第三十二話:親子喧嘩
その姿は、ルセリにとってはあまりに異質で、ツムギにとっては嫌な記憶を思い起こさせる懐かしい物だった。
外見は、二十代前半程度の若々しいもの。
薄紫色の髪を二つの三つ編みにして左右に垂らしている。
緑の瞳は狂気と知性を合わせて宿しており、愉悦の色で歪められている。
顔立ちは整っているが、右頬にはスペードの模様を、左頬にはハートの模様を描いていて、異様な雰囲気を醸し出している。
頭の上には膨らんだ帽子を載せており、細身の身体には派手な色合いと奇抜な造形をした衣服を纏っている。
右腕は指先まで覆う大きな袖に隠れており、左腕は逆に袖がなく剥き出しの腕には幾本もの鎖が巻き付いていて、その先は毒沼の中へ沈んでいる。
総じて、ピエロの様な印象を抱かせる格好である。
ツムギには見慣れたいつも通りの姿であるが、ルセリは唖然とせざるを得ない。
かつての、知性と厳格さを宿した研究者らしい研究者だった母の姿は、何処にも存在していなかった。
「クくクっ、近くニいるコトは知ッていたであるデスガ~、まさか顔をミせに来るとは~。
衣食シッて、礼節ヲ知ったであるデスカネ~」
「……違ぇよ。誰が好き好んでお前なんぞに」
「シッツレイな奴であるデスネ~。
汝のオン人であるデスヨ~。
じゃア、何ノ用であるデスカ~?」
ふらふら、と。
クネクネ、と。
どうにもジッとせずに、常に動きながら聞き取りにくい言葉を紡ぐラピスに、ツムギは嫌そうな顔を隠しもしない。
無理もない。
油断していると、何をされるか分からない相手なのだ。
気を抜いているといつの間にかベッドに括りつけられて切り刻まれてしまう、などという事が本当に起こり得るのだから。
微妙に距離を置きながらツムギは、さっさと逃げたい思いから雑談に花を咲かせる事なく、本題の要件を切り出す。
「……オメェに客だ」
「うちニ? 客ぅ?
ドこの狂人であるデスカ~?」
「狂ってる自覚はあるのか。
……おーい、出ておいでー」
ツムギが呼びかければ、彼の背後で光と音が弾けた。
虚空に輪郭が浮かび、次いで色彩が付いて姿がはっきりとした。
「……私よ、お母さん」
ルセリが姿を見せる。
途端、ふざけた様子だったラピスの動きが、ピタリと停止して絶句してしまった。
彼女は、ツムギが見た事もない程に真面目な顔をして、掠れた声で呟いた。
「…………ルセリ、なのか?」
「うん。久し振りね」
3000年越しの母娘の再開は、感動的とは言い難い雰囲気だった。
部外者であるツムギは、若干、気まずい。
ボケを入れて場を和ますべきか、と益体もない事を考えてしまう。
暫し、無言が場を満たす。
「お前は……死んだと聞いていたが」
「この通り、ピンピンとしているわよ?」
努めて笑顔で、ルセリが明るく言う。
彼女も微妙な雰囲気をどうにかしたいと思っていたのだろう。
だが、その程度で拭いきれるほどに軽い空気ではない。
「ちなみに、どういう風に聞いていたのかしら?」
「《アーク》の起動実験の事故だと。
跡形もなく消えた、と、発表されていたが」
「……あー、そういう風になったのね」
「という事は、実体は違うのか。
生きているのだからそうなのだろうが」
「ええ、勿論。
私は、《アーク》を占拠して、誰も使えないように封鎖したの」
「……何故、と、聞く意味はないか」
ラピスは、ルセリがどんな思いで《アーク》を造っていたのか、それをよく知っている。
彼女は、《アーク》を救命の道具として造っていた。
だが、人類は《アーク》を兵器として使う想定でいた。
結局、そこが折り合わなかったのだろう。
だから、ルセリは封印という道を選んだのだ。
「まっ、大体、ご想像の通りね」
ラピスの想像を、彼女は肯定する。
そして、手を出す。
「じゃあ、《アクセス・デバイス》、返してくれるわよね?」
「…………」
ラピスはそれに応えない。
「私が造った《アーク》に接続できる認証デバイス、全十個。
最後の一個は、お母さんに送ったものよ。
とっくに何処かに散逸したか、破損していると思っていたんだけど、お母さんが生きていたなら別よ」
愛されていた。
母に娘として。
そうと確信し、断言できる。
だから、自分が送った成果を、彼女は今も大切に保管している物と信じられる。
きっと形見として、ずっと持っていてくれた。
「今もまだ、持ってるんでしょう?
せっかく送ったもので悪いんだけど、返してくれないかしら?」
「…………はぁ」
駄目押しの催促に、ラピスは吐息する。
彼女は、ぽりぽりと頭を掻くと、はっきりと言い放つ。
「いや。返さない。渡さない」
「……何でよ」
「何故、と聞くか。
まぁ、当然だな。
逆に訊ねるのだが……お前はどうするのだ?」
ラピスは娘へと問いかける。
「《デバイス》を回収した後に、お前はどうするのだ?」
「決まっているじゃない」
ルセリは即答する。
「《アーク》に戻るわ。
完全な形で、時空間研究の完成形を後世へと残す為にね」
「やはり、か。
では、やはり駄目だ」
ラピスは、固い決意を秘めた表情で、先の質問に答えた。
「そんな無意味な事に、娘の背を押してやる事は出来ん」
「……無意味ですって?」
母からの否定を、正面から受けたルセリは苛立ちを滲ませた声を出す。
それに、ラピスは配慮もせず、はっきりと言った。
「ああ、無意味だ。
後世に残すだけの価値が無い」
「時空間研究は、《アーク》は私の人生そのものよ。
その否定は、お母さんでも許さないわよ」
あまりの激情に、押し殺して猶、ルセリの声が震える。
ラピスは、それに冷笑を浮かべる。
「ならば、ならばどうするのだ?」
問いかけに、ルセリは胸元のペンダント――ナノ粒子格納庫をタップする。
放出されるそれを全身に纏わりつかせながら、彼女は言う。
「力づくで、返して貰うわよ」
「ふふっ、言うようになったな。
思えば、お前と親子喧嘩など初めてだな」
ラピスもまた、全身から法力を放出しながら、徹底抗戦の構えを見せた。