死亡保険
エックス保険という保険会社が新しい死亡保険を提案した。それは、被保険者が死亡した時にお金が支払われるような普通のものではない。被保険者が予期せず死亡した時のために、自分の記憶を持ったロボットをストックしておくというものだ。
この保険に加入するとまず、本人を計測して得られたデータをもとに作られた精巧なロボットが送られてくる。技術の粋を集めて開発されたそのロボットのクオリティはとても高く、感情表現も人間と同レベルで可能なため、普通に生活するだけであれば、他の人にロボットであると気づかれることはまず無いと言ってよかった。
そしてこのロボットと一緒に、コードがついたバイクのヘルメットのような物と指輪状の装置が送られてくる。ヘルメットのようなものはその人の記憶をロボットにコピーするための装置で、これを被ってロボットにコードを繋ぐと、自分の記憶がロボットに転送されるという仕組みだ。初回はしばらく時間がかかるが、それさえ済めば以降の更新は二、三分で終わる。指輪状の装置はその人の脈拍や脳波を測定するもので、一定時間脈拍と脳波が検出されなければ被保険者が死亡したと判断される。
普段の作業は一日一回記憶をアップロードするだけで、このロボットを使うことはない。このロボットに電源が入るのは、被保険者が死亡した時だ。指輪状の装置の情報から被保険者の死亡が確認されると、自動的にロボットに電源が入るのである。
ロボットに電源が入れられるとまず、エックス保険から被保険者の周囲の人に、被保険者が死亡したこと、代わりにロボットが一週間活動することが連絡される。保険加入の契約時に、あらかじめこうした連絡が必要な人のリストを被保険者から受け取っているのだ。
そしてこの連絡を受けた人は、引き継ぎや確認の必要のある事項をロボットからこっそりと聞き出すこととなる。なぜこっそりと行う必要があるかというと、ロボットは自分がロボットであることも、すでに死んでいることも知らないからだ。仮に周囲の人から、なんで生きているんだ? などと言われたりすると、ロボットはフリーズして活動を停止してしまう。
そして電源が入ってからちょうど一週間経つと、ロボットは自動的に電源が落ち、故人との本当のお別れとなる。
この保険の登場で、遺産相続や仕事の引き継ぎの問題など、予期せぬ当事者の死亡によって生じる混乱は少なくなった。またそのようなことだけでなく、何か言わなきゃいけないことがあるんじゃない? などとかまをかけると、本人に隠すつもりがなくても、なんとなく黙っていたことなんかが一つや二つは出てくるものである。そんなやり取りを通すことで、送り出す側としても、よりすっきりとした気持ちで故人を送ることができるようになった。
このように新しい形の死亡保険はその実利性が認められ、徐々に世の中に受け入れられていった。
そして今日エックス保険に一本の電話がかかってきた。それは、死亡して一週間経っても夫のロボットの電源が落ちない、という内容だった。めったにないトラブルのため、エックス保険は担当者を翌日電話主の自宅に向かわせることにした。
明くる日の午後三時ごろ、エックス保険の新人と中堅の二人組が依頼主の自宅に到着していた。
「こんにちは、エックス保険の者ですが」
新人がインターホンを押し、努めて明るくそう挨拶するとすぐに女性の声で返事が聞こえた。
「ああ。どうぞお上がりください」
その声には張りが無く、それを聞くだけで憔悴していることがわかった。そして実際に、ドアを開けて現れた女性は目に力が無く、顔色も悪く、疲弊しきっていた。
女性の案内で居間に通された二人は、形式的に振る舞われたお茶を一口すすった。そして中堅が口を開こうとしたちょうどその時、それよりわずかに早く女性が切り出した。
「今主人のロボットは会社に行っています。本当だったら一昨日の夜で電源が落ちるはずなのに。昨日の朝起きた時、目の前の光景が信じられませんでした。会社の方にも私から電話で説明はしたのですが、みなさん戸惑っているに違いありません。どうすればよいのでしょうか」
女性は涙ぐみながらそう訴えた。それに対して中堅は、型通りの返事をする。
「この度はご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。結論から申し上げますと、自然と電源が落ちるのを待っていただくしかございません」
「そうなんですか?」
悲嘆と驚嘆がこもった女性の声に対して、新人が説明を始めた。
「ロボットの電源を人為的に落とすとなると、倫理的な問題が生じてしまってですね。以前似たようなケースで電源を落としたら、当社への批判はそれは大変なものでして。いくらロボットと言えど、人格も記憶もありますからね。それ以来、このような際には自然と電源が落ちるのを待つことにしているんです。ご理解いただけますでしょうか」
「それは、そうかもしれませんが」
「それに、恐れ入りますが保険加入の際に同意いただきました契約書にも、このような事態になった時のことについて記載がございます。こちらですね」
そう言って新人は自身のカバンから書類を取り出した。それは女性の夫が保険に加入した時の契約書のコピーだった。新人は何枚かそれをめくると、その中の一部を指し示した。そこには確かに、一週間経っても電源が落ちなかった場合でも、人為的に電源を落とすことはできない、という旨の一文があった。
それを見て諦めがついたのだろうか、女性は肩を落としこう口を開いた。
「わかりました。それではいつ頃電源が落ちるでしょうか。せめてそれくらいは教えてください。段々主人が死んでしまったことの方が嘘のように思えてきて。もう耐えられないんです」
「それも何とも言えませんね……。何せこのような事態が生じたこと自体がとても少なくてですね。気長に待っていただくしか……」
中堅が言いにくそうにそう伝えると、女性はうつむいてプルプルと肩を震わせ始めた。中堅と新人は息を合わせて頭を下げる。
「申し訳ございません」
しばらくの間、女性の嗚咽だけが家の中に響いた。そして感情を吐き出して少しは落ち着きを取り戻したのか、女性は顔を上げると、流れ落ちる涙に構うことなく二人にこう伝えた。
「もう、いいです。お引き取りください」
「それではこれで失礼します。この度は誠に申し訳ございませんでした」
椅子から立ち上がれないでいる女性に一礼をして、二人はその場を後にした。
会社へ戻る道すがら、二人は先ほどの一件について話していた。
「しかし、わが社のロボットは本当によくできていますね」
「ああ、言われないと気づかないよな。あの奥さんがロボットだなんて」
「でも偶然って恐ろしいですね。電源が落ちないなんてそう滅多にあることではないのに、同じ家で二回も起きるなんて」
「ああ、開発部に文句を言っておこう。ロボット相手に頭を下げるなんて勘弁してほしいからな」