居場所
砂の星に来て、汗をかいた。暑くて、めまいがした。私は言った。
「ここじゃない」
私が人に受け入れてもらえなかったのではなく、私が人を受け入れることができなかったのだ。
「あなたにいてほしい」
そういう思いを踏みにじってきた。
「でも、必要ではない。私がいなくてもこの場所は成り立つし、もっといえば、私がいない方がこの場所はその形を保ちやすい」
そう内心で思って、笑顔でその場を離れていった。
何度も何度も。
居場所というのは不思議なもので、その場所が自分を受け入れているということ以上に、自分自身がその居場所を自分の場所だと感じていなければならない。私は多くの場所を自分の家のように感じてきたが、いろんな人を自分の家族のように思ってきたが、最後に行きついたのは、現実感のない、まるで舞台の上の一室のような感覚。本当の家族すら、私には一時的なものにしか感じられない。長年の友人すら、たまたまそこにいる赤の他人のようにしか感じられない。
情が薄くなったというより、情以外の部分が私の頭に入り続けた結果、情が隅に追いやられたという感覚だ。
私は自分の居場所がないことに苦しんでいる。
「それなら、どこでもいいから居場所を作ればいいじゃないか」
そう声が聞こえてくる。
「どこでもいいなら、今いる場所だって居場所に含まれるはずじゃないか。それを居場所だと感じられないのに、なぜよその場所が、自分の居場所だと感じられるというのだ?」
「誰でも、受け入れてもらえる居場所はある。同じように、どんな人間だって自分自身が居場所だと感じられるような場所だってあるはずじゃないか?」
「もしそれが、『居場所のない人間』という場所だったら?」
「そういう人もいるかもしれないが、もし君がそうだと言うのなら、君はきっとそのことで悩んだりはしていないだろうし、こんなに苦しそうに生活をすることもなかったろうな。君は、今のその場所とは違う場所を欲しがっている」
「それは、まるで自分から傷つきたがっているみたいじゃないか。場違いな場所に顔を出すたびに人間は苦しむように作られていて、どう考えたって私が早い段階で自分の居場所を見つけられるわけがないのだから」
「そう。君は苦しまないといけないのだ。君が欲するものを手に入れるには」
「それだけの価値はないと思う。だってそれは単なる感情だから。ある感情を得るために、避けるべき感情を無数に通り抜けるというのは、不自然じゃないか。私はもう生きていたくない。でも死んでいないのは、死ぬまでの道のりがあまり苦しいものだということを知っているからだ。ゆっくり少しずつ苦しむ方が、急激に短期間苦しむよりも楽だということを学んだだけだ。あぁそうだ。人はそういうことも年を取るごとに学んでいく。ぶたれるよりは、潰されるほうがいい」
「そうして君は、いつも苦しそうに息をするんだな。まるでいつも、窒息寸前みたいな顔をしている。もっと楽に息を吸いたいと思っているのに、相する方法は、もっと苦しむことによってしか得られず、しかもその苦しみは楽になったあとも継続する。君はそう思っているんだろう?」
「生きるというのはそういうことじゃないのかな」
「それはあまりに悲観的だろう。たとえ君の言うことが正しかったとして、それはでも人間一般についてのことではなく、君という人間の人生にのみあてはまることだろうね」
「私は死にたい」
「あぁ、わかってるよ」
「お前が見ている世界は、みんなが見ている世界とはあまりに違う」
「それは誰にとってもそうだろう」
「その通り。だからこそ、みなが、少しずつ他の人に合わせようとしている。君は十分にそうしてきたか?」
「そうしてきたつもりだよ。もっといえば、私はきっと、全体のマップの中では中心に近い場所にいると思っている。私は少し変かもしれないが、でも常識の範囲内の変人だ。言葉や考えていることは理解されなくとも、行動や生き方は理解されやすい。私は案外シンプルな人間なんだ」
「それは、シンプルな人間が君を見た時に思うことであって、君自身が君に思うことではないだろう?」
「人と自分がどう違うか考えるなんて不毛なことだろう。そんなのは、自分の優位性を確認して戦略を立てるとか、そういうことをするときにしか意味がないことだろう。あるいは、それ自体がアイデンティティなら話が変わるかもしれないけれど、でも私はそういうのを、醜くて残念なことだと思っている」
「自分の個性で自分を定義することが?」
「あぁ。だってそれは、少なくとも無個性が何かわかっていないといけないし、そのうえで無個性という立場を中心に考えたうえで、そこから外れた自分を定義しないといけない。それは曲芸じみた詐欺といえるんじゃないか? そんなことするくらいなら、自分の立場を普通だとか当然とか、あるいは普遍性があるとか論理的だとか合理的だとか言って、そうじゃない一般的な言説や立場と対立しながら生きるほうが、ずっと正直でいいじゃないか。もしし選べるなら、私はそっちがいい」
