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少しずつ縮まる距離

「契約結婚!?」

「ええ」


 カーティスお兄様が、思わず口に運ぼうとしたティーカップを落としそうになり慌てて両手で持ち直している。


 春の訪れを感じさせる暖かい日差しの中、感動の別れをしたはずの兄妹は、なぜかフロックハート家の中庭でティータイムをしている。結婚式から一週間しか経っていなかった。


「また、なんでそんなことになってるの?」

「それより、カーティスお兄様。妹が嫁いでから一週間しか経ってないのに、その嫁ぎ先に間を置かず訪ねて来るなんて失礼よ。それに声が大きいのよ」


 優雅に最近お気に入りのハーブティーの香りを堪能しながら、じろりとカーティスお兄様を睨む。お兄様は呆れながらも、大っぴらに話すことではないと考えたのか、顔を寄せて小声で話し始める。


「フロックハート家の当主の許可は取ってあるさ。そこまで私も無礼ではないよ。それに、あんなに結婚式後は寂しそうにして可愛かったのに、何その変わりようは!?」

「なんのことでしょう? それより頼んだものは持ってきてくれてるんですか?」

「まったく……」


 私が手を差し出すと、しぶしぶカーティスお兄様がトランクから本を三冊取り出し両手のひらに乗せてくれる。受け取るとはやる気持ちを抑えられずパラパラと本をめくり内容を確認する。


「間違いないわ。アールステット国で流行っている『騎士物語』だわ。わざわざありがとう、カーティスお兄様。送ってくれても良かったのに」

「現金だねえ。こっちはリネットと会う口実のために、必死に他国の恋愛小説を取り寄せたのに。それでさっきの契約結婚とはなんだい?」

「うん。うん。ありがとう……」


 カーティスお兄様の話を聞き流しながら、夢中で本を読み進めていると、さっと本が手から消えていく。

カーティスお兄様は不機嫌なしわを眉間につくり、本を奪われて口を尖らせる私に呆れたようにため息をつく。奪われた本はぱたりと閉じて机の上に置かれた。


「本はいつでも読める。それで、お兄様にきちんと説明しなさい」


 カーティスお兄様が訪ねてきて開口一番、結婚生活はどうだいと聞かれたから契約結婚になったと答えただけなのに…。

 手を伸ばして本を奪おうとしたら、持ってきたトランクに仕舞われてしまった。きちんと詳細を話すまでは渡さないつもりのようだ。


 まあ、カーティスお兄様には今後色々と協力してもらうつもりだったので初夜での出来事を、アンリ様の心象が悪くならないようにかいつまんで話した。


 話し終えると呆れを通り越して、呆然と頭を抱えていた。


「怒ります?」

「……、いや、荒唐無稽すぎて怒るまで理解が追いつかないよ。百歩譲って契約結婚はいいとしよう。リネットが割りきって心穏やかに暮らせるならいい。いや本当はよくない」

「混乱してますね」

「誰のせいだと思ってるんだ。それより離縁した後は、どうするつもりなんだい?」

「とりあえず慰謝料はもらう予定なので、それでなんとかします」

「慰謝料だけで女性が暮らしていけるとは思わないけれどね。それに父さんが許さないと思うよ。怒って、とんでもない人と再婚させられるかもしれないよ」

「そこはカーティスお兄様にお願いしようかと」

「嫌な予感はするが聞こう」

「離縁後に住む家と仕事を斡旋してほしいのです。ついでにその時までに家督をついで、私の再婚うんぬんをお父様に権限を与えないようにしてもらえると嬉しいです」


 私の最後のお願いで、カーティスお兄様はとうとう机の上に突っ伏してしまった。しばらくうんうんと唸って考えていたが、私が一度決めたらてこでも動かないのはわかっているのか説得するのを諦めたのか、むくりと起き上がる。


「まあ、私が家督を継ぐ話は置いといて、善処はしようじゃないか」

「あら、素直ですね」

「……リネットは両家の都合で犠牲になったからね。君がそれで幸せなら協力しよう。でも他にも幸せになる選択肢は沢山あることを忘れてはいけないよ。離縁しないように、夫婦仲が良くなることを私は願っている。事情があるにせよ、これほどの厚待遇の家との縁談はもうないと思った方がいい」

