第二話:引かれる引金(うっかり)
ルセリは、胸に灯った温かい感触を覆い隠す。
自分は目的を終えたら一人で勝手に消えるのだ。
ツムギの気持ちに応える事は出来ない。
ならば、気のない素振りで、彼の気持ちを躱してしまわなければならない。
これが、彼女にできる精一杯の彼への思いやりである。
ルセリは緩みそうになった顔を引き締めると、目を細めてツムギを見る。
「……あ、おはよう。
ところで、何で元に戻ってんのよ」
「ん? これか?」
昨夜は確かに青年の姿になっていたというのに、今の彼は再び童子の物となっている。
ツムギはカラカラと快活に笑って答える。
「そりゃあ、枷を戻したからな!
こっちになるのも当然だ!」
本来の姿、本来の力は、人の生きるこの大陸ではあまりに強力に過ぎる。
実際、死と滅びを撒き散らす大災害、一度現界すれば数多の国と命が失われるとされる起源種ですら、元の姿に戻れば鎧袖一触に蹂躙できるのだ。
子供の姿でも戦えるし、充分に勝てる勝負ではあるのだが、やはり決着までに必要とする時間や労力、そして両者の戦闘によって発生する被害の量が、桁違いになる。
なので、普段はリミッターを付けて過ごしているのである。
そうしなければ、自然に漏れ出てしまう気配だけで死に絶える繊細な生き物も多くいるのだから。
「ふーん。でも、子供の姿より、成長した姿の方が素敵よ、ツムギは。
うん、カッコよかった」
だが、そんな事情など知らないルセリは、完全に自分の好みだけで物を言っていた。
「お? そうか? そうかな!?
やっぱ、大人の俺様は色気ムンムンか!?
いやー、そう言われちゃ応えない訳にはいかないな!」
惚れた女の好みを聞かされては、応えない訳にはいかない。
それが男の甲斐性という物である。
どうせ生物の分布図など年単位で普通に移り変わっているのだ。
今更、そこに自分という変動要因が増えた所で、大した事ではないだろう。
そうと言い訳したツムギは、あっさりと心臓にショックを打ち込み、全ての制限を解除してしまう。
全身が鼓動するように脈打ちながら伸縮を繰り返し、徐々に童子から青年へと成長していく。
それに伴い、彼が放つ武威が増していく。
だが、普段は基本的に気にしていないそれを、ツムギは努めて制御した。
より具体的には、ルセリに対してのみ、それを向けないように抑え込み、逸らしたのだ。
意識すれば容易い事である。
(……常に維持しとかないとな)
ルセリを威圧してしまっては、男が廃るというものである。
健やかに伸び伸びと過ごしてもらう為には、このような努力は必要なのだ。
ただでさえ、精神的に弱っているのだから。
そう、今のルセリは弱っている。
薄々と感じ取っていたが、ラピスの話を聞いて確信へと至った。
彼女の心は不安定で、目に見えているのは空元気の類いなのだと。
それを見て、ツムギは思ったのだ。
付け入る隙だと。
彼は常に自分の為に生きている。
そうする事が人生を目一杯楽しむコツなのだと信じている。
だから、決してルセリの為だとか、そんな事は思わない。
自分が満足する為に、彼女へと配慮しているだけだ。
その方が好感度という点数も稼げるのだから。
そうした行動の結果として、自分が幸福になるついでに、ルセリの心も軽くなって救われるのならば、それが最善だと、その程度の認識である。
故に、弱っている心に付け込む事も厭わない。
大いに、遠慮なく、付け込ませて貰う。
恋愛は戦争なのだ。
隙を見せた方が悪い。
「クククッ……」
「何笑ってんのよ」
「いや、未来を夢見て楽しくなりそうだと思っただけさ」
つい漏れ出てしまった邪悪な笑みを誤魔化し、朝食の用意にとりかかるツムギだった。
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世界のパワーバランスを敏感に感じ取れる者たちは、今この瞬間に反応していた。
時折、ふと現れてはすぐに消えてしまう強力な気配。
自分達を脅かしうる強者の反応が、何故か今回に限っていつまで経っても消えない。
まるで、我慢する事をやめたように、いつまでも何の加減もなく垂れ流されている。
それに気付いた繊細かつ脆弱だと自らを理解している生物たちは、その波動を受けて即座に緑の大陸から逃げ出した。
ここほど豊かではなくても、ここほど広くなくても、それの近くにいるよりはずっとずっとマシだと判断したから。
そして、反応したのは弱者だけではない。
外の世界に進出し、数多の生存競争を生き残ってきた、生態系のほぼ頂点に位置する捕食者たちもまた、彼の気配を敏感に察していた。
自分達を脅かし得るそれが、息を潜める事を止めた。
それは、圧倒的強者である彼らをして、警戒を抱かせるに足る現実だった。
世界は、にわかに騒がしくなり始める。
ツムギというイレギュラーの影響は、波紋となって世界を揺らし始めていた。
他でもない、その引き金を引いてしまった張本人は、
「あっ、このスープ、美味しい」
「フッフッフッ、俺様特製野草ブレンドは気に入っていただけたようだな」
そんな事は露知らず、暢気に朝食を食べているのだった。




