パンナコッタが大好物な坊ちゃまだと思ってたんだけど!?
園芸用の農薬や化学薬品等は決して服用しないでください。
※ひだまりのねこ様主催、『つれないメイド企画』参加作品です。
文末にひだまりのねこさまに描いていただいた挿し絵があります。挿し絵不要な方は設定変更をお願いいたします。
午後二時半。
アップに纏め直した頭の上にホワイトブリムをつける。
私の髪はかすかにピンクのプラチナブロンドだから、微妙な色の違いが頭の上で揺れた。
肌はもともと乳白色なのに日焼けしやすくて、顔のほうが暗めに見えるのが実はコンプレックス。
鏡に向かって前、後ろとメイド服の身だしなみチェックをすると、それでも気分は上がってくる。
なぜって、これからカワイイ坊ちゃまのおやつの給仕だもんね!
坊っちゃまって10歳くらいかな、甘えん坊でワガママだけど、お母さんを亡くしたと思えばそれも仕方ないよね?
普段はここ公爵家で庭師をしてる私が坊ちゃまに近づけるのは、このメイド時間だけ。
お屋敷で働く老若男女みんなの中から、「おやつはアキナの仕事」って坊ちゃまのご指名なんだから頑張らなくっちゃ。
とは言っても、バトラーもメイドも旦那様と坊ちゃまの前では笑っちゃダメ、泣いてもダメ、厳格な無表情を求められるの。
私はもう一度鏡を覗き込んで、両手でほっぺをムニムニとマッサージする。
これから1時間、表情筋を固めなきゃなんないんだから。
キッチンに下りると今日のスイーツは、輝くカットグラスの皿に乘るぷるぷるのパンナコッタ、あまじょおうという品種の苺を添えて、だった。
半地下から3階の坊ちゃまの部屋まで、銀のお盆に銀のクロッシュを被せて慎重に運ぶ。
熱くて重いティーポットは執事長が先に運んでくれている。
「遅い!」
部屋に入った途端、坊ちゃまのぶくぅと膨れた顔に迎えられた。
窓際の椅子でソワソワしていたらしい、すぐ前のティーテーブルに上半身を投げ出す。ラベンダー色のくせっ毛がふわりと踊った。
髪の毛の間から口を尖らせて上目遣いを寄越す。
「お待たせいたしました(定刻通りだけど)」
私は冷たく言ってのけた。
「僕の大好きなパンナコッタ、ちゃんと持ってきた?」
「こちらにご用意しております(うわあ、クロッシュの下で崩れてたらどうしよ?)」
震える手で銀のお盆をテーブルの上に置く。
「上にチェリー載ってる?」
坊ちゃまの琥珀色の瞳が期待にキラキラと煌めいた。
「本日のメニューはあまじょおう添えでございます(ひとくち1000円!)」
「苺クリームは? 絞り出した生クリームのふわふわは?」
「カロリーを抑えるため割愛いたしました」
「なんで!!?」
坊ちゃまの目は見開かれて萎んだ。
「今朝、剣技指導を受けられなかった由(女騎士先生を追い返したらしいじゃない)」
質問はいいから、お茶を注いでクロッシュ開けさせてよと思うのに、坊ちゃまは両腕に顎をのせたまま私にしかめっ面をする。
「お気に召さないならこのまま退げさせていただいても構いませんが」
「お気に召すぅ~」
そんなヘンな言葉づかいを誰が教えたのかしらと思いながら、陶器のティーポットの温かさを確かめる。さすが執事長、ちょうど淹れ頃だ。
本人は給仕を私に任せて既に次の仕事に取り掛かっているけれど。
普段の庭作業で腕の筋肉には一応自信があるので、重たいポットを涼しげな顔で持ち上げ、優雅な振りで坊ちゃまの前のカップにそそいだ。
今日はプリンス・オブ・ウェールズ茶。
スモーキーな重めの紅茶の薫りが部屋中に漂い、そこかしこに甘い蘭が花開いたかのよう。
紛れもない、大人の男性の色香だ。
坊ちゃまもいつになったらこの薫りが似合うようになるのだろう?
坊ちゃまはスプーンは手に取らず、ガラスのカット皿を揺らしてパンナコッタのぷるぷるを眺めている。
お腹が空いていないんだろうか?
「ねぇ、何かお話してよ」
能面で話をするのはかなり難しいと坊ちゃまは知らないらしい。
――パンナコッタは大好物、いつもはすぐさま嬉しそうに食べだすのに、今日はいったいどうしたんだろう?
「旦那様がまた床についてしまわれてご心配ですね」
「心配? じゃないよ。言い負かしてやったからママの部屋でうじうじしてるだけ」
坊ちゃまが旦那様を言い負かす?
想像がつかなかった。
「しりとりゲームか何かでしょうか……」
メイドの心得として、疑問文にならないように、会話が弾まないように語尾を濁す。
返ってきた言葉は想定外だった。
「アキナもパパのこと好きなの?」
へ?!
と言いそうになって息ごとのみ込んだ。
赤面してしまったのは隠せない。
「だ、旦那様は!(深呼吸)身寄りのない私をひきとってくださった後見人さまですから大好きです(イケオジだし)」
「がっかり」
がっかりってなんだろう?