「それは……、はい、わかっています」


 最後はカーティスお兄様には珍しく、ひどく神妙に改まった声で諭された。

 それは私がよくわかっている。貴族という以外、取り柄のない平凡な私が、社交界の華のような男性と結婚できたのは奇跡に近い。このまま婚姻のみを継続しても良いのだろうが、彼と改まって話をしてみて未来ある彼の人生の足枷になるのは嫌だと思ったのだ。私は彼の隣に……


「リネットは色々、考えすぎるんだよ」


 思考を遮られるように、ポンと頭に手を乗せられて、優しく撫でられる。


「なにも言ってませんが……」

「自分の気持ちに正直になるのも、たまにはいいと思うよ」

「カーティスお兄様のように、正直すぎるもいかがと思います。エリオットお兄様がこの間、手紙をくれてカーティスお兄様が……」

「おおっと、そろそろ時間じゃないか!? じゃあ、また来るからね!」


 私がカーティスお兄様の腕を振り払おうとしたところで、カーティスお兄様に仕返しのように髪の毛をグシャグシャに撫でられる。懐中時計を確認しながら、トランクの中から本を取り出しテーブルに置き、颯爽と帰っていった。

 

「もう、本当に嵐のような人なんだから」


 手櫛で髪を整えていると、中庭にパウンドケーキを持ったマーサとなぜか一緒にアンリ様が現れた。


「アンリ様?」


 私がなぜここに? と首を傾げると気まずそうに中庭へきょろきょろと視線を漂わせている。誰かを探しているようだった。


「あ…、いや、カーティス様がいらっしゃっていると聞いたので、ご挨拶にうかがいました。少しお話ししたいこともありまして」

「ええ、先程までいたのですが、もう帰ってしまいました。何かご用がありましたか? 今ならまだ……」


 立ち上がろうとしたところを、片手で制される。


「あ、いや、大したことではないので大丈夫です」


 歯切れの悪い返答に業を煮やしたマーサが、パウンドケーキを机の上に置き、バシッとアンリ様の背中を勢いよく強めに叩く。


「ぐっ、ゴホッ、何するんだ! マーサ!」

「リネット様、お坊っちゃまはお義兄様方に謝罪したいそうなのです。まったく、怒られたらどうしようかとかウジウジと情けないんですから」

「マーサ! お坊っちゃまと言うな、もういくつだと思っている!」

「マーサはお坊っちゃまが何歳になろうとも呼び続けます!」

「やめろ!」

 

 アンリ様とマーサがギャンギャンと言い争う姿に戸惑ってしまう。アンリ様が、泥酔したときもそうだったがフロックハート家の人は、地位に固執することなく献身的に仕える者達を尊重しそれに見合った付き合いをしている。乳母だったマーサは家族同然なのだろう。

 ドレイク家で働くものは常に一歩引いているというか厳格な上下関係があったのだ。お父様が平民出だからコンプレックスのせいか余計に厳しかったのよね。しかし私に対しては侍女の子供ということもあり、貴族位を持つ家の出身者の侍女からは、少し蔑みすら感じたこともあったが。

 昔の苦い記憶が甦り、少しフロックハート家が羨ましく思えた。


 二人のやり取りをぼんやり見つめていると、アンリ様が私の存在を思いだし、恥ずかしそうに頬を掻く。


「ま、マーサ、ほら、リネット嬢が驚いているじゃないか」

「あら、まあ、すみません。ほら、お坊っちゃまもお座りになって、せっかく用意させた自慢のパウンドケーキが無駄になってしまいますよ。リネット様といただいてはどうですか?」


 アンリ様がマーサに脇腹をつつかれ、私の目の前の席へとおずおずと腰を下ろす。


「私達、兄妹のために用意してくれたのですか?」

「ええ、急遽用意したので大したものではないんですが、カーティス様に結婚式での非礼を謝罪させていただこうと思ったのです」

「謝罪は私が受けましたから、気にしないでください」

「そんなわけにはいきません。いずれお義兄方には一人ずつ謝罪させていただきます」


 アンリ様は堅苦しく頭を丁寧に下げてくれる。

 うーん、正直、カーティスお兄様に契約結婚のことを今後のために喋ってしまったし、できれば穏便に済ませるためにお兄様達とは顔を合わせないほうがありがたいのだが……


 私が困っていることを察知し、マーサが雰囲気を変えてくれる。


「お坊っちゃまったら、そんな難しい顔をして。家族になったのですから、いずれお会いできますよ。謝罪謝罪って夫婦になったのですから、他にも話すことがあるでしょう?」


 マーサはアンリ様をたしなめると、お茶を煎れ直してくれ、パウンドケーキを切り分け机へと並べている。食器を並べるのに邪魔だったのか、机の上に置いてある小説をマーサが手に取る。


