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他者の自己嫌悪


 見知らぬ人の自己嫌悪には、何かしら気分のよいものがある。

 薄っぺらな共感。

 自己反省能力に対する肯定感情。

 きっとそれだけではなく、その見知らぬ人がその人自身を否定することが、結果的にそれとは関係のない自分が相対的に正しいかのような気分になるからかもしれない。


 ただ、あらゆるネガティブな感情がそうであるように、それらはすべて粘ついたものであってはならない。すべてのジョークがそうであるように、他者のネガティブな感情はすべて、一瞬のうちに通り過ぎるものである限りにおいて、人はそれを楽しむことができる。

 苦みのようなものだ。人は一瞬であれば、苦みを楽しむことができる。


 だから、人生は食事に似ている。正確には、人生そのものは食事に似ていないが、他者の人生を認識する際の体験としての在り方が、食事と似ているのだ。


 興味の向かう先はそれぞれ違うけれど、興味というのは基本的に残酷なもので、それは深い理解に至るための入り口というよりも、単に目立つもの、衝撃的なもの、直接的なものであることが多い。

 興味と関心は微妙に違う概念だということを言いたいのだ。意志を持って対象を知ろうと努力をすることを興味を持つとは言わない。関心を払うという。

 このふたつはよく両立するものだが、ほとんどの場合でものごとへの深い理解をもたらすのは興味ではなく関心である。

 であるならば、実際のところ重要なのは興味から関心への移行であろう。


 ただそれも、最初に興味を持っていなければ、関心を持つことはもっと難しいだろうと思う。

 人が興味を持っていない事柄に興味を持ってもらうことはとても難しい。結局は、すでにその人が興味を持っている別の事柄から派生してつなげていくことが最善であることが多い。


 何にしても、私は今、何を大切にして生きればいいのかわからないでいる。

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