラの幸せだ。価値を認めてもらえるようになってほしいとニコラも想って与えてもらった。


 ……だったら、私は……。


「自由に生きる。私、私を無価値だと思わない人のところで自由に生きたい」

『! よくぞ言ったぞ、ラウラよ! お主は自由じゃ透明人間からは脱却と行こう』

「うんっ」


 そうしてラウラは透明人間をやめることを決意した。


 にべもなく裏切られた初恋をばねにしてやっとできた決断は、果たしてラウラを幸福へと導いているのか、その行く先は女神さまもわからない前途多難の道筋であった。






 この場所からおさらばすると決めたラウラだが、決意ばかりでは物事というのはうまくいかない。


 何事も順序が大切で、計画を立てなければただの無鉄砲になってしまう。


 そうならないようにラウラは現状を正しく把握するために数日間はいつもの通りに過ごした。


 ディースブルク伯爵家の人間は、ラウラの姿が数日間見えずに仕事だけはしていることなどしょっちゅうなので、アマランスの花冠の魔法の実験をしていても特に問題はなかった。


 実験をしている最中に、流石にこの魔法をそう呼び続けることは面倒くさいので透明化魔法と適当に呼ぶことにして、ラウラの魔力との兼ね合いを考えた。


 ラウラは魔力が特別多い方ではない。


 しかしこの透明化魔法は魔力効率もよく、それなりに使い勝手がいい。


 寝ている間だけ解いておけば、魔力は心配いらないという結論に至ったが一つだけ簡単に解けてしまう方法がありそれについては要改善である。


「お母さま、それにしても今年も教会への献金の額が運営費の半分以上……年々教会の要求も大きくなっていますし、来年度の事も考えてもう少し大きく年度の予算を組んだり、献金を減らすことはできないんでしょうか?」


 改善点はあれど、ラウラは意気揚々と情報収集と自由を謳歌していた。


 今までラウラは無視されてきたとはいえ、彼らが無視できないような突飛な行動をすることはなかった。


 それもこれも、常識的な範疇で家族に認めてもらいたいと考えていたからだ、だからこそ従順に主張の少ない地味なラウラという彼らのイメージを崩さずにラウラは生きてきた。


 しかし彼らに認められようと考えなくてもよくなった今、ラウラは自由だった。


「よしなさい! ヴァネッサ、アルノルト様の手腕に文句をつけるというの? 毎年毎年教会の連中と必死に交渉してこの討伐祭を取り仕切っているというのに、そんな不義理なことを言うなんて傲慢よ!」

「それはっ……その通りですが。領民たちからも、開催期間中に行われる催し物や街にやってくる商人たちの支援まで、お金が必要なところをあげればきりがありません」


 姉のヴァネッサと母のヘルミーネは昼食を終えた後に、討伐祭の事について話し合いの場を設けていた。


 こうして彼女たちが食事をしつつ祭りの事を話し合っているのをラウラは知っていたが、彼女たちの話し合いに参加したことはなかった。


 ……たしかに、教会と領民の間に挟まれた私たち運営役は毎年毎年、運営予算に頭を悩ませている。


 大きな祭りでたくさんの売り上げが出るといっても、そのほかの領民の収入は大きくない領地だから、こういう時にどう稼ぐかで今後一年の暮らしぶりが変わるといっても過言ではないわね。


 姉たちの会話を聞きながらラウラは意味もなくダイニングをぐるぐると歩き回っていた。


 この透明化魔法は着ている衣服も、ラウラの声すら透明化してしまうのでニコラとどんな風に話をしていても、誰にも奇異の目を向けられることもない。


「だから何だっていうの?! 私が嫁に来た時はそれでもうまくやっていた! あなたは跡取り娘でしょ? そんな程度の事をうまくやれずにディースブルク伯爵が務まると思ってるの?!」


 母はヒステリックにヴァネッサに鋭い視線をむける。


 それにヴァネッサは苦し気な表情をして視線を伏せた。


『これでは、昔自分がどれほど苦労したかを語るお局と若手事務官のようじゃな! まるで他人のようじゃ!』


 ヴァネッサとヘルミーネのやり取りを見てニコラは腕を組んでラウラの周りをくるくると飛びながらそんなことを言った。


 それにラウラもたしかにそんな風に見えてしまうなと思う。


『母は、嫁入りした身で苦労したらしいから跡取りのヴァネッサお姉さまにきつく当たるの』

『だからと言ってそれが正当化されるわけでは無かろう?』

『そうね、私もそう思う』


 言いながら彼女たちを見る。ニコラが他人のように見えるといったのは、言動のほかに彼女たちの外見も関わっていると思う。


 ディースブルク伯爵家の家系は多くの場合、髪が赤毛、瞳の色は魔力の多く宿った深緑の色。


 それが伯爵家の血を濃く受け継いだ証となる。


 この家……それから周辺領地でもその外見が一番優遇されることが多い、しかし嫁である母はもちろんそんな髪色も瞳も持っていない。

 

