前途多難な幕開け
この国の貴族の婚礼は、三日三晩盛大に行われることが通例だ。結婚式前も婚約披露パーティーから始まり、挙式、披露宴と貴族としての格が上であればあるほどその規模も日数も、比例して立派なものになっていく。結婚式費用や出席者の顔ぶれ、貴族の家と家との見栄の張り合いになるのだ。きっと王女殿下と公爵家嫡男の結婚式は国をあげてのそれはそれは盛大なものになるだろう。
フロックハート家とドレイク家の結婚式は、事情が事情なだけにはっきりいうとあっという間に終わった。
侯爵家と伯爵家、かなり裕福な貴族なのだが王家の手前、盛大に行うことができなかったのだろう。
出席者もフロックハート家は母親はすでに亡くなっているようで新郎の父親と長男カイン様、ドレイク家は父親と三人の兄達だけという質素なものだった。二家族とも男所帯で新婦を気遣ってくれるものは、フロックハート家の乳母勤めたという女性だけだった。結婚式後も披露宴もなくフロックハート家邸宅にて、ささやかな食事会が家族だけで開かれただけだった。食事は豪華だがお祝いの席とは言い難い微妙な空気が流れていた。
両家の父親はお互いの利害が一致しているため和やかな雰囲気で会話が弾んでいる。フロックハート家の当主は穏やかな優しい人のようで、商人気質の豪快なリネットの父親の話に合わせてくれているようだ。
しかし新郎新婦の兄達はむっつりと黙り込み、場を和ませようとすらする気もないようだった。こういう場では率先して盛り上げてくれるカーティスお兄様も眉間に皺を寄せて、お酒を煽るばかりだ。カイン様は申し訳無さそうに終始、萎縮しており一言二言話題を投げかけるが、神経質な三男エリオットお兄様に敵意むき出しで一蹴されるだけで終わってしまっていた。次男のルイお兄様にいたっては、この婚姻の原因をつくったことで罪悪感に苛まれ青白い顔でただただ座っているだけであった。
頼みの綱のカーティスお兄様に場を何とかしろと目配せしても見て見ぬふりをされてしまう始末でどうしようもなかった。
しかし、場の雰囲気を一番悪くしているのは上座に座っているだけの新郎新婦だろう。結婚式から一度も会話を交わすことも視線が交わることもなく言われるまま祝いの席は進行していっている。
チラリと隣の新郎アンリ様を盗み見るが彫刻のような整った横顔も、私よりも大きな潤んだ瞳は今は人形のように色を失くし無表情でこちらを見てくれることすらない。花嫁より美しい新郎ってどういうことだろうか? カーティスお兄様だけが私のウェディングドレス姿を可愛らしいと褒め称えてくれたが、身内で女性なら誰にでも甘い言葉を吐き出せる人なだけに信用できない。
挙式のときの誓いの口づけも頬か額に触れるだけでもあるだろうと思っていたが、現実は仕草だけで実際に触れることはなかった。これにはさすがに政略結婚とはいえ落ち込んでしまった。
この婚姻を拒否されているのだろうか。当たり前か…、アンリ様は愛する人と引き離されたばかりだ。受け入れられるとは思っていなかったが、ここまであからさまに拒否されると覚悟が揺らぎ、自分から話しかけるなど到底できそうにもなかった。
そこまで盛り上がることもなく、宴は早々にお開きとなり問題の初夜を迎えることなった。
「さあ、準備が整いましたよ。とてもお美しいですわ。リネット様」
「そうかしら…」
視線を鏡に向けると緊張で表情の強張った顔色の悪い、婚礼の衣装から初夜を迎えるための夜着に着替えた令嬢が映っている。ふうっと息をついて、出入り口とは別の固く閉ざされた扉を見やる。あの扉は、夫婦の寝室に繋がっている。夫の部屋には専用の寝室があるようだが、妻には専用の寝室はないようで初夜を逃げることはできない。きっと嫌われているから、あの二人の寝室にアンリ様が訪れることはないだろう。そう言い聞かせているのに、昼のアンリ様の様子を思い出すと怖くて仕方なかった。
