第二十九話:嫌いな相手
崩れ落ちたツムギの背後では、喧嘩は収まっていた。
それぞれに散らかった室内の片付けを始めている。
彼の放った怒気が原因だ。
それは、恐れをなした、というのではなく、場が白けてしまった、という空気だった。
彼らのどれだけがそうなのかは分からないが、本気であれば、ツムギの尋常ならざる覇気を前にしても戦意を保てるのだろう。
少なくとも、神の代理人であるアリアや第五位階という最高位の天使などは、臆する事はないとルセリは見る。
だが、それはあくまで命を賭した殺し合いの場であれば、だ。
じゃれ合いの様なお祭り騒ぎでまで、そうする必要はない。
だから、彼らは矛を収めた。
端的に言えば、飽きたのだ。
「……何をしている。さっさと来たまえ」
低い声が届いて、ルセリは遅まきながらに気付いた。
騒ぎを一切気に留めず、ヴェレルが奥へと続く扉の前にいた。
(……あれはあれで、マイペースね)
常識人の様ではあるが、それも行き過ぎれば変人である。
あまりにも周囲を気にしない様子は、冷徹な観察者の様であると彼女は感じた。
ルセリは、小走りでヴェレルの後を追う。
「……あの小僧は、よほど貴様にご執心のようだな」
「……、そうなのかしら?
想われている、っていうのは分かるんだけど」
一瞬、ルセリは、自分に話しかけられているとは気付かず、僅かな間を空けてから答える。
彼からの恋慕は分かる。
気持ちよいほどにストレートだ。
思わず、身を任せたくなる程に。
だが、恋愛というものから距離のあった自分の立場や時代背景として、あれが一般的なのかどうかがいまいち分からない。
首を傾げる彼女に、ヴェレルは続けて言う。
「そうとも。
あの小娘を、あれ程に打擲する事は今までにない。
あれを毛嫌いしていようとな」
「……ふぅん。
あの子って、ツムギとどういう関係なのかしら?」
「気になるか?」
「いえ、実はあんまり」
「ならば、答えよう」
ひねくれているな、と苦笑せずにはいられない。
「あの小娘は、この国の王女殿下だ。
そうは見えんだろうがな」
「……ああ、あの子が」
「知っているか?」
「入国した直後に、妙にお行儀の良い盗賊団に襲われたわ」
「ああ、あれか……。
まぁ、それだ。
アホらしい組織だが、あれはあれで役に立っている。
彼女はその元締めだ」
若干、呆れた気配で肯定した後、彼は言葉を続ける。
「そして、このギルドの前身、冒険者パーティ『トラブルバスター』に救われた張本人だな。
その関係で、ツムギという小僧に惚れ込んでしまっている」
「へぇー。純愛ね。
王道のラブストーリーって感じ」
「物語ならそうなのだろうが、ここは現実で、あの小僧は告白を一刀両断で断った」
「あらら。何でまた?」
「神の力であるギフト持ちだから、だそうだ」
「…………それはまた」
もうどうしようもない話だった。
この世界は、既に神の管理下にある。
ギフトで紐付けされていない存在である、ツムギやルセリが例外なのであって、他の存在は全員が全員、ギフトを持っているのが当たり前である。
ツムギは、神を嫌っている。
今の境遇を受け入れ楽しんでいるとはいっても、過去の事を忘れた訳ではない。
自分を見捨てた神々は、唾棄すべき存在であり、その影響下にあるギフト持ちも、神々本体ほどではないにせよ、本心から嫌悪していた。
そんな存在と好き合うなど、彼の価値観ではあり得ない。
友人関係が、ギリギリで許容できる範囲だった。
「それで終わっていれば、話はごく単純だったのだ」
「……まぁ、あの様子じゃ続きがあるんでしょうけど」
うむ、とヴェレルが頷く。
「小僧を諦めきれなかった娘は、己が持つギフトを破棄したのだ」
「…………は?」
言われた言葉が、一瞬、理解できなかった。
暫し、考え、悩み、首を傾げ、ようやく理解の及んだルセリは、訊ね返した。
「え、そんな事できるの?」
ツムギの様に最初から持っていない、というのならば、何らかのバグだと理解する事も出来る。
しかし、破棄が出来るとは全く思えなかった。
人の脅威を思い知った神々が、首輪を外すなどという反逆行為を許すなんて、かつて明確に敵対していた身からすれば、有り得ないと断言するような話である。
だというのに、ヴェレルの返答は肯定だった。
「……まぁ、出来なくはない、という所だな」
「うっそぉ……」
絶句するルセリに、補足する言葉が届く。
「但し、絶望的な苦痛が伴うがな」
「あ、やっぱり?」
「当たり前だ。
ギフトとは、魂に根差す力だぞ。
それを取り出そうというのだ。
文字通り、魂を千々に引き裂かねばならん。
それがどれ程の苦痛か、想像するまでもないだろう」
「……まぁ、そうね」
銀河帝国においては、魂の研究解析も終了していた。
そうでもなければ、死神の権能を代行するタルタロスシステムなど、作れる筈もない。
だから、その副産物として魂への麻酔などという超技術もあったのだが、今の時代ではそんな物を望める筈もない。
無麻酔で魂を引き裂いて、その構成要素を抽出すればどうなるのか。
ルセリは、過去の研究資料を思い出して、小さく感想を漏らした。
「よく、廃人になっていないわね」
ほぼ百%、廃人になっていた。
その致死の壁を乗り越えて、あの少女は自己を保っているというのだから、もはや驚かずにはいられない。
「本人曰く、愛の力らしいがな」
「そんなもので乗り越えられる苦痛ではないと思うんだけど……」
「私もそう思うがな。
他に要因もないから、そう思っておくしかない。
他の実例もないしな。
ともあれ、そこまでしてあの娘は、小僧に寄り添いたいと思ったのだ。
それが、小僧には気に入らなかった」
「……どうして?」
自分と同じ位置にまで降りてきたのだ。
神の軛から抜け出した存在として、受け入れそうなものである。
そう思ったルセリの問いに、ヴェレルが答える。
「持てる者が、それを捨てて落ちてくるのが、馬鹿にしていると思ったらしい」
「……また子供っぽい意地ね」
思わず半目になって、端的にこき下ろしていた。
「全くもってその通りだな。
そういう訳で、小僧はいまだにあの娘の事を嫌っているのだ」
だが、と彼は言う。
「それでも、根元では嫌いきれないのだろうな。
なんだかんだで、小僧はあれの相手をしている」
「そうなの?」
「あれは、嫌いな相手はとことん無視するし、度が過ぎれば何もかもを無視して叩き潰す。
そうしていないという事は、つまりそういう事だ」
「……ふぅん。そうなんだ」
話をしている内に、目的の部屋に辿り着いたらしい。
ヴェレルが扉を開き、ルセリを中へと招く。
「あんなどうでも良い奴の話はここまでだ。
続きや真実の部分が聞きたくば、本人に訊ねる事だな」
「さっき、大して興味がないと言ったと思うけど?」
「そういえば、そうだったな」
軽口を叩きながら、ルセリは中へと入った。




