第三十話:飛んでみた。歩いてみた。あれ?
「ん~、美味しいわ~。寄り道した甲斐があったわ~」
ご満悦、という表情でキノコを頬張るルセリを、ツムギは微笑ましいと思う。
「そりゃ良かった。
……どうだ?
この際だし、世界美食旅行でもしてみないか?
世界にゃ、もっともっと美味いもんもたくさんあるぞ」
ルセリが《アーク》へと戻る気でいると、そう理解しているツムギは彼女に誘いをかける。
少しでも現代への未練を抱いてくれれば、とそう思ったのだ。
だが、彼女は悩む様子もなく答える。
「んー、そうしたいのは山々だけど、無理ね。
この星のこの時代において、私は何処までいっても異物だもの。
使命もあるし、《デバイス》を回収したらさっさと帰るわよ」
あるいは、昨夜の天使の襲撃がなければ、少しの旅も良いと選択したかもしれない。
だが、ルセリを異分子として排除しようという集団に襲われた事で、自分がこの時代に歓迎されていないのだと理解させられてしまった。
だから、彼女はそれを選ばない。
当初の目的である《デバイス》を回収したら、さっさと去るつもりでいる。
天使から、神殿から、神々から自分を守ろうとしてくれているツムギには悪いとは思うが、その意思は変わらない。
(……マジでどうしたもんかな)
居残って欲しいと思うツムギは、固い決意を滲ませる彼女の声音に、頭を悩ます。
惚れた女を逃がしたくないという気持ちと、惚れた女の願いを叶えてやりたいという気持ちがぶつかり合っている。
(……いっそマザーが逃げてくれたらなぁ。
最悪は世界の枠をぶっ壊す技を身に付けるしかないのか)
目的の物を彼女の手に渡らなければ、いつまでもこちらにいるのだから、そうなってくれたらと思う。
それであれば、自分が嫌われる事なく、自分の望みに沿うのだから。
本当に最後の手段として、世界の枠組みを突破する事も考える。
だが、これは神々の領域の話にもなるので、本当に最後の手段だ。
様々な根回しをしなければ、実現させる云々以前に粛清されてしまう。
そうこうしている内に、二人は胞子の森を抜け出る。
「……ねぇ、この星、大分、やばいんじゃないの?
何よ、この有り様」
「……俺もそう思っていた所だ。
マザー大先生の仕業……ではないだろうな、流石に」
抜けた先にあったのは、草木一本生えていない沼地だ。
明らかに人体に悪そうな色をしている。
ルセリは指輪をかざして、成分をスキャンする。
「溶解毒に熱毒に、出血毒。
神経毒に、幻覚成分、麻痺毒……。
毒物のオンパレードね。
どんな死に方がしたいかしら?」
おおよそ分かり得る全ての毒素が混合された沼地が広がっているのだ。
ルセリが星の環境を心配するのも無理はない。
ツムギも、その言葉に反論できない。
なにせ、ここまで壊れているというのに、胞子の森ができていないのだ。
つまり、自然浄化ができないレベルの汚染だという事である。
この毒の沼地は、神々が直々に手を下すか、浄化に特化したギフトを授かった者が生涯をかけて、更に数代に渡って清め続けなければ、永劫に残り続けてしまうだろう。
人為的に、こんな事をすれば神々の逆鱗に触れてしまう。
小賢しく立ち回るラピスなら、ほぼ確実にしないだろう。
絶対にない、とは言えない所が彼女にはあるのだが。
「……この先に、お母さんはいるのよね?」
ルセリが確かめるように問うと、ツムギは即答で頷く。
「ああ、間違いなく、な。動く気配もない」
「なら、迷う余地はないわ。行きましょう」
答えを聞いたルセリは、即断で言う。
だが、目の前に広がるのは、死毒の沼だ。
そう簡単に越えられるような障害ではない。
「とは言うが、どうするんだ、この沼は?
泳いでいくか?」
「何でよ。
何でそんな選択肢が上がるのか、逆に理解に苦しむわ」
至極、真面目な顔をしてボケた事を言うツムギに、ルセリはツッコミを入れた後、純白のマントに秘められた機能を起動させる。
「《ストリーム・フィン》」
彼女の起句を受けたマントは、中央から左右に分かれる。
分かれたマントは翼のように広がると、硬質化し、仄かな燐光を放ち始める。
ふわり、と、浮き上がるルセリ。
「どうかしら?」
得意気に、彼女はツムギを上から見下ろしながら言う。
これが別の人物なら、意地でも同じ目線に立つか、あるいは引きずり下ろして立たせてやるツムギだが、相手は愛しい女である。
そんなルセリに、彼は素直な拍手を送った。
「おぉー、凄いな。
お前ってば、そんな事もできたんだなぁ」
「まぁね!
とはいえ、エネルギー効率も悪いし、パーツの耐久力にも不安があるから、あんまり長時間の酷使はできないんだけどね」
「充分さ、沼地を越えるにはな」
言って、ツムギは足を屈伸させて短く準備運動をする。
「そんじゃ、今度は俺の番だな」
彼は、躊躇なく死毒の沼へと踏み込んだ。
先の言葉通り、泳いでいく気なのか、とルセリは一瞬思った。
それだけでも、大概にアホな所業だが、ツムギが起こした現実はもっと非現実的だった。
ちゃぷん、と、水面に直立するツムギ。
彼は頭上のルセリに視線を送る。
「どうよ?」
「…………アメンボかしら?」
「失敬な。俺は人間だぞ。
足が沈む前にもう片足を引き上げるという事を高速で繰り返しているだけだ」
「トカゲの間違いだったみたいね」
どちらにしても、人間のやる事ではない。
しかし、僅か二日の付き合いではあるが、ツムギの非常識さは充分に理解している。
(……そういうものだって、納得しておきましょう)
この世の不可思議を飲み込んだルセリは、笑顔で出発を告げた。
「じゃー、レッツゴー!」
「おー」
ノリ良く、ツムギも拳を振り上げたのだった。