 ラウラと同じ地味な茶色い髪に目だ。

 

 ラウラは母親に似ていた。


 しかしヘルミーネはそのことがまったく嬉しくなかった。


 ただでさえ跡取り息子を産めずに夫婦の亀裂は大きくなっていく一方だったのにディースブルクの血の薄い女児など父にも母にもうれしくない存在だった。


 それがラウラだ。


 だからこそまずは母がラウラのことをないものとして扱った。


「はい。わかっています、お母さま。ですが私はただ将来の事を考えて……」


 常に仕事の事を考えて、眉間にきつく皺を寄せているばかりのヴァネッサは気落ちした様子で眉を落としながらも母に、少しでもこれから先の事を考えて意見をしようとする。


 しかし母は、テーブルを強くたたき、それから涙を浮かべて大きな声で言った。


「もう弱音を吐くのはやめて!! 私は何も間違っていないわ! 仕事がよくできるヴァネッサといい子で可愛いリーゼ!! その二人がいて、その二人を産んで私は完璧なのよ!! あなたは! 長女なんだからなんでも弱音を吐かないで頑張れる子のはずでしょう?!」

「……」

「あの子とは違ってこの土地の血がきちんと流れているんだから!! お願いよヴァネッサ! もっと自覚をもって!!」


 怒鳴りつけるようにヴァネッサへと自分のイメージを押し付けるヘルミーネの目は血走っていた。


 そんな取り乱した様子の母を見て、ヴァネッサは要求を引っ込めてテーブルに置かれた食後の紅茶をコクリと飲んだ。


 そしてラウラはついに行儀が悪いとは思っていつつも、テーブルの上に置いてある食後のプチフールを手に持って急いで口の中に運んだ。


『んっ、ふふっ、見た? ニコラ! 私、今つまみ食いをしてしまった!』

『ああ、ラウラ! しかとみておったぞ! 自由への第一歩じゃな!』

『うんっ』


 実はこうして食後のダイニングでうろうろとしていたのは、ラウラの自由行動第一としてつまみ食いをしてみようという企画だったのだ。


 そして、行儀悪く食べたお菓子はなんとも甘くおいしいものだ。

 

 貴族とは言え、ラウラは長らく屋根裏部屋で出された使用人のような食事を食べていたのだ。


 だからこそ久方ぶりの甘いお菓子は最高においしかった。


「わかりましたお母さま。……ですが、私は家族みんなで協力できたらと思う、あの子にも……」

「もうやめて!! 余計な事を考えてはいけないわ! 仕事に集中なさい!」


 そして彼女たちは一つお菓子が減ったことなど知らずに話し合いを続けるのだった。






 ラウラは、この場所を心残りなく立つために、自由行動その二を決行していた。


 それはなんと初恋の相手と妹の逢瀬の盗み見だった。


 ところでラウラは、とにかく字を書くことが好きなたちだ。


 書類仕事から始まって、読んでいた娯楽小説の写本から、神話やニコラの与太話、それから自分の空想小説まで、とにかくインクで指が染まるぐらい暇なときは何かを書き記していることが多い。


「ねぇみてほら、これなんてとっても素敵だと思わないかしら? 極東から運ばれてきた高級品なのよ?」

「ああ、本当だなんて良い肌触り。それにこんな美しい白い毛皮など見たこともない」

「でしょう? あなたにプレゼントする為に商人にわざわざ取り寄せさせましたのよ!」


 リーゼは隣に座ったレオナルトに手に持った毛皮に触らせて、クリッとした可愛らしい瞳をやさしく細めて彼を見上げる。


 可愛らしいリーゼに見つめられてレオナルトはつい毛皮に触る手を伸ばしてリーゼの手の甲に触れた。


 するりと撫でて、彼らはうっとりとした表情で濃厚なキスを交わす。


『お主はこのようなものを見て楽しいのか?』


 冷めた声でニコラはラウラに聞いてきた。


 しかしラウラは文字を書くことに熱中していてすぐに言葉を返さず、その濃厚なキスの描写を思いつく限りのリアリティーのある言葉で書いてから、あっけらかんとした様子でニコラに返した。


『楽しいというより、こんなに間近で正しいキスを見ることなどないから、ついこれは書き留めておくほかないと思ったのよ』


 言いながら、さらに濃密な逢瀬を交わすリーゼとレオナルトの事をラウラはソファーの背もたれからまじまじとのぞきこむ。


 それから、みだらな笑みを浮かべながら艶めかしい吐息を吐き、愛の言葉をささやくとその状況にあった言葉を書いていった。


『そうではなく、愛していたのだろう? そこな男を、それなのに自分以外の女と交わっているところを見るなどつらくはないのか?』

『……』


 聞かれて、ラウラはやっとペンを走らせるのをやめて、下敷きにしている銀製のトレーを持ったままテーブルにちょこんと座っているニコラの元へと向かった。


『つらいかと言われると確かに悲しいような気がする。けれど、婚約者としてキラキラしているようにレオナルトが見えていたのは、私の事を無視するまでの間で……婚約破棄になってからは……とても色あせて居たような気がするの』