「あら、この本は外国語なんですね。汚さないようにお預かりしてもよろしいですか?」

「ええ、お願いします」


 さすがにアンリ様の前で読書するわけにもいかないので、マーサへと渡す。

 アンリ様の視線が本へと向けられる。


「そ、それはっ!!きっ……」


 アンリ様は慌てて椅子から勢い良く立ち上がり、食い入るように本の表紙を見ている。

 私とマーサの驚きに、我に返ったのか咳払いしながら椅子に座り直している。しかし、視線は『騎士物語』を追っている。

 

「あ、いや、なんでもないんです」


 表情は、明らかになんでもないことを物語っている。


「興味おありですか? 騎士物語」

「興味というか、アールステット国でも手に入りづらいほど人気と聞いたので」


 確かに人気だが、この国では出回っている小説ではないため、一部の人しか知らないはずなのだが。


「まあまあ、そんなに貴重なものなんですか? 私は本には疎くて」

「他国の本だから手に入りにくいだけよ」


 マーサがパラパラと本をめくると、アンリ様がハラハラと見つめている。


「ああそういえば、お坊っちゃまも昔はよく、このような本を読まれていましたよね」


 マーサの言葉にギクリと肩を震わせる。


「マーサなにを言っている。女子供が読むような恋愛小説など……」


『騎士物語』が恋愛小説ってわかっているんだ。女子供が…、なんて恥ずかしがらなくてもいいのに。

 アンリ様は言葉とは裏腹に、マーサの手の内にある小説に未だ熱視線を送っている。

 ここまであからさまだと私でも気づく。アンリ様は隠しているようだが『騎士物語』というか、恋愛小説に興味がおおありのようだ。

 ドレイク家の兄達を見るに、恋愛小説は男の読み物ではないという風潮があるから、興味があると言いづらいのだろう。


 マーサを見上げると、なにか勘違いをして心得たとばかりに頷いて、とんでもないことを提案してきた。


「そういえば、リネット様は嫁入り道具として沢山の本を持ってきましたよね?」

「えっ…、ええ、そうね。恋愛小説を集めるのが趣味で……」

「そうなのですか!?」


 心なしかアンリ様の瞳が期待で光るのを確認したマーサが畳み掛けてくる。


「お坊っちゃま、リネット様の本の数は凄いんですよ。お部屋の壁を一面書棚にして本で埋め尽くされているんですよ。見せていただいたらいかがですか?」

「へっ?」

「いや、しかし、淑女の部屋に入るなど……」

「なにを言ってるんですか? 夫婦ですよ? 寝室を共にしているのに恥ずかしがる必要がどこにありますか?」

「そ、それはそうだが……」


 アンリ様は伺うように私を見てくる。契約結婚はフロックハート家には秘密のため、無下に断れないのだろう。

 マーサは、私達と間近で接しているため、夫婦としてのぎこちなさや初夜を迎えていないことに勘づいているようで、ここ一週間なにかと仲を取り持とうと心を砕いてくるのだ。

 もしかしたらお義父様も気づいていて、マーサにお願いをしているのかもしれない。たまに食事など共にするときに心配するような、そぶりを見せるのだ。

 マーサの言う通り、断ること事態おかしい状況と言うことだ。


「アンリ様よろしかったら、私のコレクションを見にこられますか?」

「い、いや、やはり……」


 アンリ様は、やはり気まずさが勝つのか断りを入れようとしてきたが、マーサがそれを遮る。


「さあさあ、善は急げですよ。リネット様のお部屋にお茶の準備を致しますからね」


 アンリ様の性格を熟知しているマーサは煮え切らない態度のアンリ様を追いたてるように無理矢理立たせる。さっさと茶器を片付けると、ずんずんと屋敷へ向かってしまう。

 私とアンリ様が中庭にポツンと取り残される。


「……申し訳ありません。マーサの無礼を許してやってください」

「いえ、気にしないでください。それに、謝罪はもう結構です」


 なんだか、私達は結婚してから謝罪してばかりの夫婦だ。アンリ様も思い当たったのか、恥ずかしそうに照れ笑いをしている。


 スッと目の前に手が差しのべられる。


「リネット嬢の蔵書を見させていただいてもいいですか?」

「は…、はい。是非……」


 私はアンリ様の手のひらに、初めて自分の手を重ねるのだった。





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