第三話:馬鹿の脳味噌は何色ですか? 桃色で
「じゃ、一応、不本意ながらも一時的には行動を共にするんだし、自己紹介でもしましょ」
そう言って、少女は手を差し出す。
「私は、ルセリ。ルセリ・アルトンよ。
帝立宇宙大学、時空間研究プロジェクトのプロジェクトリーダーをしていたわ。
って、言っても分からないわよね」
「まぁな!」
手を差し出す動作には、怒りなどの蟠りは全く感じられない。
あまり拘るような性格ではないのだろう。
さっぱりとしている所も良い、と少年は惚れ直しながら、彼女の手を取って握手する。
「俺は契だ!
姓を持たない劣等民だな!
世間的な顔は、まぁ色々とあるが、今は冒険者かね?」
握手しながら、ルセリは怪訝な顔をする。
「劣等民って、そんなにあなたの地位って低いの?」
「まぁな!
場合によっては、奴隷階級以下だぜ!
つっても、慣れりゃ生きるのに苦労なんざないけどなー」
姓がないという事は、一切の後ろ楯がないという事を示す。
それは、主人が責任を持つ奴隷よりも、下手をすれば悪い。
とはいえ、わざわざ相手の名を確認して商いをするのは、貴族などを相手にするよほどの高級店などでしかあり得ない。
ちゃんと対価を支払えるのならば、普通に生きている分には何ら問題はないのだ。
時折、面倒なイチャモンを付けられるだけで。
気にしていないと笑い飛ばすツムギに、なら良いか、とルセリも気にしない事にする。
「それにしても、冒険者ね。なんだか、夢のある職業ね」
手を解いたルセリは、《アーク》のコンソールを呼び出して、脱出のための設定を軽快に打ち込みながら言う。
だが、それに対して、ツムギは苦笑で返した。
「まっ、字面から受ける印象はな。
今では夢なんかほとんどないぞ」
「そうなの?」
「応。
昔は、まぁ、言葉通りに未知を探訪して、既知の道を踏み固める勇気ある馬鹿どもだったんだが、そんな偉大な先人のおかげでな、もう未知の領域ってのがほとんど残っちゃいないのさ」
「あらま、それは残念ね」
「だから、今では名ばかりで、ほとんどは単なる便利屋だな。
中には、町の中で荷運びだの掃除だので日銭を稼いでる連中もいる」
「……それって、冒険者なの?」
「いちいち、公式の名称を変えるのが面倒だからそのまま使われてるだけさ」
「本当に夢のない話ね。
……これで良し、と」
最後の入力を景気良く打ち込んだルセリは、満足げに頷くと、何処からともなく太いベルトを取り出す。
腰に巻き付けるそれには、ポーチになっている部分があり、そこにツムギにはよく分からない機材を差し込んでいく。
「そいつは?」
「便利な秘密道具よ。
使う機会があるかは分からないけど、備えあれば患いなし、ってね」
「はっ、準備が良いのは安心できるから、良いことさ」
「じゃあ、ツムギは悪い子じゃないの。
何も持ってないじゃない」
服だけで、何一つとして物を持っていない彼を、ルセリはからかうように言うが、ツムギは自信に満ちた表情を返す。
「俺にはこの身体があれば充分さ!