『ほう、ではもう冷めたのじゃな。恋とはそういうものじゃ。簡単に熱されてすぐに冷める。それにお主にとってのこの男の価値もなくなったのだろう』

『価値……』

『そうじゃただし、お主に価値を感じてはくれぬような男にいつまでたっても価値を感じる方が異常じゃ。恋や愛はお互いに価値を感じて愛されることを喜べるようにならなければ成立しないものだ。よく心得よ』

『うん』


 ニコラは愛らしい子供のような姿をしつつも、とても貫禄のあることを時おり言う。


 しかしそう言ってもらえると、ラウラにとってレオナルトの価値がなくなった理由も、またそう思ってしまうことに対しての罪悪感もすぐに消えてなくなった。


 その代わりにラウラは、自分にとって価値があると思える人は今どれほどいるのかと考えた。


 脳裏には家族とは別に、昔数少ない社交の場で出会った貴族の男の子の事が思い浮かぶが、そんな幼い時の出会い程度しか、家族以外に知り合いも友人も存在しない。


 きっとここから出てあたらしく作っていくほかないのだろう。


「んっ、はぁ。レオナルト、わたくしやっぱりあなたを愛していますわ。どんな高級なものだってあなたには敵わないわ。あなたは常に最高にかっこいいんだからそれに見合ったものを身に着けてほしいの」

「なんだ突然、嬉しい事を言ってくれるなリーゼ」

 

 ラウラも行儀が悪いとわかっていつつも、彼らを眺めるのにちょうどいい位置にあるローテーブルに座って彼らのやり取りを眺める。

 

 リーゼの言葉通り、レオナルトはリーゼからの贈り物で、初めて会った時よりも随分と高級なものを身に着けているように見えた。


 リーゼから今、贈られた毛皮もそうだし、それ以外にも大きな宝石のついた指輪やブローチ、靴から羽織りに至るまで彼はとても子爵家の男には見えない装いをしていた。


 同じくリーゼも、伯爵家の令嬢としては羽振りが良すぎるぐらい刺繍もフリルもふんだんに使われたドレスを着ていて、ラウラは彼女と比べられたら地味と言われてもまったく間違っていないと思う。


「だからこそ邪魔者には、背負うべきものを背負って消えてもらわないとね」

「何か企んでいるのか? リーゼ」

「企んでいるなんて言い方はよしてよ。わたくしはただこの家にとって正しい事をしてあげるだけですわ」


 なにやら意味深長なことを言う彼女に、ラウラもまた彼女がまったくラウラの計画に気が付いていなさそうな様子に含みのある笑みを浮かべた。


 もちろん邪魔者は去る、しかし心残りなく去るのだ。このままやられっぱなしで消えるわけなどない。


 ラウラはもう自由だ。彼らに媚びた自分は終わりにした、だからこそ油断しているその隙をうまく突く為に、着々と準備を進めていった。







 リーゼの計画は完璧だった。


 すべてはあの邪魔でしょうがないラウラを追い出すため……とほんの少しの贅沢をするための計画だった。


 そもそもあの地味で、父からも母からも無視されている女がリーゼよりも先に婚約をして、地位は伯爵家よりも下だけれど爵位継承権のある男の元に嫁に行くなんて断固として許せなかった。


 母であるヘルミーネは常にリーゼの事を可愛いと言ってくれるし、たしかにリーゼはとっても可愛い。


 だからいくら姉だといっても、あんな地味な女にリーゼが負けるわけがないのだ。


 すこし仕事ができるぐらいの地味で何の面白みもないような姉なのだ。


 だからこそ追い出してやろうと決意した。


 決してディースブルク伯爵家から出て嫁に行く前に贅沢をしたいからこんな風にしたのではない。


 彼女がいなくなったら面倒な仕事をしなければならなくなったり、多少は自由な時間が減るだろうけれど、婚約を破棄してラウラが他に行く当てがない今年だからこそ作戦を決行できる。


 祭りはもう三日後に迫っている。


 討伐祭に出資する関係で仕事としてもレオナルトがこの屋敷に来ている今日この日を狙ってリーゼは動いた。


 すでに仕込みは終わっている。ラウラが気が付いても逃げられないように彼女の部屋の扉に細工もしてある。


 一見何もないように見えるが、扉の外にとっかかりをつけて開かないようにしてあるのだ。


 それをリーゼがいち早く到着してはずし、後はラウラのせいにするだけでいい。


 ……わたくしったら本当に頭もよくて可愛くて、家柄もよくって何もかも最高の女の子ですわ。


 そんな風に自画自賛をしつつ、リーゼはヴァネッサの執務室から少し離れたところから駆けだして焦ったような表情を作った。


 ついさっき、レオナルトがヴァネッサに確認することがあるといって向かっていったので、証人となる彼らは丁度良く仕事の話をしているはずだ。


 執務室へと到着し、リーゼは勢いよく扉を開き、中にいる人たちを確認しながら悲鳴のような声で言ったのだった。


「っ、大変! お姉さま今すぐ来て!」


 可愛いリーゼの悲痛な声に、その場にいた平民すらも振り返って何事かと心配するような目線を向けてきた。


 その注目にすこし嬉しくなるような心地を覚えながらも、リーゼはヴァネッサとともにレオナルト、それからヘルミーネまでいることが確認できて思わずにんまり笑みを浮かべてしまいそうになった。