宴の終わり家族の見送りの際、兄達に優しくされてしまい、政略結婚なんだからと割りきっていた心がすっかり折れてしまっていた。
急に決まった結婚式のためドレイク家の面々は、フロックハート領に滞在することなく帰ることとなっていた。お父様は張り切りすぎてお酒をしこたま飲み潰れてしまい馬車へと押し込まれ、兄妹だけでのお別れとなった。アンリ様は体調が悪いと見送りを辞退された。
フロックハート家の大きな邸宅の玄関前、夕焼けに染まる空が物悲しくて、これからここでの生活を想像させ不安を煽るようだった。
「まったく、夫が妻の家族の見送りに来ないなんてどういうことですか?」
式の間中、終始憤慨していたエリオットお兄様が吼える。
「まあまあ、いいじゃないか。最後はこうして家族だけで過ごせるんだから。フロックハート家の当主が代わりに見送ろうとしたのを断ったのは私達だからね」
「俺が、何も考えなしにリネットのことをカインに喋らなければこんなことには…、」
「お前達、今日はリネットの結婚式だよ。私も思うことはあるが、最後は笑顔でお祝いを言おうじゃないか」
カーティスお兄様がルイお兄様とエリオットお兄様をたしなめると、私へと視線を戻す。エリオットお兄様は今日の自分の態度を反省したのか罰が悪そうに顔を反らし、ルイお兄様は相変わらず青白い顔で申し訳なさそうにしている。
「リネット」
「はい…」
「結婚おめでとう。今日はとても綺麗だったよ」
「……、はい」
カーティスお兄様が背を屈めて視線を合わせ頭を撫でてくれる。二人の兄達も渋々ながらカーティスお兄様にならって祝辞をくれる。私は胸が熱くなり言葉が返せず、少し心細くなりそっとカーティスお兄様の服の裾を強く握りしめてしまう。
ルイお兄様とエリオットお兄様が、私の弱気な姿を初めて見て慌てはじめる。
「り、リネット泣いているんですか!?」
「カーティス兄さん、やっぱり結婚は無効にしよう!リネットを連れて帰ろう!」
「ルイ兄さん、たまにはいいこと言いますね!?」
「お前達はうるさいねえ。もう教会に婚姻届けを出してしまったのだから無理だよ」
「それはそうだが…」
カーティスお兄様は、私を優しく抱き締めてなだめるように背中をさすってくれる。
「リネット、寂しくなったらいつでも帰っておいで」
貴族なんだから覚悟を決めろと背中を押されると思っていただけにカーティスお兄様の意外な言葉に、涙が一筋こぼれてしまう。他の兄達に見えないように、そっと私の顔を胸に押し当ててくれる。
「手紙をくれたらいつでも迎えに行くし、リネットが帰ってくる場所があることを忘れてはいけないよ」
いつも真面目に話を聞いてくれないカーティスお兄様の真剣な声音に更に涙が溢れそうになり、慌ててカーティスお兄様の体を押し突っぱねる。
「まるで結婚生活が上手くいかないように言わないでください」
「そうか…」
「もう覚悟はできてます」
「そうだったね」
カーティスお兄様は少し寂しそうに微笑んで体を離してくれる。
「もう大丈夫だね?」
「はい!」
最終確認のように問われ強めの口調で返事を返すが、本心を見透かされるようでどうしてもカーティスお兄様の目を見ることはできなかった。
カーティスお兄様がリネットを連れて帰ると騒ぎ駄々をこねる兄達二人を馬車に押し込み、二人きりになると額にそっと口づけしてくれる。
「愛してるよ、リネット。離れていても君の幸せを願っている」
その言葉を最後に家族を乗せた馬車は走り去っていく。馬車が見えなくなると決壊が壊れるように涙が溢れ止まらなくなった。
ドレイク家では家族みんなで過ごすことなんてなかったから、結婚して形だけの夫婦でも大丈夫だ、やっていけると思っていた。生活はなにも変わらないはずだった。それなのに今はお父様やお兄様達と離れることが寂しくて心細くて仕方なかった。
「…ト様、リネット様?」
「ごめんなさい。大丈夫です」
