第二十六話:鉄拳制裁
「いよーう、皆の衆! ご無沙汰だな!」
入り口の扉を音高く開け放ちながら、ツムギがギルドの中へと入っていく。
その後ろに付きながら、ルセリは視線が集中する感覚を受けていた。
そこに含まれた意思は、主に不審者を見るものだ。
一言で言えば、誰だあいつ、という思考である。
「……あなたの知名度にはガッカリよ」
「おいおい、そんな連中ばかりじゃないだろ。
ほら、あっちを見てみろ」
隣接されているフードスペースには、一人の女性がいた。
外見年齢は十代半ば程度だろうか。
黄金に輝く髪を、背中の長さまで無造作に伸ばしている。
女性らしい起伏に富んだ肢体を、白を基調とした軽鎧に包んでいるが、その下には何も付けていないのか、美しいミルク色の肌が大いに露出されている。
傍らには長い朱槍が立てかけられており、彼女が槍を主に使う武人だという事が見て取れる。
そして、何よりも目を惹く特徴が、彼女の頭上に浮遊する輝く天輪と、背中に背負われた赤みがかった白の四枚羽だろう。
天使である。
「んぅ!?」
思わず目を見張って、信じられない物を見た気分で言葉を詰まらせてしまうルセリである。
ツムギは神々の事が嫌いだし、その力を受けている者も少なからず嫌いだ。
ギフトを受けた人間くらいならばまだしも、神の直轄である天使など、害虫か何かのように、見かけた時点で殺しにかかるほどに毛嫌いしている。
だというのに、そんな種族の者が自身のテリトリー内に出入りしているとは、そしてそれを見過ごしているとはどういう事なのか。
ルセリにはとても不思議だった。
「あれ、てっ、天使よね!? 何でいんのよ!?」
向こう側も、何か信じられないという様子で、すすっていたラーメンをそのままに、目を見開いて硬直している。
外見は、神の造形らしく美しく整っているというのに、とても間抜けな姿に映る。
「罪人たる俺の監視だそうだぞ?
その割には、居座って飯食ってばっかだが」
「えぇ? 天使、なのよね?
あの人形みたいな」
基本、天使というのは自由意志をほぼ持たない。
神の意志を顕現する為だけに存在する、神の人形だ。
第五位階クラスならば、まだマシだが、それでもマシ程度でしかない。
それを前提に考えるならば、あの天使の行動はおかしい。
監視というのならば、四六時中共にいる筈だろう。
それこそ、風呂もトイレも、寝室さえも問わずに。
だというのに、彼女はそんな事をせず、それを名目にして勝手な行動をしているらしい。
とても人間らしく、天使らしくない。
「まぁ、気にするな。
美味い飯を与えておけば害はない。
あんなんでも征罰衆のお偉いさんだからな。
友誼を結んでおいても損はないぞ」
「……私の天使観が崩れるわ」
ともあれ、彼女を代表として、幾らかの存在がツムギを見て、大なり小なり驚いた顔をしている。
きっと、彼らはツムギの青年バージョンを知っていて、なおかつ普段はずっと封印している事を知っている面子なのだろう。
ツムギは微妙な空気の中を気にせずに歩き、受付カウンターにやってくる。
「いよぅ、ヴェレル! ちょいと振りだな!」
受付嬢、という言葉があるように、ルセリの常識でも、そうした客対応をするのは美しい見目をした女性というのが一般的なのだが、そこに座っていたのはそうした特徴に全く当てはまらない人物であった。
青黒い肌をした、おそらくは青年だ。
痩せぎすの体形をしており、それを紺色の衣装で覆っている。
頭の上には折れ曲がったとんがり帽子を載せており、目元には小さな丸眼鏡をかけている。
ルセリにとってはとても馴染みのある、学者じみた雰囲気を醸し出していた。
ヴェレルと呼ばれた彼は、読んでいた書籍から顔を上げると、至極面倒だという態度でツムギへと応対する。
「……ああ、旦那か。
何故、そんな姿をしているのかは知らないが、何の用だ」
「いやいや、受付に来る用事なんざ、依頼関係か、新人の登録くらいっきゃないだろ」
「……ふん。そっちの娘か」
じろり、と睨むような視線が背後のルセリへと向かう。
彼女は、前に出るとにこやかに名乗る。
「ルセリ・アルトンよ。
ツムギの紹介でやってきたわ」
「…………チッ。仕方ない。少し待て」
舌打ちを一つ残して立ち上がると、ヴェレルは奥へと向かう。
登録用の準備をするのだろう。
その隙に、隣のツムギへとルセリは文句を言う。
「客商売にしては、愛想がないわよ?」
当然の言葉に、しかし彼は首を横に振った。
「いやー、そりゃそうだろ。
だって、あいつ、本職じゃねぇもの」
「え? 代理なの?
じゃあ、本物の受付さんは?」
「そこ」
ツムギが短く言いながら指先を向ける。
そこには、受付を飾る色とりどりの花があった。
そして、その中に埋もれるように、一人の少女がいる。
枯草の様な薄い色合いの髪を短く整えた少女。
何処かの民族衣装の様な、前袷のゆったりとした服に身を包み、薄く日に焼けた小麦色の肌を隠している。
そして、彼女の頭には猫のそれと思われる耳と、腰の後ろからは同じく尻尾が生えていた。
獣人。
街中でも時折見かけていた種族の少女。
そんな彼女が、そこで安らかな寝息を立てていた。
「……寝てるわね」
「見れば分かる」
「いつもの事なの?」
「もはや名物だな」
「…………何でクビにしないの?」
「これでも有能なんだよ、残念な事に」
心からそう思っているのか、ツムギは深々と溜息を吐き出していた。
きっと新参の自分には伺い知れない事情があるのだろうな、と納得していると、奥から足音が聞こえてきた。
ヴェレルが戻ってきたのか、と視線を戻すが、そこにいたのは、薄青い髪の女性だった。
儚げで幸薄そうな印象の彼女は、にこりと笑みを浮かべた次の瞬間、
「おかえりなさい、ツムギさん。よくも顔を出せましたね」
「うべらっ……!!」
優し気な声と硬く握りしめた鉄拳を以て、受付越しのツムギの顔面を殴り飛ばしていた。