 なんせヘルミーネはリーゼの事が大好きで、あの女の事はめっぽう毛嫌いしている。


 きっとラウラに罪をなすりつけるのに一役買ってくれるに違いない。


「私の執務室の金庫の鍵がありませんの! あそこにはアマランスのドライフラワーを仕入れる為のお金を用意してあるのに!」


 リーゼはこの討伐祭で色々な仕事を任されている。


 しかしそのほとんどはラウラの部屋に置いておけば勝手にやってくれて、彼女はめったに自分の事を主張しないし、手柄はいつだって全部リーゼのものになっていた。


 しかし適当に仕事をラウラに押し付けていたせいで、正直どんなことを自分がまかされているのかいまいちリーゼはわかっていなかった。


 けれども、一番わかりやすいアマランスの花の仕入れの事だけは知っていた。


 だってその支払いの為にリーゼは多額の現金を得ることになったからだ。


 リーゼの言葉にその場にいた皆が顔を青くして、ヴァネッサに指示を仰ぐように彼女へと視線を移した。


「……それは大変ですね。すぐに探しましょう。もしもの事を考えて鍵師も呼ばなければいけないかもしれません」

「そ、そうね。とりあえず、リーゼの執務室の中をくまなく探してみましょう」

「まったく、リーゼは天然だな。大丈夫だきっとすぐ見つかる」


 三人はヴァネッサの言葉に従うように、すぐに立ち上がって視線を合わせて慌てるリーゼの方へとやってきた。


 ヴァネッサはリーゼの執務室へとすぐにむかい、それにヘルミーネが続く。


 レオナルトは仕事の書面を置いて、リーゼに寄り添うようにそばによりそれから励ますように言葉をかけた。


 まずはリーゼを責める様な雰囲気にならなかったことに一安心しつつ、これからの展開に時間がかかることを考えてリーゼは面倒くさくなった。


 しかし今日この日さえ乗り越えてしまえばリーゼの完全勝利なのだからと仕方なく笑みを浮かべて部屋を移動した。


「金庫はこれですね。鍵は今までどこに置いてあったのですか?」

「この引き出しの三番目に入れていたわ。この引き出しには鍵がかかるから金庫の鍵を入れて、この小さな鍵を持ち歩いていたけれどうっかりかけ忘れていましたの……」

「……いつから無かったかわかる? リーゼ、大丈夫よ、失敗は誰にだってあるわ」

「っ、グズッ、ごめんなさい。明日商人が花を運んでくると聞いて確認しておこうと思ったらありませんでしたの、いつから無かったかはっ、わからないの!」


 リーゼは涙ぐみながら三番目の引き出しを開いてそれぞれに見えるように身を引く。


 するとヴァネッサは言葉を失った様子で静かに数歩下がった。


 それもそのはずだ、引き出しは荒らされているように見える風にリーゼは自分で引き出しの中を事前にひっかきまわしてある。


 当然、そんなことにも気がつかず自分は鍵をどこかに置き忘れたりなくしてしまって落ち込んでいる風を装ってリーゼは「わたくしうっかりしているとは自分でも思っていたけど、こんなに大切な鍵をなくしてしまうなんて」と口にした。