侍女の心配そうな表情を伺う様子に意識が戻り、覚悟を決め、椅子から立ち上がる。結婚式から付き従ってくれているアンリ様の乳母だったマーサがガウンをかけてくれる。落ちつかせるように肩を数度優しくさすってくれると、早々に部屋を辞していった。マーサは結婚式後より、リネット専属の侍女となり後々、生まれるであろう子供達の教育も請け負ってくれるという。
心もとない初夜の夜着にガウンがあるだけで、寂しい胸元も隠れ心強くなれた。
決意表明のようにフンッと鼻をならし勢いで扉を開ける。
寝室内は、薄暗く香が焚いてあるのかとてもいい香りがした。ベッドの脇にある小さなテーブルの上の蝋燭だけがほんのりと室内を照らしている。祝いのためかこの土地名産だという果実酒も置かれていた。
そして問題は部屋の中央を占拠している天蓋のついた立派な寝台だ。
純白の寝具は眩いほどで、二つ用意されている枕の気まずさに咳払いをし、誤魔化すようにベッドの足下のほうへ視線をやると、のっそりと黒い影が鎮座していた。薄暗くて気づかなかったが、リネットの部屋の扉側に背を向けてベッドの端に座っているのはアンリ様だった。すんでのところで悲鳴を押し殺し、驚きを隠せずまじまじとアンリ様の背中を見つめてしまう。アンリ様は私が入ってきたことに気づいているだろうが、こちらにチラリとも視線を向けようとしない。
正直、驚いていた。
二人の寝室にすら来ないと思っていたため、どう反応していいかわからず、ただ立ちすくむことしかできなかった。
しかし、自分の寝室はここしかない。戻るにも戻れず同じ様にアンリ様に背を向けてベッドへと腰をかけた。ベッドのスプリングが思いの外ギシリと大きくきしみ、二人とも驚いてビクッと震えてしまう。
ただただ無言で時が過ぎていく。私達は我慢比べでもしているのだろうか?
いつまでこうしていればいいのかわからず、手持ち無沙汰で目の前にある果実酒をグラスに注ぎ、ぐいっと一杯飲む。お酒なんて飲みなれていないため、少しの量で思考がボーッとし気が大きくなるのを感じる。これならいけるかもと、もう一杯果実酒を飲みほし自分を奮い起たせる。
どうせ嫌われているなら、もうどうにでもなれという気持ちが強かった。
「ア、アンリ様!」
背を向けるアンリ様に、勢いよく振り返り大声で呼びかけると、アンリ様の体が傾き胸を押さえながらベッドへと仰向けに倒れた。
「へっ…?」
「り、リネ…、リネット嬢」
聞こえてきた声はか細く、一言私の名前を言うだけで途切れ、途切れで息も荒い。
一目で体調が悪いのは明らかだった。
「アンリ様! アンリ様! 胸ですか? 胸が苦しいんですかっ! …んっ?」
急いでアンリ様に駆け寄ると、こんっとワイン瓶が足にあたる。床に数本のワイン瓶が転がりアンリ様の周囲に強いアルコール臭が漂っていた。
こ、こいつお酒を飲んでいる?
しかも空瓶の本数からすると相当な量だ。
「うっ、お酒臭い」
「リネット嬢…、お、俺」
アンリ様がぎゅっと眉根を寄せ、大きな瞳を潤ませながら目を開ける。胸に置いた両手に、力が込められた。苦しそうに絞りだされる美声と赤ら顔で火照った頬がなんとも扇情的で、なんだかいけないものを見てしまったようで近づくのを躊躇ってしまう。
「すみません、俺…、」
その今にも事切れそうな声で我に返り、アンリ様を急いで抱きかかえる。
「大丈夫ですか!? アンリ様!」
アンリ様の体を揺さぶると、ガバッと急に起き上がり口元を両手で押さえる。アンリ様の顔色が赤から青紫へと変色していく。
そして天使のような愛らしい見た目で、とんでもないことを言い出した。
「……、吐きそうです」
「──は? ちょっと、ちょっと待って! 待って! アンリ様、ここでは駄目です。我慢してください!」
「もう無理……、うっ……」
「い、い、いやーーー!!!」
その後の事は想像にお任せするが、私達の夫婦生活は前途多難な幕開けとなった。




