第二十三話:魔樹に抱かれし都市『ラビリンス』
ユグ・ナ・メイズ王国の中心部、王都に近づくにつれて、世界樹の根が密度を高くしていく。
地平線の先に、僅かに見え隠れする物だったのが、時折、驚くほどに近い場所へと。
時折だったものが、常に視界の中に横切るようになり。
そして、遂に根の上を歩かねばならない程にまでなっていた。
「気を付けろよー。
素肌で触れると喰われるぜ?」
「……そんな感じね。
なんて吸収力かしら。
しかも、悪食だし」
ツムギの忠告に、ルセリは感心したような呆れたような、そんな調子で言葉を紡ぐ。
彼からの忠告に従い、ルセリは事前に簡易宇宙服を纏ってから根の上に立った。
その行動は正しく、現実としてエネルギーだけで構成された簡易宇宙服が物凄い勢いで喰われている。
幸いにして、デウス・エクス・マキナ・レプリカに使用していた恒星炉は、最低限の修復ができている為、そちらと接続させれば完全に喰い尽くされるよりも修復する速度の方が上回っている。
おかげで事なきを得ているが、もしもそれが出来ず、生身で触れていたらどうなったかなど、考えただけでぞっとする。
その末路は、時々、視界の端に映る、何かがいたような、骨も血も毛の一本さえも残っていない動物の痕跡が示していた。
ちなみに、彼らは王都への最短距離を取る為に根の上を進んでいるが、そんな危険な事ができない一般人用の安全な道もある。
世界樹の根の隙間を縫って造っているので、大変に曲がりくねっている上に、非常に遠回りな道並みであるが。
「簡易宇宙服と恒星炉を接続するなんて、当時でもしなかった魔改造よ。
自転車に戦艦のエンジンを搭載する級の馬鹿改造ね」
「実際、そんなもんだよなぁ。
レジャー用なんだろ? その防護服」
「ええ。市販品レベル。
ちょっとは改造してるけど、そんなものは気休めね。
なんとか騙しながら使ってるけど、恒星炉の圧力にそう長くは持たないわ」
近く、簡易宇宙服が崩壊し、ルサリを守るものがなくなるだろう。
そうなれば、世界樹の栄養か、ツムギに背負ってもらうかの二択となってしまう。
中々、難しい二択だった。
「安心しろ。
もしもそうなれば、俺が優しく抱き上げてやろう」
「そんな事を許すくらいなら、私は潔い死を選ぶわ」
「ふふふっ、素直になれない子だね」
「あら、正直者の私になんて言い種かしら?」
明確な拒絶。
だが、愛する女からのそれを、ツムギは気にしない。
3000年である。
ルセリの心を閉ざした、決死の覚悟で作られた永久凍土の時間だ。
彼はそれを舐めていない。
たった20年ほどしか生きていない自分ですら、鮮烈な意思を発しているのだ。
その100倍以上の時間で固められた意思の強固さは、そう容易くに溶かしきれるものではない。
少しずつ、ゆっくりと、距離を詰めて、熱を加えて、優しく、労りながら、じっくりと、溶かしていく。
それが、タイムリミットに間に合うかどうか。
これは、そういう勝負なのである。
だから、今はまだ、焦らない。
焦る時ではない。
「じゃあ、ルセリが死んでしまわないように、ちょいと急ぎ足で行くかね」
笑い飛ばしながら、彼は速度を上げる。
ルセリが無理をせずにいられる、限界ギリギリの速さで根の隙間を駆け抜けていく。
「ところで、質問なんだけど」
「何かな?」
高速で景色が流れていく中、後ろから声が届けられた。
「何で、あなたは素足で大丈夫なのよ」
「ん?」
ルセリの今更のような指摘の通り、ツムギの足は素足が剥き出しのままだ。
そんな状態で世界樹の根を踏んでおきながら、彼は何ともないように過ごしている。
エネルギー消費量を観測しているルセリとしては、信じられない気持ちで一杯だ。
「そりゃあ、俺は頑丈だからな」
「そういう問題?」
「もち。
まっ、本家本元の世界樹ならともかく、苗木如きにやられるほど、柔な身体の構造をしてないのよ」
「……ふぅん。
まっ、今はそういう事にしておいてあげるわ」
当然、ただ頑丈だから吸われていない、という訳ではない。
ツムギが無事な理由は別にある。
とはいえ、ルセリに隠し事をする訳ではないが、話せば微妙に長くなる話なので、この場では適当に誤魔化しておく。
そのまま進んでいると、やがて根に僅かな光が宿り始めた。
初めはうっすらと、次第にはっきりと、そして遂には日の光のように眩しいほどに。
「なぁに、これは?」
「世界樹の守護圏に入ったんだ。
こいつは太陽の光を吸収して、根やら何やらから吐き出す性質があるからな。
日照問題もこれで万事解決よ」
「便利なものねぇ~。
あっ、エネルギー吸収も止まったわ」
ここからは、恵みの土地なのだろう。
根の上に立っているというのに、ずっと続いていた吸収が途端に途絶える。
そろそろ限界が近かった為、とても有難い事だ。
恒星炉との接続を断ち切り、加熱気味だった簡易宇宙服のスイッチも落として解除してしまう。
すると、新鮮な外気がルセリの鼻をくすぐった。
芳醇な緑の香り。
宇宙で生まれ、宇宙で育ってきたルセリにとって、人生で経験する事はないと思っていたそれが、強烈に漂っていた。
まるで、原始から続く大森林の中心部にいるかのような、そんな錯覚を覚える。
思い切り、空気を吸い込んで、胸を膨らませる。
濃厚で馥郁たるそれを、存分に堪能する。
きっと、酸鼻極めるあの時代に生きた者の中で、これを知る者は誰一人としていなかっただろう。
また一つ、未知が既知となった。
愉悦。
知識欲が満たされる感覚を楽しんでいると、前方からツムギの声が届いた。
「ほら、見てみ」
快楽の余韻を邪魔された事を、少しばかり不満に思いながら、彼の手招きに従って隣に並ぶ。
ツムギが示す眼下、世界樹の幹に蓋をされるように、一個の都市があった。
世界樹という、大自然を詰め込んだ化身に呑み込まれていながら、それはそれとして人の営みを続ける、偉大なる都市。
弱きをそのままに、強く生き続ける、生命力を弾けさせる幻想的な都市の姿だ。
「あれが、ユグ・ナ・メイズ王国の首都、樹海都市『ラビリンス』だ」
それを目にしたルセリは、感動に身を震わせる。
これこそが人間なのだと。
どんな劣悪であろうと希望を捨てる事なく、新たな一歩を踏み出していく、生命力と叡知に長けた種族の姿なのだと。
「……きれい」
我知らず、彼女の口から賛美の言葉が漏れ出ていた。
人物紹介第四弾。
名前:白河巴
種族:猫系獣人
所有ギフト:《超越者》
ギフト説明:自身の肉体やギフトが与えるステータスの限界を、一時的に突破して超力を振るう事のできる戦闘系ギフト。但し、限界突破には代償が伴う。後遺症の重篤度は、どれ程の上乗せをしたかによって変わる。
プロフィール:冒険者ギルド『騒動の種』の一員にして、名物受付嬢。看板ではない。どちらかといえば、マスコットである。いつの間にかやってきて、いつの間にか登録していた野良猫。その癖して、有り得ない難易度に設定されているギルドの幹部試験を潜り抜けた猛者である。仕事をほとんどせずに、日々、受付の中で惰眠をむさぼっている。世界樹の天頂部での昼寝が最近のブーム。昼寝の為だけに世界樹を登頂する身体能力あってこその趣味である。