「随分、雑多にものが詰められている引き出しね。リーゼ、無くし物は仕方ないけれど少しくらい整理整頓をしなければ」


 この状況でも察しの悪いヘルミーネは首をかしげてリーゼに偉そうにそう言った。


 その言葉にカチンと来つつもリーゼは「ごめんなさい」としおらしくする。


「お母さま、もしかするとこれはそんな程度の話ではないかもしれません、すぐに鍵師を呼んで金庫を開けた方がいいです。窃盗の可能性もあるとおもいますから」

「せ、窃盗ですって?!」


 言いながらヴァネッサは、自分のお付きの侍女を呼んで鍵師を手配しようとする。


 しかしそうなってはせっかくのリーゼの仕込みが台無しだ。


 リーゼの理想は、窃盗の可能性があると考えつつも皆で探して、皆で鍵を見つけることだ。決して鍵師に金庫を開けてもらう事じゃない。


 何とか方向性を修正しようとリーゼは声をあげた。


「そんなわけありませんわ! 一度皆で鍵を探すのを手伝って、誰かが持っているかもしれないし、屋敷の中を確認してそれから中をあらためればいいじゃない!」

「……ですが、中身が無いなら急いで対応を考えないといつから、お金が無事かどうかわからない以上は今から鍵のありかなど探したって無意味でしょう?」


 ヴァネッサの言葉に、どうして自分の思い通りにいかないんだとリーゼはイラつく。


 これでは皆でラウラの部屋に仕込んだ鍵があることを確認して、このお金が無くなったのは彼女の責任だと罪をなすりつけることが出来なくなってしまう。


「それは……そうだけれどっ」


 けれどもうまく彼らを誘導する方法が思い浮かばずにリーゼは苦々しい表情をしながら言い訳を考えた。


「ヴァネッサ、俺もリーゼの意見に賛成だ。鍵をただ紛失しただけの可能性もある。それにリーゼがそう言っているんだ、その通りにしてやるべきだろ」


 するとレオナルトがリーゼに加勢するような形で、ヴァネッサに意見した。


 レオナルトの言葉はまったく説得力がないものだったが、それにヘルミーネも同意だと言わんばかりに彼女も隣で深く頷く。


「そうね。そうするべきだわ、リーゼは今までも立派に仕事してきたでしょう? ヴァネッサそのぐらい聞いてあげるべきだわ」


 この場にいる三人が同じ意見になりヴァネッサは劣勢だと悟ると、常に寄せている眉間の皺を深くして「わかりました」と同意した。


「しかし、探すのは午前中だけにしましょう。その間に鍵師を手配しておきますから、そうすればとにかくなかの状況だけでもわかるはずです」


 言いながらヴァネッサは金庫に手を伸ばし、念のためとばかりに取っ手を引いた。


 鍵師に依頼するからには、確実に開かないという事を確認するための行動だろうと思う。


 そしてリーゼはその答えを聞いて今度こそにんまりと笑みを浮かべた。それだけ時間があればラウラの事を疑って部屋を確認する流れにまで持って行ける。


 そして先日その金庫の鍵をきちんと閉めた。


 今、金庫が開いて、これからの対策に話が行き、鍵の行方について言及されないような事態にはならないとリーゼはほくそ笑んだ。


「……あれ?」


 しかしリーゼの計画とは違って、その金庫はキイと音を立てて簡単に開いたのだった。


 ……は?


 金庫の扉をひらいたヴァネッサは目を丸くした後、何かを見つけた様子で金庫の中へと手を伸ばした。


 そこには何もないはずだ。


 だってリーゼが色々と欲しいものを買ったり、レオナルトを着飾るために高価なプレゼントを買っていたらすっからかんになってしまったのだから。


 ……何? どうなってるの?


 ヴァネッサは大きさの違う紙が一つにまとめられている綴りをパラパラとめくって見ていた。


 そしてそれに興味を惹かれたヘルミーネも同じようにその紙束を覗き込んだ。


 そしてめくっていくごとに次第に彼女たちの表情は険しいものになっていき、リーゼとレオナルトとその紙束を何度も見比べて、驚愕の表情を浮かべた。


「そんな、ありえない。嘘だと言って?」

「……」


 母はそうつぶやき、最後の一番上のページにまじまじと目を通すヴァネッサはひくっと頬を引きつらせた。


「リーゼ、あなたなんてことをしてくれたんですか」


 ひどく冷たい声がして、リーゼは何かまずい事が起こっているとそれだけは理解して、意味が分からないながらもヴァネッサの手元から紙束をひったくるようにして奪い取った。


「な、なんなのよ! こんなもの入れた覚えなんて……」

「リーゼ、何が書いてあるんだ?」


 隣にいたレオナルトもリーゼと同様にのぞき込んだ。


 急いで紙をめくっていくとそこには、リーゼの名前で買った高価な商品の契約書がずらりと並んでいた。


 ……こんなもの、どうしてここにありますの!


 そして最後の一番上のページにはリーゼが任されたアマランスの花代のすべてを使い込んだことを証明するように、アマランスの花代として貰った金額と使い込んだ金額が丁寧に計算されて記載されている。


 さらに、ヴァネッサに向けて『どちらがごく潰しか理解できましたか? お姉さま。ラウラより』という文まで添えてあった。


 ラウラやリーゼの仕事の管理をしているのは姉であるヴァネッサである。


 今までラウラのやった仕事も全部リーゼがラウラの部屋から勝手に持ち出してすべて自分の名前に書き換えて提出してきた。


 そんな妹の字体だと思っていた、文字を書きなれた美しい文章の字が、ラウラのものだと示すのにはもってこいの言葉にヴァネッサはすべて気が付いたのだろう。


「嘘よね。リーゼ、嘘だと言って? きっと何かの間違いよ」

「鍵をなくしたなんて嘘をついて、人に取られたことにしようとしていたという事ですか、リーゼ」

「ヴァネッサそんなのどうでもいいじゃない! お金は! お金はあるんでしょう?! 