もしかして後見人としてではなく、旦那様の後妻の座を狙うほど好きでいてほしいってこと?
私に坊ちゃまの母親代わりになってほしいとか?
坊ちゃまは肘をつき、スプーンの腹でパンナコッタの表面をピタピタ叩いている。今日のお行儀は近年稀にみる最低レベルだ。
もうひとつ気になることがあった。
「私も、とは坊ちゃまも、お父様のことが好きということですよね?」
「え~、パパわがままだよぉ、嫌い!」
「では、坊ちゃまではないとしたら、他にどなたかご令嬢が旦那様を慕われているのですか? ご再婚のご予定でも?」
感情の起伏を見せずに坊ちゃまからゴシップを引き出せるとは思えないけど棒読みで言ってみた。
「やだ、新しいママ要らない」
そこで坊ちゃまはスプーンを握って上から、パンナコッタにずぶっと突き刺した。
「あ、何をなさるんです!!」
とうとう声を上げてしまった。坊ちゃまを叱り飛ばすなんてしちゃいけないことだ。
懸命に無表情を取り戻す。
飽くまで静かに諭す。諭すのがメイド。
「そんなお行儀ではいつまでたっても旦那様の跡は継げません」
「パパが死んだらどうせみんな僕のになるんだ」
「そんなこと仰るものではないです」
「それでもアキナもパパが好きなのっ?!」
は?
何か会話が嚙み合ってない?
困惑したまま黙って、坊ちゃまを見つめていた。
男の子らしく、父親と自分、どちらが人気があるか気になってしまっているのかもしれない。
父親と息子はライバル関係だと聞いたことがある。
ゆっくりと笑顔を作った。
メイド規則に反するけどこれくらいは許されるだろう。
部屋には坊ちゃまと私しかいないのだから。
「ご心配いりません。みんな坊ちゃまのことが大好きですよ?」
「ウソだ」
ボソリとそういうと坊ちゃまは俯いてやっとパンナコッタを食べ始めた。
「僕がどうしてパンナコッタが好きか、誰もわかってくれないじゃないか……」
いや、そんな、好きな理由まで普通わかんないよ、好きだから好きなんじゃないの?
坊ちゃまはパンナコッタのしっとりとした甘さに癒されたのか、一口一口を大切そうに味わって機嫌よく食べ終えた。
スプーンを突き刺した時とは別人のように。
そしてお作法通りに膝にあったナプキンで口を拭うと紅茶を啜った。
部屋の窓から差し込む午後の陽射しが、坊ちゃまの薄紫の髪に照り返して後光のように見える。
「時間となりましたので、お皿のほうだけ退げさせていただきます」
私は頭を下げてティーテーブルに近づく。
紅茶だけ置いていくこともよくあることだった。
「ああ、ご馳走様」
低くてよく聞き取れなかったけれど、坊ちゃまはちゃんと「ごちそうさま」を言ったらしい。
よかった。
私は再度頭を下げて、空っぽのお皿、スプーン、お盆とクロッシュを両手でささげ持ちドアに向かった。
「待て」
ノブに手をかける寸前に声がして、クロッシュがお盆から滑り落ちそうになった。
ーーウソ、ダメ、落としちゃう!! これじゃ、無様なお手玉ぁ~
わたわたとする私に聞き慣れない声。
「あの女狐め、公爵夫人になりたいなどと。それで今朝は追い払ってやったのだ。剣技でもオレには及ばぬくせに、指導者ぶりやがって」
ガッシャーン、カラカラカラカラ~~!
私の手にあったお盆とクロッシュが床でくるくると踊っていた。
カットグラスの皿は離れたところに横たわっている。
割れなくてよかった。
いや、問題はそうじゃなくーーーー
手ぶらのまま、恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、見上げるように背の高い、光り輝く若者だった。
「父に真意を問い質すと、オレの嫁になどとバカげたことを言う。女騎士は父の後妻になりたがってたんだ、冗談じゃない。母を失ってもう7年、あのひともいい加減しゃんとしてくれないと……」
「あ、あの、あなたは……、どなた?」
「プリンス・マクシミリアン・スペンサー・ジェイムズ。王位継承権五位にあたる」
「そ、それは、私の……坊ちゃまのお名前……」
私はようやくそれだけを口にした。
「オレの王位継承権は母方から来ている。そして母は政変に巻き込まれ7年前に暗殺された。父はオレの身を案じて、成長を抑える秘薬ディーナインを服ませやがった。アキナがオレの実年齢を知らずとも仕方ない」
「し、失礼いたしました、こ、ここをすぐさま片付けますのでお許しを!」
私は両膝をついて、パンナコッタにかかっていたカラメルソースが飛び散った床をエプロンで拭いて回った。
「アキナ。いや、プリンセス・ジューリア・リリィ・ド・アキナーレ、そのような姿勢でいると襲いたくなる。立ってくれ」
お、襲い?
だ、誰が、誰を?
プリンセスって?
坊ちゃまだったらしい凛々しい若者が近づいてきて、床にうずくまる私に手を差し伸べた。
――触れてもいいのだろうか?
