第十六話:さらば、永劫の都
取り立てて急いでいる訳でもないが、長居したい土地でもない為、二人はまだ薄暗い時間帯から起き出していた。
「……特に何も起きなかったわね」
朝支度を済ませながら、少しお茶目心を含ませてルセリが言う。
「アンデッドでも出ると思ったか?」
大変に怨念の籠っていそうな曰く付きの物件で一夜を明かしたのだ。
そういう期待をするのも無理からぬ事だろう。
図星を言い当てられたルセリは、視線をあらぬ方向へと飛ばしながら言葉を返す。
「んー、ちょっとだけね。
ファンタジーしてるから、もしかしたらって。
っていうか、いるの? アンデッド」
旧時代には、やはりそういうものはなかった。
ゾンビ位ならば作ろうと思えば作れたが、それだけだ。
自然発生する事など無いし、幽霊的な物など完全に空想の産物だ。
故に訊ねたのだが、案の定と言うべきか、ツムギは笑顔で肯定する。
「いるぞー。わらわらいるぞー」
「わらわらかー」
「わらわらだー。
その内、嫌になるほど見る事になるからなー。
いや、ほんとに見飽きるほどに見る事になるから」
後半だけは大真面目に真顔で言うツムギ。
その様子はとても茶化している物ではなく、ある種、鬼気迫るとも言えるほどの迫力があった。
「な、何よ。脅してるの?」
「…………ルセリよ、よく聞いてくれ」
彼は、その表情のまま、決定的な事を告げる。
「実は、俺たちの国、アンデッドがアホみたいに蔓延ってるんだ」
「駆除しなさいよ。
それとも、何?
アンデッドが一種族として認められてるの?」
「いや、普通に外敵扱いなんだが……もう、ぶっちゃけて言うんだけど、ウチのギルドにはネクロマンサーがいてな。
アンデッドを雑用程度に使い倒してんだわ。
おかげで、街中を普通にアンデッドが闊歩する地獄都市と化してる」
「ほんとに地獄の風景よ、それ?」
ルセリが呆れたように言う。
ツムギには何一つとして反論できなかった。
彼女の脳裏には、過去の娯楽映画の情景が描かれていた。
大体、それが間違っていないのが、ツムギのギルドが本拠を置く国、ユグ・ナ・メイズ王国の現状である。
娯楽のそれと違う点は、そのアンデッドたちがただ一人の支配下にあり、人々に危害を加えていない点だろう。
もう一つ加えれば、たとえ支配下から抜け出しても、彼らは生者を憎んで襲い来る事はないという事も強調しておく。
彼らの憎悪の向かう先はただ一人、死んでも死なさない、24時間労働を平気で押し付けてくる悪魔の如き支配者だけなのだから。
「ま、まぁ、良いわ。
害はないのよね?
じゃあ、観光気分で楽しみにしておくわ」
「おう! それだけは保証するぜ!」
ツムギの口ぶりから、詳細は分からないが安全なのだろうと判断したルセリは、話題を閉じるように明るく言い放つ。
彼も力強く応じて、支度を終えた二人が家から出ると、そこには例の夫妻がいた。
何処か覚悟を決めた様な瞳をしており、尋常ではない雰囲気を漂わせていた。
ツムギのテンションは、一気に下降しているが。
「お願いします! どうか! お願いします!」
「私たちを、アリアさんの下まで連れて行ってください!」
深々と頭を下げる二人に、ツムギは白け切った顔と視線で、即答した。
「お前らに合わせるなんぞ、誰がするか。
付いてこられたら、別に構わんがな」
それだけを、吐き捨てるように言って、彼はルセリの手を取る。
「じゃあ、行こうか。無駄な時間を過ごした」
「え? あ、うん」
きっぱりとした態度に呆気に取られていたルセリは、抵抗もなく手を引かれて足を進める。
「お、お待ちください!」
断られたのだと一拍遅れて気付いた夫妻が顔を上げて、制止の声を出すが、ツムギが聞く理由はない。
足に力を入れると、痩せ衰えた一般人以下の夫妻では、絶対に追い付けない、目にも止まらない速度で駆け始めたのだった。
覚悟があるのならば、自らの足で歩いて行けば良い。
幸いにして、ヘリツィア王国から、アリアのいる国、ユグ・ナ・メイズ王国までは人の勢力圏である。
危険な場所に赴かなければ、危険な事に巻き込まれる可能性は限りなく低い。
根性の問題なのだから、自分たちに頼る事が間違っている。
そんな、届かない、届ける気もない内心を抱きながら。