 使い込んで一人だけ贅沢をして、ディースブルク伯爵家全体の収入になるはずの販売用のアマランスの花代を使ったなんてそんなはずないわよね?!」

「お母さま、落ち着いてください。今はきちんと話をしなければ」

「落ち着いてなんていられるものですか! どうするの! お金がないのよ! アルノルト様になんていわれるか! もう討伐祭は三日後なのよ?!」


 取り乱してヘルミーネはリーゼに縋りつくようにつかみかかってくる。二の腕にぐっと爪が食い込んで酷い痛みが伴う。


 ……は? はぁ? なにこれなんで私が責められてるわけ?


 わたくしが悪いっていうの?


「わかった! その男にたぶらかされたのね! そうなのね! だからこんな高額な買い物をしてしまったのね!」

「な、そんなわけないだろ」

「でもこの請求書にあるこの指輪! そのブローチもつけているじゃない!!」

「こ、これはっ勝手にこの女が寄越してきただけで俺は何も知らないぞ!! それにもう貰ったものだ今更返せと言われても無理だ!!」

「二人とも落ち着いてください。リーゼ、私が気になるのはあなたの筆跡だと思っていたものがラウラのものだったという事実です。あの子は勝手に引きこもって仕事もせずに貴族としての役目も果たせない。


 そんな相手と結婚なんてレオナルトが不憫だといったのはあなたではないですか」

「とにかく、こいつが羽振りがいい理由なんて俺は知らなかった! 一族の事に俺を巻き込まないでくれ!」

「じゃあお金はどうするのよ!!」


 ヴァネッサは落ち着けと言いながらも、リーゼに矢継ぎ早に仕事の件を聞いてくる。

 

 使い込んだお金の話も、仕事の件もどちらもこんなのデタラメだと言いたいのに、話が混乱していてどこから否定すればいいのかわからない。


 けれどもおかしい、こんなのはおかしいだろう。


 だって今まで全部うまくいっていた。それなのに、どうしてこんなことだけで周りの評価がこんなにも変わるのか。


 リーゼは間違っていないだろう。


 ただラウラを利用してうまくやっていただけだ。周りをうまく使って自分の評価をあげて楽しく生きるのだって資質だろう。


 間違ってないはずだ。


 利用してやっただけのはず、それがどうしてこんなに責められているのか。


 あんなに贈り物をしてやったレオナルトまでなぜリーゼの味方をしてくれないんだ。


「とにかく、このことはお父さまに報告して、しかるべき措置をとる必要があると思います。それに知っていても知らなかったとしてもレオナルトに贈ったものが使い込んだお金ならば、返してもらわなければなりません」

「そうよ、返しなさい! 今すぐに! 討伐祭に間に合うように!」

「だから、俺は関係ないだろ! こいつが返せばいいんだ。そもそも可愛いだけで何のとりえもない女なんだから娶ってやるのに贈り物の一個や二個、十個や二十個貰ったって足りないぐらいだ! 

 

 それを受け取ってやっただけだってのに、なんでこんなことに巻き込まれなければならないんだ!


 俺は知らん! 責任はお前ちゃんととれよ!」


 言いながらレオナルトはリーゼの事を突き飛ばして、自分はリーゼからは離れようとしていく。


 しかし今までまったく反応できずにいたリーゼは、レオナルトの言葉と行動に目が覚めたかのように彼の腕にしがみついた。


「な、なによ! あなたわたくしの事愛しているって言っていたじゃない! どうせ気が付いていたんでしょう! 喜んで受け取ってましたわ!」

「リーゼ! やっぱりここに書かれていることは事実なんですね。お母さま兵士を呼んできてください、身内のこととはいえ立派な犯罪です!」

「そんなことよりお金はどうするのよ! リーゼ今すぐ全部返品してきて! あなたが全部悪いんだから!」

「このっ、口先だけの性悪男! わたくしは悪くないわ!」


 その場は混乱に包まれた。罪を糾弾し合い押し付け合い、やっとリーゼは正しくこの状況を認識し、とんでもないことになったと自覚した。


 そしてここに来た目的である金庫の鍵がテーブルの上にカコンと音を立てて出現したことに誰も気がつかずに醜い言い争いは続いたのだった。





 

 この事態が発覚するまでは仲睦まじかったはずのリーゼとレオナルトは、言い争いの果てについにリーゼがレオナルトに手を出した。


 ぱちんとはじけるような音が鳴って、リーゼを罵っていたレオナルトも、パニックになっていたヘルミーネも、何とか場を収めようとしていたヴァネッサも静まり返ってリーゼに注目した。


「はぁっ、っ、はぁ、好き勝手言って、何もかも全部台無しですわ。レオナルト、あなたの事などもう顔も見たくありませんわ」


 先ほどの言い合いによって息を切らしたリーゼは、黙り込んだ彼に偉そうに言い放った。


 しかし、一瞬の間をおいて、今度はガツッという鈍い音が響いてリーゼは転倒した。


『おお、こりゃ大変じゃ』

 