私は庭師、薔薇の棘のひっかき傷だらけの手をしている。プリンセスだなんてとんでもない。
「記憶は戻らぬか。オレの母の死と同時に、母の即位を推していた従兄のアキナーレ公爵夫妻は殺された。一命をとりとめた一人娘のお前は当家で匿い、姫であることは隠して育てられた」
プリンスらしい人が私の前に身をかがめ、両手で私の両腕を優しく掴む。
「ほら立つぞ?」
左右からぐっと力が入ったと思ったらひょいっと、私はプリンスの目の前に立っていた。
近くで見ると子供服のあちこちが破れ、男の厚い胸の筋肉が覗く。
――あ、倒れる。
頭から血が引いた、と思った瞬間にその胸に頬を圧しつけていた。
抱きしめられている。
「すまん、ショックだったか? オレにとっては全て当たり前で判り切ったことで、お前を好きなこの気持ちも既に通じていると思っていたのだが」
「あ、あの、服が破けて……」
「気になるのは服か? びちばち裂ける音がしてたがお前がお盆ぶちまけてかき消されたな」
ラベンダー色に縁どられた白い精悍な顔が人懐っこそうに笑う。でも私には、近くで直視するには眩し過ぎた。
俯くと、プリンスは貧血でも起こしたのかと顔を覗き込んできて、ふわっと横抱きでソファへ。
あろうことか、膝の上に座らされてしまった。
ーー近い、近い、近すぎるぅ~
そのうえ!
何のためらいもなく、断りもなく!
私の頭の天辺のホワイトブリムを外し、折角のアップも解いてしまって髪の間に指を這わせた。
「ストロベリークリームのような髪、チェリーのような唇、パンナコッタ色の頬、触りたくて仕方がなかった……子どもの身体に押し込められてお前に恋焦がれていた……。オレは、片想いなのか?」
「あ、あなたは、本当に、坊ちゃまなの?」
「さっきは、『私の坊ちゃま』と呼んでくれなかったか?」
もう私は苺を添えたパンナコッタじゃなく、ストロベリー入りパンナコッタ色。
「ど、どうして急に、プリンスになったの?」
「紅茶だ。あれが秘薬の解毒剤。今朝、女騎士の下心が読めて追い出し、父と掛け合って政情不安ももう心配ないだろうと抗議した。現王には立派な世継ぎもでき、オレを担いで政変を起こそうという輩はいやしない」
「プリンス・オブ・ウェールズ茶?」
「そうだ。皇太子って意味だろ? 一人前だってこと」
目の前の喉仏から響く男の太い声に、つい坊ちゃまの可愛らしい声の余韻を探したくなる。
「あのバカ親父、オレのおやつに定期的にディーナイン錠を仕込ませたと白状した。いつまで子どもでいさせるんだと詰め寄ったら、何と言ったと思う? 『だって声がアメリアに似てるんだもん!』だとさ。もんだぞ、もん! いくら何でももう付き合いきれん」
「アメリア様が坊ちゃまのお母さまのお名前……」
「そうだ。生前何度か会ってるはずだが、思い出せなくてもいい。だが、母はお前が生まれた時からオレの婚約者にと望んでいた。OKしてくれないと親不孝者になっちまう」
私は頭がごちゃごちゃでまだ答えられなかった。
「アキナーレ家の再興はちょっと難しい。だが、ここで、この家でオレが幸せにするから、頷いてくれないか?」
質問を繰り返しながら、断られるとは思って無さそうなプリンスが小憎らしい。
プリンスとは言いがたい言葉遣いだし。
でもそれも『私の坊ちゃま』らしいと言えばらしいかな。
でもこのままではプリンスの思い通りに事が運び過ぎだ!
「知らない!」
男の膝の上から飛び降りて、部屋の外に出ようとドアノブを手にしたら、プリンスは大股で追いつき両腕で左右から私を囲い込んだ。
「返事しないで逃げられると思うな」
――な、何この、強気~
「お、お願い、ゆっくりして。ゆっくりあなたに慣れさせて?」
ドアに向かって俯いておずおずと声にすると、肩越しに見えたプリンスの顔は輝きを増して微笑んだ。
「アキナの心はオレがもう射止めてると自信がもてれば?」
先ほど、このひとにスプーンで弄ばれていたパンナコッタが目に浮かぶ。
ディーナイン錠を探していたのか、パンナコッタを私に見立てて求愛していたのか……。
コクリと頷くと額にキスが降ってきた。
私は固まって、呆けた顔でプリンスを見上げた。
「こら、もうメイドじゃないんだから無表情に戻るな。笑顔付きのオレだけのメイドなら続けてくれて構わんが。庭師だって、お前の気持ちが落ち着くなら花に囲まれていたらいい。だが前提条件は、オレの婚約者だということだ」
親指で頬を撫でられた。
「笑って、くれないか?」
「は、……い」
プリンスの琥珀色の瞳に吸い付けられて、私は微笑み返すことができたのだろう。
次の瞬間何が起こるか悟ってしまって、私はそっと目を閉じた。
ー了ー
by ひだまりのねこさま