第二十七話:非文明人
ドチャッ、というか、グチャッ、というか、そんな感じな生々しい音がした。
人体改造によって強化されたルセリの目には、その光景がはっきりと捉えられていた。
女性らしい、比較的小さな拳、それがほぼ完全にツムギの顔面の中心に完全にめり込んでいる様を。
(……あれじゃ、鼻骨どころか、中まで潰れてるわね)
ルセリは医系の専門家ではない。
人体構造については、旧時代における一般常識に毛が生えた程度の知識しか持ち合わせていない。
そんな素人目でも、明らかな致命傷と思えるレベルで、ツムギの顔面は盛大に凹んでいた。
どう見ても脳髄にまで被害が及んでいるレベルの損傷であり、これで問題なく生きているようであれば、完全に人外である。
そうと言い切れる拳撃を受けたツムギは、ルセリの横で勢いよく床に激突し、まるで起き上がり人形のように跳ね返って立ち上がっていた。
「テメェ、アリア! 何しやがる!?」
「それはこちらの台詞です。
人に仕事を押し付けて趣味に出かけるとは、言語道断」
アリアと呼ばれた女性は、ツムギの発する威嚇に動じる事無く応じると、受付を乗り越えて追撃の拳を見舞う。
「良い度胸だ、テメェ! 返り討ちにしてやるぜ!」
それを、ツムギは半分くらいは食らいつつ、半分くらいは躱してカウンターで攻撃を打ち返していた。
中々に血生臭い一幕である。
ツムギの反撃は大半が躱されているものの、一発一発が重く、アリアと呼ばれた女性の肉が爆ぜて、削げ落ちていく。
一部からは白骨が見えており、そのダメージが生半可な物ではないとうかがい知れる。
一方で、ツムギの損傷もかなり酷い。
顔面を中心に打たれている彼は、ほぼ頭蓋が粉々で頭部が肉袋と化している。
その他にも、一部、的確に骨を折られており、全身がふにゃふにゃだ。
人間、あそこまで行くと普通は死ぬ筈なのだが、特に問題なく活動している辺り、完全に人外だ。
(……何で治さないのかしら?)
巻き込まれないように、そっと気配を消して隅に避難していたルセリは、ツムギが損傷したままでいる事に違和を感じていた。
彼の自己修復能力は、大概に異常だ。
どんな改造手術を施せばあんな事になるのか、予想が付かない程である。
そんなツムギが、単なる打撃で傷を受けるのみならず、傷がそのまま傷として残っている。
これはどうしたというのか、と考えると、あっさりと脳裏で繋がるものがあった。
(……ああ、アリアって、あの〝アリア〟なのね)
道中で立ち寄った元国家での中心的人物、アリア・アマディール。
死神代行としての権能を使えば、生命体に対して絶大なるアドヴァンテージが得られるだろう。
確証を得るためにエネルギーレベルを測定してみれば、ドンピシャである。
天使とは比べ物にならない濃厚な神力が彼女から放出されていた。
「にゃはははっ、お祭りにゃ!」
いきなりの神との邂逅に、どうするべきなのか、と内心で途方に暮れていると陽気な笑い声が乱入した。
瞬発した声の主は、ド突き合いに飛び込むと身体を縦に回し、両の踵でツムギとアリアの双方を蹴り飛ばしていた。
「おぶっ!」
「あう!」
盛大に吹き飛んだ二人に対して、乱入者ーー受付で寝ていた猫獣人は、哄笑を上げて勝ち誇っている。
「にゃーはっはっはっ、油断大敵にゃー!
アタシの勝ちー!」
ガッツポーズを決める彼女だが、勝利を宣言するにはまだ早い。
即座に復帰した二人は、それぞれに売り付けられた喧嘩を買う。
「テメェ、この駄猫が!
いきなり何しやがる、ぶち殺すぞ!」
「躾られたいようですね。
ご要望通りにして差し上げましょう」
「ふっ、アタシの勝ちは揺るがないにゃ。
さぁ、かかってこいにゃー!」
シュッシュッと猫パンチで挑発する猫に、まず先にアリアが飛びかかる。
一拍遅れてツムギも続行しようとしたが、その頭を掴む手があった。
後頭部を掴まれて待ったをかけられた彼は、怨念の籠った声を聞いた。
「何をするとは、私の台詞に御座います!」
ラーメン貪っていた天使である。ツムギが吹き飛ばされた先が、丁度、彼女が食事をしていたテーブルだったのだ。
至福の余韻を味わっている最中にバカが飛んできた所為で、残り汁が溢れてしまったのである。
食い物の恨みは末代までも残るという。
天使は、渾身の恨みを込めて、ツムギの頭を床に叩きつけていた。
無論、彼とて一方的にやられるばかりではない。
叩きつけられると同時に身を半回転させ、振り上げた足で天使の横顔を蹴り付けていた。
「天罰を素直に受けないとは。
これだから劣等種族は嫌に御座います」
「誰が劣等か、鶏肉め。
解体して料理してくれる」
また一つ、喧嘩の規模が広がる。
猫獣人が漏らした〝祭り〟という言葉通り、誰も彼もを巻き込んだ殴り合いがそこら中で勃発していた。
ルセリが、彼らの文明人とは思えない沸点の低さに唖然としていると、静かな声がかけられる。
「あー、君。こちらへ来たまえ」
振り返れば、手続きの為に奥へと引っ込んでいたヴェレルがいた。
「こんなやかましい中では落ち着いてもいられん。
手続きは奥でしようではないか」
喧騒をやかましいの一言で済ませ、あっさりと踵を返す。
その背を追いながら、ルセリは彼に訊ねた。
「あれ、放っておいていいの?」
「構わん。いつもの事だ。
体力が有り余っているのだろうよ。
飽きたら止める故、放置しておくが良い」
「そういう話なのかしら」
「その程度の些事という事だ。
私のような知的に生きられんバカどもなど、気にするだけ無駄なのだよ」
仮にも、同じ組織に所属しる仲間に対して、酷い評価もあったものだ。
とはいえ、同類扱いして欲しくないという意味では、ルセリも同意見だ。
あんな殴り合いでしか取れないコミュニケーションなど、ごめん被る所である。
巻き込まれない内に退散するが吉、と納得した彼女は、足早に奥へと向かった。
「あー! 見つけたー!」
次の瞬間。
そんな彼女を巻き込む、甲高い少女の声が響くのであった。
実はこっそりと第一部分に人物紹介をねじ込んでいたりして。
女性キャラにはイメージを付けていますので、興味が向けば覗いてみてください。