 隣でニコラはすこし楽しそうにそう口にした。


「なにが顔も見たくありませんわ、だ、こっちだって願い下げだ。ふざけんな。お前のせいで俺だって最悪だ!」

「っ、っ、はっ、っ~! ぶったわね!」

「当たり前だろ殴られたんだから殴り返して何が悪い!」


 涙声で続けるリーゼにレオナルトも声を荒らげて、応戦する。


 もはや誰にも止められない状況な気もしたが、ラウラはひとつ息をついてから金庫のそばへと向かった。


『ニコラ』

『うむ?』

『こうして私にできることをしてみたけれど、結局こうして私の今までを捨てて行動を起こしても、結果はこれなのね』

『……』

『この騒動が私がここにいたっていう唯一の証、結局この人たちはどこまで行っても、自分の事しか頭になくて私は認めてほしいと思って頑張っても利用されただけだった。


 どこで家族と歯車がかみ合わなくなって、私はこんな風に透明になってしまったのかわからない。


 でも、どうしようもない事にいつまでもしがみついていたって、意味はない。 


 私の価値を認めてくれる場所へと進まなければ停滞している彼らと何も変わらないね』

『ああ、そのとおりじゃ。ラウラ』

『よし。そうと決まれば、私だって自由に振る舞う!』


 そういって、ラウラは彼らの真ん中で透明化の魔法を解いた。

 

 今まで透き通っていた自分の体は当たり前のように実体を持ち、声の響きも透明化しているときとは少し変わる。


「っ!」

「ひっ、え?」


 ラウラが突然現れたことによって、ヴァネッサとヘルミーネは同時に驚き、声をあげる。


 その声はお互いを睨みつけていがみ合っている彼らにもとどき、ラウラは一瞬の間に注目を集めた。


「……」


 この人たちは結局、ラウラが仕掛けたことについて考え直したりラウラの事を認めてくれることもなく、自分たちの事ばかりだ。


 特にリーゼなんて自分の使い込んだお金をラウラのせいにして、言い逃れをしてラウラを追い出そうとまで考えていた。


 ラウラはいつだって彼らに誠実で認めてほしくていい子にしてきた。


 しかしそれは報われない。


 報おうと思うだけ彼らにそもそも尊重されていない。


 だったら、ラウラだって尊重してやらない。


 もう縛られる人生は終わりだ。


「人の婚約者を奪って置いて結局、こんな程度の事でそんな罵りあって見苦しいわね。リーゼ」

「な、なんですって?!」

「あなたは私を使って全部うまくやるつもりだったみたいだけど、そうはいかない。というか優しくしているからって都合のいい人間ばかりだと思わない方がいいと思う」


 顔を真っ赤にして怒るリーゼを無視してラウラは振り返って、ラウラの仕事にも気がつかず、自分の事ばかりで頭がいっぱいで仕事をしなければ家族ですらないと考えるヴァネッサに目線を向けた。


「ヴァネッサお姉さま、お姉さまは確かに大変な地位にいると思います。でも将来の事ばかり考えてストレスをためることよりも、もっと目の前の見えてない事が多すぎたんじゃないですか?」

「……ラウラ、あなたどうやってこんなことを……」

「お母さま、私はあなたにとって透明で存在しない方がいい人間だったと思う。


 それでも私は認めてほしかった。だからこそ今まで尽くしてきた。


 けれどもその気持ちすら利用して、透明で無視してもいい存在を自分たちの利益になるように扱うような家族にはもううんざり。

 