「ならなんで、お前は自分が人と違うことに苦しんでいるんだ? お前にとってみれば、人と違うことに苦しむのだって、醜くて残酷なことだろう? だってそれは、『人と同じ自分』が思考の中心にあるということなのだから」
「君の言っていることはきっと正しいよ。私は『人と同じ自分』であろうと苦労していた時期があるから。でもそれはうまくいかなかったから。その挫折感が、そうさせているのかもしれない。あるいは、一般的な幸福の姿のうち、その中で自分が同意できる部分だけが理想化されて、その幻影に悩まされているのかもしれない。得られていたかもしれないチップが惜しいんだ」
「その割に君はいつも笑っているじゃないか。それはなぜだ? 心の底から君は笑いながら生きている。それはなぜだ?」
「わからないよ。でも笑うことを学んだんだ。どうせ生きるなら、笑えるときは笑った方がいい。たとえ笑うべきでないときと場所であっても、心の中では笑っていた方がいい。そうすることで、少しでもこの現実が生きやすくなるなら、その方がいいだろう? 少なくとも、別のもっといい場所で笑っていない人間よりは、最低な場所でも笑っている人間の方がずっと幸せそうじゃないか。私はそういうことを大切にしているんだ。だって、何もかも不確かだと感じる私たちにとって、一番確かなこと、一番信じられることは、もっとも表層的であると同時に本質的である、この感覚と感情なのだから」
「もし君の言うことが正しいなら、君は居場所を必要としないはずだろう? どんな場所でも笑えるなら、どんな場所にいたって君は幸福であり、それ以上を必要としないだろうから」
「極論は好きじゃないが、君の言うことは全面的に正しいよ。そして私は、多分自分についてたくさん間違ったことを行ったのだと思う。嘘をついているつもりはないけれど、私はもう自分が何を信じていて、どんな意見を持っていて、どんな風に生きていくつもりなのか、よくわかっていないんだ。かつて鮮明にわかっていたはずのものはどんどんぼやけていって、かつて二度と話すまいと握り締めていたもののほとんどは空中分解してそのかけらが私の周りをふわふわと漂っている。私という存在は、私を構成しているすべての要素で成り立っている。こんな簡単な循環論法さえ、私には奇妙なことに思えてしまう。でもそうだろう? 人は自分を定義するとき、必ず自分のすべてではなくて、自分の一部で定義する。ありのままの自分を定義しようとしたら、結局それはそれまで定義されてこなかった一切の自分を含めた形であらわさないといけない。だとすれば、私の肯定はすべて否定としても存在するし、私の否定だって同じだ。私がそこで思ったことだけでなく、思わなかったこと、思いたくなかったこと、思わなかったことにしたことも全部、私に含まれるものとして考えなくてはいけない。しかしそう考えて私は思ったんだ。それが私だとして、では私とは何なんだ? この世界は、私という存在よりずっと大きくて広くて意味に満ちている。だが私が見ているこの世界、私が感じているこの世界はすべて私の内側にあり、私は外側を見たすべてを私の内側に取り込む。私の範囲は、私が見れる範囲であり、私が感じられる範囲であり、私が考えられる範囲である。そしてその外側にも無数の情報があり、他者がいて、世界がある。そんな簡単なことすら、疑い続けている。つまり私は……いったい何が言いたいんだ? あぁ、無駄に君の時間を取らせてしまったね。こんな、何の意味もないひとりごとを聞かせてしまって。あぁ、こういうのを私は何度繰り返してきただろう? 君はこう言ってくれるか? 『わかるよ。私もそうだ。今君が考えたことそっくりそのままではないけれど、近いようなことを私もいつも考えている。そして疲れて、そのまま眠ってしまうんだ。とても大事なことを考えていたような気持ちにはなるけど、でも同時に心のどこかで思っているんだ。何の意味もないんだろうなって。それで、「私と同じくらい深く考えている人はあんまりいないんだろうな」なんて考える。でも馬鹿だよね。君も同じように考えているなら、きっと同じように考えている人は私と君だけじゃなくて、もっとたくさんいる。だから私たちは特別じゃないし……うん。だから、共感できる。違う?』って」
「君はなんでもかんでも先取りしようとするね。まるで、そう思われたり言われたりすることがいやで、何が何でも阻止してやろうという、そういう執念さえ感じる」
「早く寝よう。押し入れの戸の隙間から昨日の恐ろしい夢の続きが這い出てくる前に」




