日記25/09/06
やっとこの話から解放された。
解放されたと思っているのに、まだ妙に頭に残る。
やり残したことがあるから? いや、書きたいものは全部書いた。
余計なものも残ってる。でも削る必要もない。
だって、これ自体が余計なものともいえるような気がするから。
まぁ、これは正しい考えではないけれど、いいんだ。
もう疲れたから。このことについては今はもう考えたくない。
本当に疲れた。
わかってる。こんな話は誰も読まない。好まない。人を遠ざけるような話だ。
どう正当化しようとしても、それが本当に正当になることはない。間違っていることなら。
そう。私は間違っている。ずっと。ずっと。それを認めていたかはわからない。もう覚えていない。
今は? わからない。自分がそれを認めているのかどうかすら。どうでもいいと言って逃げているような気もする。あぁ。間違っているからといってどうすればいいんだろうか。今更正しくあることもできないのに。
筆を折ることはできない。なぜ? そういう性分だから。
じゃあ、もっといい話を書けばいいじゃないか。それもできない。そういう性分だから。
私は生涯ずっとこんなつまらないことを続けていくのだろう。
いいじゃないか、それで。
でも、やっぱり疲れたな。疲れているのに、次の話のことを考え始めている自分がいる。
私には書きたいものなんてないけれど、私が書こうとしなければ存在することのない物語を、私は見つけてしまう。見つけてしまったら、もうあとはそれを書くか書かないかという選択に迫られるのみ。
もし私が忙しければ書かないのだけれど、私は忙しくないし、精神的にも余裕があって、しかも書くこと自体が一種の気晴らしになるのだから、最終的には書くことになる。そして汗水たらして書き終えて、うんざりする。しょうもない話だ、と思う。出来の悪い話だ、と。
吐き気を催す話だ、と。
せめて、自分が好きだと思える話が書けたらいいのにな。それさえできないのだから、もうどうしようもない。
私は料理下手な料理好きみたいなものなのだろう。幸運なことは、私が料理人ではないということだろう。うまくならなければならないというプレッシャーにさらされずに済む。
残念なことは、出来上がった料理を自分自身すら楽しく味わうことができないということか。
私の書く物語は、私でさえも読むに堪えないものだ。しかし、自分自身にとって読んでいて楽しい物語を書くというのは実は非常に難しいものなのではないか? そこには自分の知らない知識はなく、自分の知らない展開や心理もない。何の発見もなく、そのうえ面倒な推敲作業のために何度も何度も嫌気がさすほど読み返した話。それを一からまた読み直して、楽しむことができることなんて、ありうるのだろうか。
忘れていれば、できるだろうな。あぁ、でも、私にとって大切な話なら、忘れることなんてできるはずもないし。頭に残って離れない。
不愉快だ。