 私は一人で勝手に消えます。ずっと消えてほしいと思っていたみたいだし、今までの無償の奉仕で育ての恩は相殺とさせてね」


 ヴァネッサはこの状況になってやっとラウラの名を呼んだ。


 今まで何度呼びかけても何も言わない、無視してもいい相手だと軽んじていたくせに。


 そして母はやはりラウラの言葉を聞いても目を合わせず顔を背けて、小さくなっていた。


 ……それでもかまわない。もう出ていくんだから。


 また透明化の魔法を使ってこの場所とはおさらばしようと考えてから、ふと存在を思い出してラウラは最後に言った。


「ああ、そうだ。レオナルト。私、あなたの事がちゃんと好きだった。けれどあなたは私の家族に同調して、さらに助長させるような嫌がらせもして結局私の事を蔑ろにした。


 された分だけの仕返しとして、あなたの事ちゃんとご実家にお伝えしているから早めに帰った方が身の為よ」


 そういって、ラウラはまた姿を消した。


『おう! これで心残りなくスッキリ行けるな』

『うん。いこうニコラ』


 ラウラが目の前で消えたことによって、彼らはひどく驚いて口々に恨み言や、ラウラに対する暴言を吐いたりするが、もうそんなものなどどうでもいい。


 そう思えて、ラウラはやっと透明人間から脱却するための道を進み始めたのだった。





 ラウラにはきちんと行く当てがあった。


 出発する前の準備期間の間にラウラを受け入れてくれる夫婦へとコンタクトを取っており、その夫婦の屋敷であるヘルムート子爵邸へと向かったのだった。


 ヘルムート子爵家は、ディースブルク伯爵家と親戚筋に当たる貴族である。


 その昔はディースブルク伯爵家のすぐそばに領地を持ち、討伐祭を手伝うことで共同事業主という形で交流があったが、今では土地を失い王都で職を得て暮らしている貴族だ。


 もともと親戚筋ということもあり、ラウラとも幼いころから面識がありその時から家族からの冷遇にあっていたラウラに、いつでも頼っていいと話を持ち掛けてくれたことがある。


 しかし無償でというわけにもいかない。


 ラウラは住み込みで事務仕事をする代わりに置いてもらい、できるならば自分で生計を立てられるようにしたいと思っていると要望も伝えてあった。


 そしてニコラと危険な場所では姿を消しながら王都へとぼちぼち向かっていった。


 幸いディースブルク伯爵領はそれほど王都から離れているわけではない。


 のんびりと向かっていると討伐祭が終わって今回の事が決着がつく程度時間がたったころに、ラウラはヘルムート子爵家へと到着していた。


 彼らはとても気のいい夫婦で、年頃のラウラに配慮してあまり干渉してくるようなことはなかったが、気になるだろうということでラウラにディースブルク伯爵家の討伐祭に関する話をちょくちょく話してくれる。


 今日もヘルムート子爵夫人であるマリアンネから呼び出されて、三時のお茶を共にしつつ、ディースブルク伯爵家の話を聞いた。


「前回はどこまで話をしたかしら? ごめんなさいね、最近ぼんやりしてしまって」

「いいえ、全然気にしないでください。マリアンネ様。前回はアマランスの花冠の花が足りずに、常に討伐祭を行うごとに献上していた他国や王族にも献上することができなかったというところです」


 おっとりと笑みを浮かべて頬に手を当てる彼女に、ラウラも紅茶を飲みながら思いだしつつ言葉を返した。


 するとマリアンネはそうだったとばかりに深く頷いてそれから、続きを話した。


「それで、結局今年は魔獣避けになるアマランスの花輪を献上することができない事をディーブルク伯爵が直々に謝罪に回ったそうよ。


 その時に話している内容は、どうやら昔のわたくしたちのように協力関係にあって、娘を嫁にやることも決まっていたイステル子爵家の跡取り息子が事業の為の予算を着服したという事みたい」

「そうなんですね」


 その答えにラウラは少し考えた。


 ……あの時レオナルトの実家であるイステル子爵家には、事実を告げる書面を彼の弟あてに送っていた。


 彼が貶められる形の話がされているということは、それをうまく使ってレオナルトを跡継ぎの地位から降ろすことに成功したという所かしら。


 それにしても、結局リーゼは罪に問われなかったのね。


 ……それでも、リーゼはまったく仕事もできないし今までの私の仕事の成果を横取りしていたということも明らかになっている。


 屋敷の中できっとそれなりに大変な日々を送っているでしょうね。


 その姿は容易に想像がつくし、彼らの現状についてもっと知りたくなるような気持ちもあったが、せっかく屋敷を出てきたというのに彼らの事ばかりを考えていては意味がない。


 ラウラには今がある。


 それもこれもこうして協力してくれる人がいるおかげだ。


「わざわざ教えていただいてありがとうございます。それにこうして置いてもらえて、とても助かっています。マリアンネ様」

「あら、いいのよ。……わたくしたちもね、人の家の事だから余計に口を出すようなことを言うものよくないし、それに身分差もあったからあなたの事を危ういと思っていても放置していた。


 だからこそこうして頼ってもらえて、嬉しかったのよ。なんせ子供は自由に色々な可能性を自分で見つけて望むように生きていくものだわ。そうでなければ報われないでしょう?」


 マリアンネは輝くような素敵な笑みを浮かべてラウラの手を取った。


 あんな風に自分の家族でもないがしろにする人たちもいて、しかしそれと同時につながりの薄い人でもこうして心配してラウラを助けてくれる人がいる。


 ニコラと同じように。そう考えてテーブルの淵で足をプラプラさせて楽しそうに紅茶の湯気を眺めているニコラに視線を向けた。


 常に認めてもらうためにまっとうに生きること。それはたしかに都合がいい相手になりすぎて利用されてしまうこともあって、悪い方向に進むこともある。


 けれどもどこかしらに必ず、見てくれている人というものはいるもので、自分の罪は自分に返ってくるとラウラは今も信じられる。


 こうして支えてもらって手に入れた自由でラウラは、新しい事を始められる幸福を改めて感じた。




長い話を最後まで読んでいただきありがとうございました。


長編版も一応あります。下記から飛べます。良ければ覗いてみてください。

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