何処だって生きていける」
「大した自信ね。
慢心でない事を期待するわ」
そうは言うが、ルセリはそれなりにツムギの自信を信じている。
本気で蹴ったり踏んだりしたのに、まるで傷ついていない様子から、彼が見た目通りの少年ではないと察しているからだ。
(……機械人間……いえ、そんな感じではないわね。
お母さんの関係者みたいだし、強化人間かしら)
詳しくスキャンした訳ではないが、彼女は自身が持つ経験と知識と照らし合わせて、ツムギの正体を看破する。
それは、ほぼ正解に近い。
使用された技術や方式こそ、ルセリが知るものと大きく違うものの、ツムギが通常人類と比べて遥かに頑強に作り直されている事は確かな事実だからだ。
最後に、甲に青い宝玉を取り付けたグローブを装着して、用意を済ませたルセリは、再度、手をツムギに向かって差し出す。
何の疑問も持たずに、彼はその手を取った。
取ってから、ふと首を傾げる。
「これは……何の握手なんだ?」
「あなたとこうして繋がってないと、私が何処に落ちちゃうか分からないのよ。
って、ニギニギしないでよ! くすぐったい!」
「いや、小さくて柔らかい可愛らしい手だな、と」
握った手を握力でニギニギムニムニと弄ぶツムギであった。
その頭をもう一方の手で叩きながら、ルセリは説明する。
「いい? これから、あなたを元の座標に戻すわ。
だけど、注意点があるの」
「なんじゃい?」
「ここ、《アーク》からの観測だとかなりアバウトになるのよ。
数百メートルから数キロメートルは最低でもずれるわ。
最悪、地中に埋まってデッドエンドよ」
「俺は埋まっても問題ないが?」
「私は問題大ありよ!」
眉をつり上げてツッコミを入れるが、すぐに気を取り直して続ける。
「おほん。
で、その補正にあなたの記憶を利用するの。
脳波を読み取って、とか技術的な説明は省くけど、まぁ要はツムギが最後にいた地点を正確に特定して、安全に跳躍するのね」
「ほむほむ」
「そこで、ツムギにお願いなんだけど、跳躍中は出来る限りの正確にその場所を想起してて欲しいのよ」
「おう?」
首を傾げる彼に、丁寧に青筋付きで説明する。
「何処かの誰かが壊してくれたせいで、《アーク》の機能が不安定になっているのよ。
主要部は無事だけど、一部の機能にエラーが出まくっててね。
特に、座標マッピングシステムに。
きょ・う・りょ・く、お願いできるかしら?」
「ふっ、そういう事ならドンと任せておけ!」
「その安請け合いがとても不安だわ」
とはいえ、信じるしかない。
《アーク》には自動修復機能後あるとはいえ、そんなものを待っていたら優に年単位は時間がかかる。
それだけの間、待ちぼうけを食らっているのは性に合わない。
「じゃあ、準備は良いわね?
ゲート、オープン」
『了。ゲート、解放します。良い旅を』
ルセリの起句に反応して、足元の円盤が輝く。
虹のような光は、数瞬点滅すると、直後、爆発したように柱となって打ち上がった。
ツムギとルセリは、その柱の中を引っ張られるように翔け抜けていく。
「……俺が来た時には、こんな演出はなかったと思うんだが」
「そっちは略式。こっちがなるべく安定した本式。
壊されてなかったら、一瞬だったのよ?」
「いや、ほんと、ごめんなさいね」
「過ぎた事よ。
それよりも、集中して。
道が不安定だわ」
虹の道は、サラサラと砕けては修復するという事を繰り返している。
今にも壊れそうで、大変に不安な有り様だ。
「……ちなみに、これ、失敗するとどうなるのかね?」
「何処とも知れない場所に落ちるだけなら、まだマシよ。
最悪、何処にも辿り着かず、永遠に虚無を漂う事になるわ」
「そらまた、結構な事で」
ツムギ本人としては、どうなろうと何処であろうと生きていける自信があるが、それにルセリを巻き込む事はいただけない。
原因が自分にある以上、しっかりと責任は取るべきだろう。
なので、言われた通りに念じる。
すると、なんとなく少し安定してきた気がする。
「良いわよ。その調子その調子」
だが、順調である事は凶事の兆しでもある。
虹の道の終わりが見えてきた時、それは起こった。
「きゃっ!?」
「おうふ」
何かに躓いたかのように、ガタンと軌道がぶれた。
それは大した衝撃ではなかったが、油断していたところへの不意打ちだったため、繋いでいた手が離れそうになってしまう。
それを防ぐため、ルセリはツムギの腕へと全身でしがみついたのだ。
順当に考えれば、特に何の問題もない笑い話程度の事である。
しかし、一方の相手は、煩悩の塊だ。
そんな輩にしがみつけば、どうなるのか。
(……ああ! ああ! 埋まる! 埋まっている!
男を獣に変える肉の造形物に、俺の腕が挟まって!)
一瞬でピンク色に染め上げられるツムギの思考回路。
彼の脳味噌は、至福の感触を堪能し、永久保存する事に全霊をとしており、座標の固定の事など遠い彼方へと忘却してしまっていた。
その結果、あと少しという所で、虹の道が大きく破砕した。
「ちょっ!? あなた、集中途切れさせたわね!?」
「ああ、やーらかい……。
俺、もう死んでも良いかも」
「良くないわよ、このバカぁ!」
言っている間にも、二人は虹の道から弾き出され、虚空の彼方へと吹き飛ばされるのだった。